Our Town by Thornton Wilder, Royal Echange Theatre Manchester

 マンチェスターのリージョナルシアターが『わが町』をやるのか、というのはレビューが出た時からずっと頭に引っかかっており、いずれにしてもマンチェスターには行かなきゃいけないんだから(ステーヴンスの地元で、彼自身Royal Exchangeと縁が深い)と、思い立って日帰り観劇を敢行。といっても終電が早いだけで、距離で言えばロンドンよりも近い。

 ずいぶん前に新国立で観た宮田慶子演出『わが町』はミニマルな舞台美術によって美しさを見出そうとしていたと思うのだけど、Sarah Frankcom演出の今回はミニマルであることによって、ここは劇場ではない、という感覚を呼び起こしていた。舞台監督の立ち振る舞い(ナレーター的ではなく、舞台進行を実際的に取り仕切る風である)に始まり、登場人物のラフな衣装、また前半ほぼ唯一の美術である長机と簡易椅子を観客席としても活用したり、円形で高さのない舞台など、それらはまるで「稽古場」の雰囲気を作り上げていた。手元に戯曲がないのだけれど、私のわかる範囲では台詞の改変はほぼなく、しかしキャストはみなマンチェスター訛りで話していた。(正確にはキャスト自身の地元の方言とのこと。)

 ここが「稽古場」であると示すことはすなわち、この作品の舞台は今現在のマンチェスターであると示されているに他ならない。エミリー、ジョージを初めとするグローバーズ・コーナーズの人々の些細で平凡な出来事は、このマンチェスターの街の至る所にあるのだろうと思わせる。同時に、稽古場という場の設定は『わが町』という作品があくまでもフィクションであることも突き付ける。もしも舞台監督が、作品の進行を中断したら、この場所はただの何もない空間になってしまう、その事実がちょっと辛く思えるような感覚である。(実際、二幕の結婚式風景のすぐ後に入るインターバルのアナウンスは、決してネガティブなトーンではなかったけれど、そのように機能していた。)とはいえ、これがお芝居かどうか、という点は実はそれほどくっきりとオンオフが分かれているわけではなくて、むしろ稽古風景を思わせる演出は、登場人物/キャストが演劇と日常のグラデーションの中にいるような感覚を抱かせる。

 ただ、死者の姿だけは稽古場の延長として、あるいは日常風景としては描けない。三幕だけは、舞台監督をのぞき、徹底して「演劇的に」演出が施される。エミリーが振り返る誕生日の風景は、雪に覆われたひまわりで飾られるテーブルを両親と囲むものである。死者の振り返る日常は日常ではなく特別な出来事なのだという、二幕までとの間に明確な線を引く舞台美術は、戯曲の持つメッセージを際立たせる。

 墓前に無言で打ちひしがれるジョージの姿は、生きている人々にとっても、死んだ人と過ごした日々はある時特別なものになるのだと訴えるようだった。パンフレットに少し言及はあったものの、プロダクションとしては強調していなかったが、しかしこの作品を観て今年マンチェスターで起こった事件を思い起こさない観客はおそらくいないだろう。(公演時期的に、事件の前からすでにプログラムに入っていた演目のはずなので、演出プランの変更はあり得ても、作品選択自体は意図的ではないと思う。)テロで死ぬことと、事故や病気で死ぬことは、違う。それでも 'Don't look back in anger' を歌いあげた街である。死んだ理由を追求するだけではなく、愛しい人の死後、残された人々の時間がどう流れていくのか、少しだけ先のことを改めて見据えるための作品だったように思う。

 ところで、今回の上演はRelaxed Performanceと呼ばれるもので、主に精神障害や発達障害、その他何らかの疾患を抱えた人を対象としたバリアフリー対応の回だった。劇場ドアを常に開けておいたり、音響や照明のレベルを抑えたり、上演時間や休憩についてなるべく正確な時刻をアナウンスしたり、と興味深い試みがなされていた。未就学児もOKで、乳幼児連れの観客もいた。結果論だけれど、こうした要素は今回の作品にとってはとても良い影響をもたらしたと思う。個人的には、三幕でずっと客席の赤ん坊がぐずっていた(エミリーは出産のときに死んでしまう)ことが号泣もののハプニングだ。

 ところでその2としては、マンチェスター行き自体も感慨深かった。マンチェスター中心地のひとつ前の駅、ストックポートはスティーヴンスの出身地で、彼はこの土地を舞台とする作品をいくつか書いている。代表作である On the Shore of the Wide World もその一つで、あの芝居の登場人物が暮らしていたのかぁ、と車窓から駅をながめてしんみりしていた。(スティーヴンスが暮らしていた、という感動は実はあまりなくて、妙なもんである。)今後もマンチェスターへ来ることは何度もあるだろうし、機会があれば一度、この駅にも降りてみたいと思っている。