Richard Gadd, Monkey See Monkey Do

 去年のエジンバラフェスティバルでフリンジのコメディアワードを取り、全国ツアーを経て今年もエジンバラ凱旋公演が行われたこの作品、舞台映像をテレビ放送したものが9月末までNOW TVに上がっていた。これを見るために銀行のデビットカード作成を急いだといっても過言ではない。そして映像とはいえ、その価値があるパフォーマンスだった。

 Gaddの作品は一昨年、2015年のエジンバラフリンジでWaiting for Gaddを観ている。文字通りタイトルに偽りなし、の良作で終演後のお酒がとても美味しかった。当時全くノーチェックだったこの作品に誘ってくれたイナムラさん*1から、Monkey See...こそ絶対見るべき、と折に触れて案内を受け取り、この一年彼の動向を気にかけていた。

 コメディ業界だけでなく、パフォーマンス界隈全体が彼に注目しているように感じていた。一つにはもちろん作品のクオリティの高さだが、もう一つはおそらくテーマの問題だろう。数年前から、イギリスの演劇/パフォーマンスの傾向としてメンタルヘルス(精神疾患/障害)を主題とする作品が増えたことはLyn Gardnerなどが指摘してきている。また、こちらは舞台芸術に限らないだろうが、フェミニズムのある種の延長として(特に異性愛男性の)マスキュリニティの問題への注目が増している。Monkey See...は結果としてこの両テーマに深くかかわる作品となっており、なおのこと耳目を集めたのだろうと思う。

 「結果として」ということを強く強調しておきたい。この作品はGaddのきわめて個人的なトラウマに基づいて作られているからだ。メンタルヘルスとマスキュリニティの両テーマに彼が取り組むことになったのは必然だったのかもしれないが、しかしそもそもこの作品が生まれるきっかけ自体がなければよかったのに、とどこかで考えてしまう。私はすでにレビューやインタビューから多くの情報を得て映像を観たわけで、その意味である程度構えることができた。この作品は、Gaddが学生時代に受けた男性からの性的暴行の経験が軸になっている。

 トレッドミルの上で走り続けるアスリートに扮するGaddは'Man's Man'コンペティションなる競技の出場者である。トレーナーの指導を受け「男らしい男性」を体現すべく日々訓練を続けている。強靭な肉体はもちろん、マルチタスキング、コミュニケーションスキル、写真写り、スピーチ、あらゆる面が審査の対象となるようだ。次回の優勝候補と目されるGaddはしかし、しばしば「モンキー」の声に心を乱され、トレーニングを中断してしまう。

 トレーニングと並行して映像に映し出されるのは、3年前にGaddが受けたカウンセリングセッションの録音をボイスオーバーに使用した、アニメ風の患者とカウンセラーの会話シーンである。*2最初は状況がよくわからないのだが、セッションが進むにつれGaddがひどく不安定になり、ついに事件のあった日のことを少しだけ、でもそれで十分すぎるほどに語る。音声だけならば聞くに堪えないだろうが、画面の滑稽さに笑っていいのかなんなんだか、奇妙な気持ちになる。

 映像の間も(というかほぼ全編を通して)Gaddはトレッドミル上で走り続けている。「男」になるためのトレーニングなのか、なにかから逃げているのか、何かを忘れようとしているのか、徐々に意味がぼやけていく。私が見たものはテレビ映像だったため顔のアップが多いのだが、額から流れる汗が涙のようにも見えて、激しい運動にも関わらずセッションの映像を背景にとても静かな場面が続く。

 ついにMan's Manコンペティションを迎え意気込みを尋ねられたGaddは、

'I have a "feeling"...'と話し出す。瞬間、そんな言葉を使うべきではない(例えば'state'の方がより男として適切である)とインタビューは中断、Gaddはトレッドミルから降りる。彼がそれに沿って走り続けざるを得なかった何か、つまりマスキュリニティの規範から降りるのだ。

 この記事は一応レビューの体裁をとっているけれど、やっぱり日記の感想なので、ラストのモノローグの詳細はぜひ直接作品を観てくださいと言いたい。その日彼の身に何が起こったか、事件から6年を経て彼のジェンダーやセクシュアリティに関わる事柄の何が変わっていったのか、それから「なんでコメディのフォーマットでこの話をしようと思ったんだろうね笑」という全く正直なコメントが、穏やかに語られる。

 すでに書いた通り、私はこうした個人のトラウマに根差した作品を観るとき、作品を作る以前にそもそもその辛い出来事が起こらなければよかったのに、と思う。でも、作品にすることで、笑いに変えることで変わるものがあるなら、ともに見届けたいとも思う。観客の役割ってそういうところにもあるんじゃないかなぁと、考えている。

 エンディングは、Gaddが彼にとりついているモンキーと一緒にサイクリングに出かける映像で終わる。一生消えることがない以上、どう付き合っていくかしかないのだ、という決意表明なのだが、周囲の白い目も気にせずゴリラの着ぐるみと戯れるほほえましい映像には、最後までコメディの精神を忘れぬ強さがある。

 

*1:イナムラさんによるGaddの紹介記事はこちら Go Johnny Go Go Go Part II: Richard Gadd

*2:あご人形というのか…?あごの部分に動眼と帽子をつけ、ちょうど口の部分ががさかさまになるよう、上下をひっくり返して撮影している。で、その口でしゃべる。