ear for eye by debbie tucker green at the Royal Court Theatre (downstairs)

観劇日:11月3日14時30分(2時間15分、休憩なし)

演出:debbie tucker green

 

 今年度の最高傑作来ちゃったよ、と終演後思わずつぶやきました。

 タッカー・グリーンは名前だけは知っていて、でもその実験的作風と黒人の人種問題というテーマゆえか、なかなか再演に出会う機会がなく、ようやく観れたのが今年の春、チチェスターでのrandom/generationのダブルビル*1。特にgenerationの構成が見事で、上演によってはじめてこの作品の全貌を知れたような感があった。一見して、実験的な形式で解釈に開かれたように見える戯曲が、上演となると(リアリズム形式ではない形で)舞台の設計図として働いているようで、そのことが逆にこの戯曲が細部まで計算されつくした、手の入れようのないものだと示す。演出らによるテキレジの余地がないという意味でも、上演が不可分であるという意味でもある意味徹底した戯曲主義な作品で*2、ear for eyeはタッカー・グリーンのそうした劇作法の一つの到達点になっているのでは、と本数を観ていないなりにも思う。

 三部構成+エピローグという構成で全体を貫くリンクはうっすらとあるものの、どの部も基本的には独立し、かつまとまった意味が非常に取りにくく作られている。第一部は英米の黒人の人々による断片化されオーバーラップする会話やモノローグからなる。センテンスが意図的に壊されているので、舞台上で会話のように見えるものがバラバラな単語の連なり、しかしながら時にとても詩的に聞こえる。だが、言葉を拾っていくうちにどうやら彼、彼女らがその身の回りにある差別や暴力について話している、あるいは話そうとしているようだと察せられる。キーになる会話は(これはエピローグで非常に印象的に繰り返されるが)若い男性と、その少し年長と思しき男性(兄弟か、先輩後輩のような印象がある)のやりとりで、どうやら若者の方がとても攻撃的に興奮しており、年長の男性へ何度も「やってはいけない理由はなんだ」と尋ねる。そして第一部終盤の男性のモノローグは、そこに至るまでの様々な人々の会話の断片が集められたイメージの集大成となっており、一つ一つの言葉に、その言葉を発した人々の顔が過ぎる、鳥肌の立つクライマックスです。

 第二部は、おそらくカウンセラー(あるいは一方は教師の)二人組の会話だが、やはり明確な立場はわからずその内容も明瞭に語られるわけではない。どうやら、ある学校で生徒による銃撃事件が起こったが、その主犯の少年の動機をめぐって対立しているようである(というか、男性側が妙に論点をずらしている風に見える)。この場面に出てくる年長の男性が唯一本作で舞台に上がる白人俳優*3である。つまり、白人男性とそれより若い黒人女性の二人芝居になるわけで、当然そのパワーバランスには年齢、ジェンダーの差も二人の関係に関わってくる。この場面のみ回転舞台の装置が使われ床がゆっくりと回るのだが、対面の椅子だけの美術ながら、目の回る酔いのような気分の悪さが視覚面からも影響を与えてくる。

 第三部は映像で、アメリカパート、イギリスパートにさらに分かれる。アメリカパートではジム・クロウ・ローの条文を白人のアメリカ人たちが(おそらくアマチュアだろう)が読み上げる。イギリスパートでは、同様に白人のイギリス人たちが奴隷法の条文を読み上げる。この場面のみ、台詞となる条文は断片化されることなく、はっきりと意味が通る文として読み上げれられている*4。印象的なのは、意図的に子ども、障がい者、ゲイカップルを被写体に入れていること*5。実は私はまだ解釈が追い付いてないのだけれど、ここだけノンフィクション(的)であることも含め、マイノリティの属性が(足し引きするものではないにせよ)かなり特徴的にこのパートに現れていることは丁寧に考えなければと思う。この部のラストに舞台上にエピローグと示され、第一部の青年が再び現れて幕となる。

 とにかく一言一句たりとも聞き逃すまいと集中して観ていても、どうしても取りこぼしてしまう言葉があり(英語の問題だけでなく)、それを埋めようと戯曲を読むと今度は舞台で観たイメージがおぼろげになっていく。テキストーステージの分かち難さを見事に示す上演だ。そして、舞台上の瞬間瞬間のみ言葉とイメージが完成するー戯曲だけでも、上演だけでもそれは達成されないーという形態が黒人問題を語り得る可能性と、同時にその限りのない困難をダイレクトに示していた。これほど形式と内容が不可分の舞台作品であることにも驚いたし、また演劇と言う形式においても、戯曲の持つ役割がとてつもなく重要で、しかしそれ単独では不完全であることを鮮やかに示す手つきが本当に素晴らしかった。タッカー・グリーン、今作はテーマ、劇作、演出など様々に評価があると思いますが、私はやはり彼女の劇作家としての能力を高く評価したい。私のまだ知らない戯曲の面白さを存分に見せてくれた作品だった。

 

*1:感想を、書いてない…。

*2:タッカー・グリーンの場合は(チチェスター公演は別の人でしたが)初演に関しては自分で演出しているというのも大きいと思います。あと、タッカー・グリーンに限らずですが、リアリズムの手法で書かれていない作品ほど、戯曲に忠実な演出の方が面白いんじゃないかと個人的には思っています。

*3:戯曲上の指定ではcaucasianという表記。第三部のキャスト指定も同様。ちなみに黒人登場人物に関してはBlack British, African Americanです。

*4:ただし、台詞の区切りやカット割りには工夫が凝らされ、一つの条文をリレーのように複数の人が読み上げたり、同じ人を複数のアングルから撮ったりしている

*5:手話話者は第一部に登場している

Twelfth Night at Young Vic

観劇日:2018年11月1日

演出:Kwame Kwei Armah and Oskar Eustis

製作:The Public Theatre (NY)

 

 ヤングヴィック新芸術監督クウェイ=アーマー就任一作目は、彼がアメリカで製作したミュージカル版『十二夜』*1。舞台は20世紀半ばのノッティングヒル。カリブ系移民が多く住んでいた地域で、現在までもカーニバルなどカリブ文化が根付いているそう。

 華やかでエネルギッシュなミュージカルというだけなら、シェイクスピアの翻案として特別珍しくはないのだろうけど、そうはならないのは、徹頭徹尾一貫してこの作品が多文化社会へのセレブレーションとなっていること*2。ダイバースキャスティングに加え、コーラス/アンサンブルには地域のアマチュアパフォーマーを大勢登用している。人種、民族、性別、年齢、全部が取っ払われた祝祭の雰囲気と同時に、これほど多様なすべての人々へのそれぞれのリスペクトがきちんと両立していて、この一年強イギリスで舞台を観てきて、最も安心できる劇場空間だなと感じた。

 『十二夜』のストーリーやプロット、キャラクターにほぼ変更はないものの、90分のミュージカル翻案になっているため、当然ながら台詞のカットや変更は大胆。名台詞の一部を歌詞に混ぜ込む形になっているので、ちょっと口ずさみたくなる感じです。唯一人物造形に変更にあるのがマルヴォーリオ。エンディングはオリジナルソングで他者理解と世界への希望を歌うもののため、彼が復讐を予告するシーンがほぼなくなっている*3

 『十二夜』自体は、個人的にはさほどハッピーな作品ではないと思うのだけど(もちろん喜劇だしハッピーエンドだけど、ヴァイオラだけにかかる負担が半端なさすぎるし、今回カットされているマルヴォーリオのシーンの不穏さが強いので。)、街が舞台であることと、魔法みたいなミラクルが起こらないということが重要なのかもしれない。幸運はもちろんたくさんあって(私のお気に入りキャラクターセバスチャンの、宝くじを連続で当てそうな強運とか)、その反面誤解やすれ違いも起こるのだけれど(兄貴のラッキーのつけを払わされているヴァイオラ…)、全部人の世のことだというところに軸足があって、それがエンディングの、世界は他者を理解することできっと良くなる、という非常にポジティブな歌へつながっているように思った。

 とはいえ、全てをラッキーで片付けるほどクワメ演出は甘くない。ヴァイオラ/セザーリオの変装は本当に男性と見まごうほどで、プロット全体を支えるこの「リアリティ」の説得力は強い。衣装から徹底的にフェミニンな要素を排し、しぐさや振る舞いも黒人男性のそれをうまく取り入れて、よりマスキュリンに見せている(ヴァイオラ、セバスチャン双子は黒人キャスト)。男装のイメージにつきものな少年的な「中性さ」もなく、まさに、'Not yet old enough for a man, nor young enough for a boy'な造形。オーシーノとセザーリオの思いのすれ違うやり取りは、変装の秘密ゆえのもどかしさというより、恋心を秘めたゲイの青年のようにも見える。

 セクシュアリティに関して、おそらく有名なのはセバスチャンに対するアントーニオの感情ですが、これも(出番自体は大幅に短くはなっているものの)アントーニオがヴァイオラ、オリヴィア、オーシーノーのメインテーマで歌われるフレーズを反復することで、暗にその思いを示す。人種的なダイバーシティをキャスティングで見せつつ、原作のジェンダー、セクシュアリティ表象の複雑さもきちんと拾い上げている。

 斜に構えることなく真っすぐに多文化社会への希望をメッセージとするのって、やっぱり今とても作るのが難しくなっていると思うのだけど、隙のないクオリティと有無を言わさぬエネルギーでそれを実現している舞台。これは、NTライブ等でのブロードキャストや、(難しいだろうけど)ソフト化があればと思う。今、なるべく多くの人に見てもらいたい、本当に幸福な作品です。

 

 

*1:初年度のプログラムにやけにアメリカ関係の作品が多いなと思ってたら、2011年から17年までボルチモアの芸術センターの芸術監督だったんですね。ついでに個人的なことを書いておくと、この時期はちょうど私がイギリス演劇に本格的に関心を持ち出した頃で、つまりクワメさんのイギリスでの仕事を私は今まで見たことがなかったのです。

*2:個人的に、劇場美術でまず驚いたのが天井に掲げられた万国旗でした。なんてベタな、というシニカルな思いを抱いたのは一瞬で、このストレートさこそが強さなのだとちょっと泣けてきました

*3:そのせいか、マルヴォーリオ、ソロ曲とか見せ場がえらい多くて、大変おいしい役どころになってました。

Edinburgh Festival Fringe 2018 要チェック作品リストのリスト

 今年のエジンバラフェスティバルのフリンジ演目チェックに使ったサイトのリストをまとめておきます。フェスティバルはすでに開幕しており、おせーよ、という感もあるのですが、大手メディアは例年こういった記事を出しているので(批評家が変わることはあるけど)、来年以降も使えるかしらと思い、自分の備忘録も兼ねて。

 よほど合わない批評家が書いているとかではない限り、二つ以上の媒体で紹介されているのもはチェックリストに入れていいかなと思います。前売りを買うか迷う時は各紙のレビューが出るのを待つべし。下に挙げたメディアの多くはほぼ毎日フリンジ作品のレビューを出しています。あと、フリンジの公式サイトから、チケット完売日がどれだけ出ているかをチェックするのも良いです。あとは博打。

 (独断と偏見でコメントをつけています。私の趣味を知っている人は参考にしてください。)

 (ちょっと思うところあり、私の観劇予定リストは今のところウェブには上げないつもりです。すみません。(もし私の知人友人で興味のある方がいれば直接ご連絡ください。)作品の感想は改めてまとめます。)

 

The Independent (Lyn Gardner)

www.independent.co.uk

 インディペンデント、というかリン・ガードナー枠、というべきか。シアター、ダンス、サーカス、キャバレー、児童劇、今年も無双しております、ガードナー先生。私も日ごろから厚い信頼を寄せています。ガーディアンを離れ、ひとまず今年はインディペンデントとステージを拠点にレビューを書くとのこと。会期中に所属メディアに書ききれない作品評はツイッターにガンガン挙げてるので、そちらも要チェック。0ウィーク目にしてすでに、同僚批評家に「30本は観てる」とか言われてます、この人。

 

The Guardian (Theatre&Dance: Chris Wiegand, Comedy: Brian Logan)

www.theguardian.com

 安パイなのはこのへんかな、という気がします。(ただしダンスは未知数。)ただ開幕して今んとこ、シアターのレビューはマーク・フィッシャーさんが書いてるっぽいので、まずはそっちを参考にした方がいいかも。(ビリントンさんはここんとこはフリンジに来てるんだっけ?)

 

The Telegprah (批評家合同、要登録)

www.telegraph.co.uk

 すみません、私、ちゃんと読んでない…。音楽、オペラもカバーしているので、そちらにも関心がある方はどうぞ。

 

The Scotsman (批評家合同)

www.scotsman.com

 地元紙なのにか、地元紙だからか、下馬評出るのが一番遅かった。他の媒体が拾ってない作品がちょこちょこあるのですが、気になりつつレビュー待ち状態です。しかしスコッツマンの本気はこれからだ。会期中、紙媒体は文化欄がフェスティバル特別仕様になっており、レビューはもちろん、その日の演目スケジュールやヴェニューの地図まで掲載。朝買って、記事読んで、そのまま一日ガイドブックとして使えます。

 

Time Out London (Andrzej Lukowski)

www.timeout.com

  ロンドンが中心の媒体なので数は少なめですが、大都市エンタメガイドというメディアの性質もあってか、演劇をあまり知らない人におすすめを聞かれた際には、ルコフスキーさんのレビューが一番参考になると思います(口悪いのがあれだけど)。ちなみに私のシアター系のチェックリストはだいたいこんな感じに収まってます。(私の選び方がロンドン視点に偏ってる、という話でもあるんですが。)

 

The Stage (批評家合同)

www.thestage.co.uk

 演劇業界のニュースや政治系の記事はいつも面白く読むんですが、レビューはいまいちはまらないステージ…。(書き手が多いというのもある。)ただ今年はガードナー先生がこっちにも記事を書くようなので、会期中はしっかりチェックします。月間3記事(?)以上のアクセスは有料なので、8月だけ購読登録するのが良いかと。

 

 Chortle

www.chortle.co.uk

 …の記事のどれかを読んだはずなんですけど、今検索し直したら出てこない…。すみません…。コメディ専門媒体です。興味ない人はスルーでいいんですが、フリンジのような小規模の公演では、コメディと演劇・パフォーマンスの垣根が低くなっているので、時々両ジャンルから評価されるタイプの作品がポンっと出てきたりします。私はそういう関心とは別に、コメディファンとしてチェックしてます。

 

Go Johnny Go Go Go Part II (Miki Inamura)

www.gojohnnygogogo2.com

 お世話になっております、イナムラさんのコメディブログ。日本語でレビューや現地情報が読める貴重なサイトです。日本のお笑いに親しんだ人から見て、という視点で書かれている記事も多いので、フリンジでコメディジャンルに初挑戦したいという方は、英メディアのレビューを当たるよりも笑いのツボがわかりやすいかもしれません。毎年レギュラーで来ているコメディアンは多いので、今年の注目リストやレビューはもちろん、過去の開催年の記事も読むのがおすすめです。

 

 だいたいこんな感じでしょうか。漏れがあったら追記します。

 

The Prudes, Mood Music, The Writer

The Prudes 作・演出:Anthony Nielson、 Royal Court Theatre upstairs

Mood Music 作:Joe Penhal、演出:Roger Mitchell、 The Old Vic

The Writer 作:Ella Hickson、演出:Blanche McIntyre、 Almeida*1

 

感想が書けてないままの作品がたまってしまったので、数作品まとめて感想を書くという荒業に出ますが、The Prudes、Mood Music、The Writerです。いずれも広報やプレスレビューで「Metooもの」といううたい文句ががついていた作品ですが、それぞれ好対照で面白かったです。

 

Metooを直接的に扱う作品が昨年末くらいからにわかに増えてきている。おそらくこの傾向はまだしばらく続くだろう。さて、上記の三作品、前者二作はin-yer-face世代の男性作家A. NielsonとJ. Penhall によるもの*2、The Writerは若手女性作家Ella Hicksonの作。まずは、The PrudesとMood Musicを。

The Prudesは中年夫婦の二人芝居。昨今の(特に性生活をめぐる)フェミニズムの盛り上がりを受けて、夫は「セックスが出来なく」なってしまっている。自分と妻は確かな同意の上で性行為を行っているのか、セックス中に自分が彼女にしていることは「暴力」ではないのか、自分の欲望を満たすことで妻や過去の恋人たちの尊厳を損なってきたのではないか…と、とにかくあらゆる自らの言動に自分で判断をつけることが出来なくなってしまっている。そんな「セックスレス」な夫を、妻はまぁまぁとなだめながら、これは暴力じゃない、これは私が望んでやっている、と一つ一つ言い聞かせつつ行為に臨もうとする。だが、しょうもないコスプレ趣味に呆れた顔をしてみれば、やっぱりこれは「ハラスメント」なんだー!と夫に大騒ぎされ、セックスレス解消の話し合いは振出しに戻る…。

昨今のセクハラ追求の流れに対し、ささいなことで過剰反応し、自分は加害者なんだ!(でもこんなささいなことでハラッサーにされてしまうという意味ではこの性差別社会の被害者なのだ!)と極端な罪悪感を抱く男性像がコミカルに描かれ、賞味期限の短い(そうであってほしい…)テーマでさくっとシニカルな小品を描けるニールソンはまだまだ現役、と思う。ただ、当然こうした男性像にシンパシーを感じさせるような作品がそう歓迎されるわけでもなく、(当時)ガーディアン紙のリン・ガードナーはフェミニストの視点からきっぱり批判し二つ星の低評価をつけている*3

個人的には、少なくともこの一年の英語圏のmetooムーブメントを見る限り、「ガス抜き」としてこうした作品も必要だろうと思っている。もちろん、ずっと必要だとは思わないし、今作がもし再演されるときにはかなり批判的な演出をつけるべきだ。ただ、個人的な嫌な思い出に過ぎないものの、こういった「ガス抜き」が上手くいかなかった男性に当たられた経験があり、それに対処するのはかなり精神的に消耗した*4。そんな息苦しさに同情なんかするな、という向きもよくわかる。でもこの数年、少なくともSNS上のジェンダー・セクシュアリティ問題に関する議論は(良し悪しとは別に)相当にラディカルなスピードで進んでいる。急激な社会の変化に耐えられない人がいることには、その適応を待つ、という判断も場合によってはありなのではないかと、個人的には思う。The Prudesはそういう機能を持つ作品だな、と思うし、その意味で、とてもとてもコンテンポラリーだ。

 

Mood Musicも、やはりin-yer-face世代の男性作家、ジョー・ペンホールによるmetooもの。こちらは明確にショービジネスの世界を舞台としており、若い女性シンガーソングライターとベテラン男性プロデューサーとの間の確執と性暴力を、当事者二人、両者のカウンセラー、両者の弁護士の三組六人の対話で描き出す。会話を細切れにする独特の劇作は、深刻なテーマに感傷を含ませず、歌手―プロデューサー間の、恨みや憎しみ、負の感情に交じる否定しがたいかつての信頼関係の混濁をも、ドライに「ビジネスライク」に描き出す。

これを製作したのはThe Old Vic。まさにMetoo問題で告発されたケヴィン・スペイシーが前芸術監督だった劇場だ*5。感心している場合でもないが、しかしこちらの劇場の自浄作用は強く、反応も早い*6。Mood Music自体は今回の問題への完璧な応答ではないと、個人的には思うのだが、しかしこのテーマでこの期間で、きちんとクオリティを出してきたところはまず評価すべきと思う。

なぜ完璧ではないか。この男性プロデューサーが、若い女性シンガーをビジネス上搾取しまくった上に、性的にも辱めたことが作中の会話からうかがえる。もしそれがすべて事実ならば(そして弁護士らの応対を見るにおそらくそれは事実なのだが)このプロデューサーは一刻も早く業界から追放されるべき「悪人」なのだ。たとえ音楽、マーケティングの才能はあっても、情状酌量の余地はない。天才こそ「サイコパス」という言説が批判的に用いられるけれど、逆に言えば天才だからこそ人格破綻していても「芸術業界」では生き残るチャンスがあるわけだ。

エンディングでは女性シンガーの方が示談に妥協し、業界からも身を引くこととなり、プロデューサーが業界に生き残るという究極のバッドエンド。しかし、ここまで「男性(業界人)」を「悪役」として描き切るというのは、それもまたガス抜きになるのではないかという思いがよぎる。おそらく観客のほとんどは男女の別なく、このプロデューサーのような人間には自身の「加害」の可能性を見ることはないだろう。ことはそれほど単純ではない。特定の人に対してはハラッサーである人が、別の人々にとっては親友であったり恩人であったりすることはものすごく多い。周囲の人間全員一致で悪人認定が出来ればどれほど良いか、というハラスメント案件は本当にきりがないのだ。だからこそ人間ともいえるのだろうが、だからこそ「完全な悪人」はある意味幻想的でとてもフィクショナルな造形でもある。Mood Musicの欠点は、仮想敵をそのような「ありえない(そんな例は極々わずかな)」キャラクターにしたことだろう。バッドエンドはせめてもの現状の反映だろうが(これで勧善懲悪ものだったら私は一つ星をつける)ここまでの悪人像をもって描かれる芸術業界の膿のなかでは、小悪人を見逃しかねない。

 

さて、The Writerだ。冒頭のキャッチーな「劇中劇」に登場する典型的な演出家-女優のセクハラ関係はmetoo問題どまんなかである。中心キャラクターが女性劇作家であり、彼女の視点から、作家として自立すること、男性演出家との対峙が描かれることも、昨今のショービズ界の議論の意識的な反映だろう。ただ、この作品において芸術業界のセクハラ問題はあくまでも「導入」にすぎない。女性劇作家の視点を通して、芸術家がいかなる搾取もなく作品を作り上げるとはどういう状態、状況、環境を指すのか、語弊を恐れずに言えばmetooよりもはるか先の問いを見通している作品だ。

冒頭で演じられる演出家と女優の劇中劇を書いた女性劇作家の、「複数の」生をこの作品はパラレルに描く。ある時は、自作のプレゼンテーションを男性演出家に乗っ取られてしまうような言葉を奪われた人物、ある時は主夫と思しき男性パートナーと生活を共にしながら創作ポリシーと「売れる」作品のジレンマに悩む人物、ある時はマーケティングと作品解釈をめぐって男性演出家と対等に議論を交わす人物、そしてある時は作家として大成しパワーレズビアンとして高級マンションにパートナーと悠々自適に暮らす人物。どの「彼女」も、おそらく冒頭の劇中劇のピースを書いた人物だが、その生のあり様がマルチプルに存在し、そしてその描写は徐々に保守的なイメージから革新的なそれへとスライドしていく。

The Prudes、Mood Musicともに、男性と女性の優劣の関係は揺らがないまま(もちろんそれは今の社会情勢において間違ってはいない力関係だ)であるのに対し、The Writerは、「立場によっては」女性が搾取の側に回ることもある、ということを、まさにmetooの現場である芸術業界を舞台に描き出す。白人で長身の売れっ子女性作家が、黒人で小柄で定職のない女性パートナーにしか欲望を抱かないとき、その関係は女性作家のパートナーへの愛なのか、ただ社会的に構築された欲望に突き動かされたのか判断などできないとき、その作家が「フェミニズム」の作品を書くとはどういう意味を持つのか、今作の問いはここにまで及ぶ。最終パート、レズビアンである女性作家のパートナーが、ピカソのゲルニカのエピソードを切り出す。曰く、彼はこの反戦の大作を描いていた最中、自分の愛人たちが喧嘩するのを笑いながら眺めていたのだと。作家の人格はその作品は別物だと、私は考えている。でも、その作品が政治的メッセージを持つとき、その政治性に関わる当人の振る舞いはどこまで正当だと見なすことができるのだろう。その問いには当然ながら女性も逃れることはできないのだと、ヒックソンは強く訴える。

 

metooムーブメントは今も進行中だけれど、作品のモチーフとしては当たり前ながら「ブーム」に終わらせてはいけない。性差別、性暴力の解決に向けた一連の動きは、現在問題として挙がってきている個別の事件への対応と同時に、なぜそのような暴力が可能となってしまったのか、を問うていく作業でもあるべきだ。三作並べて、最も若手で女性作家であるヒックソンがこの点に一番鋭く応答しているのは、当然の成り行きとも思いつつ、皮肉にも感じられる。でも、こんなにもわかりやすく「次の世代」が現れていることに、私は少なからず期待と希望も持っている。

 

 

*1:ところで今春~年内上演予定のアルメイダの演目、リバイバルや海外招聘を除けば、ほぼ全て女性作家、女性演出家が手掛けています。

*2:あまりin-yer-faceということを強調しすぎるのもどうかとは思うのですが、ただ彼らが(いかなる表現上の意図であれ)露悪的にゲイセックスや性暴力、それに伴うミソジニーといった「男性的」な主題を書いていたこと、それらの要素がこの用語をカテゴリーとして機能させていたこと(=彼らがそれを武器に作品発表の場を得ていたこと)はこの文脈では無視できないと思います。

*3:The Prudes review – a couple's very public attempt to revive their sex life | Stage | The Guardian

*4:なまじ当人は義憤に駆られての結果だったりするわけで、私も何が問題かをちゃんと話したいという気持ちはあるものだから、きちんと言い返すことは出来なかった。少なくとも当時は。

*5:とはいえ、パンフレットの現芸術監督のメッセージには、今作のセクハラ関連のテーマに一切言及がなく、いや怖い世界ですわほんとにと思いましたです。

*6:ちなみに最も早くこの種の問題に取り組み、成功例(例えばハラスメント問題に対するガイドライン)も失敗例('Rita, Sue and Bob Too'の上演中止→撤回のプロセス)も出したのがロイヤル・コートだと思います。これ、別項立てて書いた方がいいかなとも思ってますが。

4月~6月、ブログ感想未消化リスト(追記:ひと月分増えました)

(7月1日追記)

6月分の未消化リストも追加しました。年度末の面談が終わって、すでに夏休み気分だったようです。書かないモードになるとほんとに書かなくなるので、せめてこれだけでもと言うのに星マークをつけておくことにします。

 

年度末でばたばたしているので、とりあえず観たぞの記録だけ(簡単なメモは随時ツイッターにあげてます)。落ち着いたら地道に感想書いていきます。

 

4月28日15時

☆The Prude by Anthony Nielson, The Royal Court Theatre Upstairs

(5月末に観ているMood Musicと対になるような作品。舞台/戯曲作品としてのmetoo(運動)、特にシスヘテロ男性からの描き方が気になりだしたのはこのあたりから。)

19時30分

4.48 Psychosis by Sarah Kane, Lyric Hammersmith Theatre

(ところでこの日はin-yer-face祭り感のある名前の並びで、テンションが高かった)

 

5月5日14時30分

One Green Bottle by Hideki Noda, Soho Theatre

19時30分

The Encounter by Simon McBurney, The Barbican Theatre

 

5月10日20時

Returning to Reins (German version) by Thomas Ostermeier, Schaubühne

5月11日13時

Exodus by Li Lorian, Haus der Berliner Festspiele, Rehearsal Stage

 (弾丸テアタートレッフェン)

 

5月17日19時30分

The String Quartet's Guide to Sex And Anxiety, Birmingham Rep

 

5月19日14時30分

☆The Writer by Ella Hickson, Almeida Theatre

 (metooがテーマという宣伝でしたが、この問題のはるか先を見通す、テーマ的にも演劇的にもユーモアと巧妙な構成によるフェミニズムシアターでした。)

 

5月21日19時30分

Limmy's Vine, The Glee Club

 

5月24日14時45分

☆random/generations by debbie tucker green, Chichester Festival Theatre, Minerva Theatre 

 

5月27日11時

NT live, Macbeth, dir. Rufus Norris

 (たぶん日本でやると思いますが、あんまり薦めません…)

 

(以下追記分)

5月31日19時30分

Mood Music by Joe Penhall, The Old Vic

(これもMetooがテーマ。今年上半期はとにかく多いです。)

 

6月2日14時30分

Fatherland by Simon Stephens, Scott Graham and Karl Hyde at Lyric Hammersmith

(これ、個人的にとても面白かったのですが、博論の内容にもろに関わるのでブログに詳細を書くことはないと思います。)

19時30分

Retro(per)spective by Split Blitches、BAC

(おおこれがかの有名な、という感慨でございました。)

 

6月7日14時

Translations by Brian Friel, National Theatre

19時45分

☆Creation (Pictures for Dorian) by Gob Squad, Southbank Centre

 

6月9日14時30分

Quiz by James Graham, Noel Coward Theatre

(ところでグレアムが、今話題になっているカンバーバッチ主演のブレキジットもののドラマの脚本だと知ってびっくりしました。)

19時30分

Machinal by Sophie Treadwell, Almeida

 

6月12日20時

☆Trying It On written and performed by David Edgar, Birmingham Rep

(エドガー先生御年70にして初舞台。)

 

6月15日14時30分

Lady Eats Apple by Back to Back Theatre

20時

Phobiarama by Dries Verhoeven

 

6月19日19時

☆Sea Wall by Simon Stephens, performed by Andrew Scott, The Old Vic

 

 

 

 

This House by James Graham at Birmingham Rep

観劇日:2018年4月20日

演出:Nica Burns

 

 2012年のナショナルシアター製作作品のUKツアー版。バーミンガムのリージョナルシアターでの公演に行ってきました。脚本のジェームス・グレアムはLabour of Loveで今年のオリヴィエ賞新作コメディ賞を受賞してます*1

 1974年の労働党政権獲得から、1979年の内閣不信任案可決(そして保守党サッチャー政権樹立へ)までのウィルソン政権→(EC残留)辞任→キャラハン政権下の不安定な政局を、国会議事堂ワンシチュエーションで描く。この期間、労働党は与党でありながらも議席が単独過半数に届かず、国会はいわゆるハングパーリアメントの状態にあり、野党第一党の保守党とは文字通り一票の奪い合い。他方でスコットランド、アイルランドの情勢が切迫する中、少数政党の議員とも際どい交渉を重ねていく。79年の不信任案可決は一票差で決まるのだが、この時労働党の議員であるWalter Harrisonが病に倒れ棄権しており*2、国会解散後に彼が投票結果を知るところで幕。

 出てくる政治家はだいたいモデルがいるようなのだけど、私はわからず…。作品全体は群像劇として描かれているので、わからないなりに面白く観れるものの、英国政治に詳しい人とか70年代リアルタイムで過ごした人にとっては、また別の楽しみ方があるのかなと思う。(ちなみに、私でもすぐ顔が浮かぶほどの有名な政治家は、名前は言及されても登場人物としては舞台には出てこない。)政治もの、と言ってももろに国会を舞台とした作品はあまり類似するものが思い浮かばず(日本の作品でもイギリスの作品でも)、なんというか、ありそうでなかったなという印象。とはいえ、30数年経ってからようやくドラマとして描けるテーマのようにも思え、いいタイミングで上手い題材を見つけてきたということなのかもしれない。*3 キャラハン政権へ移行する中盤以降は作品のドライブがかかってきて、政治劇というよりはむしろ密室交渉サスペンス的な質の良いエンターテイメントとして面白い。

 ウェストエンドで製作された作品のUKツアーというのを今回初めて観たのだけど、クレジットを確認するに、演出、技術面の変更はなく、キャストが大幅変更の様子。正直に言えば、スター俳優のキャスティングが望めないことを差し引いたとしても、アンサンブル含め役者のレベルは一段(人によっては数段…)下がっているように思う。リージョナルシアターへのツアー公演ってNT Liveとの兼ね合いが一時期割と問題視されていたのでクオリティが気になっていたのだけど、議論になる理由はよくわかった。(むしろ最近はあまりこの種の議論はみない気がするのだけど、興行収入とかのデータを探したいところ。)ただ、今作のジェームズ・グレアム自身は、ロンドン偏重の今の演劇シーンには批判的で、積極的に地方劇場へ新作を書き下ろしている人でもあり、この辺のバランスがどうなっていくのかなというのは今後も気になるところである。

*1:ベストプレイ賞の候補にはInkが入るという二部門ノミネートで、現在はQuizがウェストエンドで上演中という、当面ロンドンの劇場で彼の名前を見ない日はないんじゃないかという、今たいへん乗りに乗っている感じのひとです。

*2:実在の人物が同名のままモデルとなっており、彼の一票で政局が変わったとされるのも史実通り。ちなみに病気による棄権については、国会議員の全体的な高齢化が中盤に示唆されている。

*3:日本でやるとすれば09-12年の民主党政権だと思うんですよ、これ。震災も含めて。30年後に期待しますが。

観たけど感想を特に書いていないもの2018年3月編

備忘録

 

・2018年3月10日

A Night of Small Things for #HeForShe (VAULT festtival 2018)

HeForSheのキャンペーンイベントで、演劇、詩、コメディのショーとパフォーマンスアンソロジー企画。スティーヴンスがモノローグを発表してたので行ってきました。(出来はふつうだと思う。この人のジェンダー観って良くも悪くもすごい「ノーマル」だとは常々。)玉石混交な舞台でしたが、めっけもんは若手コメディアンのHarriet Braineさん。美術史ネタのコミックシンガーでした。

 

・2018年3月20日

Lady Windermere's Fan (Oscar Wild Season Live)

ライブ中継で。登場人物がみんな可愛い可愛い言うて帰ってきました。ワイルドの喜劇は好き。『真面目が肝心』はちょっと思い入れがあるので、そっち観れたら何か書きたいと思う。

 

・2018年3月31日(見たのはiplayerで4月頭に)

Hamlet (Andrew Scott 主演、Robert Icke 演出)

テレビ放送で。真っ先の感想が、父王が貞子、で大変あれなんですが。シャーロックサイコパスキャラツートップの片割れだったカンバーバッチのハムレットがすでにあるので、後発のやり辛さがあったのではないか、と要らん気遣いをしつつ。カンバーバッチ(リンゼイ・ターナー演出)が、ハムレットが政治的大局の渦中においても極めて「普通」の男性であったというところにエネルギーを注いだのに対し、こちらは世界観自体をスケールダウンして(成金一家の遺産相続くらいな感じ)スコットがエキセントリックになれる余白を先回りで埋めていた感じ。おそらく目指すところの造形は両者結構近いのではないかと思うのですが、アプローチが全然違うので比べると面白いです。クローディアスが突出してよかった。あのサイコサスペンスばりの告解シーンは見ものです。BBCが製作にかんでいるので、うまいことなんかしてNHKとかでやらんですかね。