The Jungle by Joe Murphy and Jor Robertson at Young Vic

観劇日:2017年12月20日19時半*1

演出:Stephen Daldry and Justin Martin

 

 これ、実はまだ考えがまとまってないので、ぼやっとした感想ではあるんですが、早めに書かないと内容自体を忘れるので、とりあえず書いています。

 英仏国境に当たるフランスのカレーの難民キャンプを舞台とした群像劇。劇作を手掛けたマーフィー&ロバートソンは学生時代からライティングコンビ。二人はモデルとなる難民キャンプに半年以上にわたり滞在し、現地でGood Chance Theatreという劇場を立ち上げ、現在も難民支援と彼らとの芸術作品の製作活動を続けているとのこと(BBCのインタビューによれば、今作の出演者に元難民の人もいたようです)。

 作品は、2015年から2016年にかけてのカレーの難民キャンプの人々の様子を、キャンプの中に作られたアフガニスタンの定食屋を舞台に描く。各国から戦火を逃れた難民たちに、英政府の方針を批判するイギリス人ボランティアが加わり、様々なバックグラウンドを持つ人々によって民主的な自治組織が生まれ、キャンプは「ジャングル」と呼ばれる村のようなものを形成していく。海岸に突っ伏した男児の遺体の報道写真や、バタクラン劇場のテロによって世論が対極に揺さぶられる中、キャンプ敷地からの強制退去に伴う2016年冬の仏機動隊の突入までを、難民の一人Safiが語り手となって、ジャングルに何が起こったかをたどる。

 変則系囲み舞台で、四方から台詞が聞こえ(多くはオーバーラップして)、目の前の通路を俳優たちが走り回るという状態で、極端に舞台との距離が近く、その意味で観客の没入を促すような造りになっている。スピード感のある転換やナチュラルで活気づいた俳優の演技、定食屋を模した座席の美術は、私をキャンプのメンバーの一員であるかのような錯覚を起こさせるほどのアクチュアリティを立ち上げていた。バタクラン劇場のテロが起こった後、キャンプの人々が'pray for paris'と書いた紙を掲げるシーンは、ドキュメンタリー演劇ではないかとさえ思えるほど、現実の出来事を作中に入れ込んでいた。(ナイーブかもしれないがこのテロは個人的にとてもショックが大きかったので当時のことをよく覚えており、なおのこと印象深かったのかもしれない。)

 同時に、Safiの語りを初めとして、明らかに戯曲の言葉であるという台詞が語られると、これはフィクションだったのだ、と不意に引き戻される。それはショックでもあり安堵でもある。安心できるのは、中核の一つである、スーダンの少年Okotの英国への脱出をめぐる物語*2の末路が悲惨なゆえであり、ショックであるのは「この程度」の悲惨さでキャンプの様子を垣間見た気になっていた自分に気づくからである。

  少なくとも日本の人間として、作中に自分を属性的にアイデンティファイできる人物はいないのだけど、しかし共感を覚えるかというのも難しい。難民たちの過去や現在の苦痛はただただ想像することしかできず、イギリス人ボランティアの言動は「善意」のいやらしさを醜く映し出す。フランスの警察や役人の冷徹な対応こそ、日本と最も近しいだろうが、ここにキャラクタライゼーションはない。

 強いて言えば、私だけでなく劇場の観客全体が、「マス」の一部として埋め込まれていたように思う。センセーショナルな報道に動揺し、ハッシュタグで祈りを捧げ、しかしその実態さえもSafiのような語り手を通じてしか知りえないし、知ろうともしない。奇妙なことに、そのような大衆の一人として見ているときほど物語にのめりこみ、いや私はそんな人間じゃないはずだと冷静になるときほどふっと作品との距離が離れるようだった。

 とても面白かったのは確かなのだけど、上手く評価が説明できない作品でもある。そして、そういう矛盾のような作品構造がどのように成立していたのか、戯曲、演出、演技、美術や舞台装置、政治的テーマの関連も(これ、意外なほどはっきりと各領分がわかれている)どう切り取ればいいのか悩ましい。そのうち掘り下げた研究論文でも出ないかなぁと期待している。

*1:はい、How To Win...と同じ劇場でマチソワ観劇でした

*2:これ、戯曲と上演でラストが変わっています。上演では、Okotの脱出の手引きを手伝ったSafiが彼を裏切って、代わりに渡英を果たしたことになっています(つまり、強制退去後も無事だった人物として語り手を担っていると解釈できる)。ところが、戯曲の段階ではOkotが無事に脱出し、彼を特に気にかけていたBethとのイギリスでの再会を匂わすエンディングです。