The Prudes, Mood Music, The Writer

The Prudes 作・演出:Anthony Nielson、 Royal Court Theatre upstairs

Mood Music 作:Joe Penhal、演出:Roger Mitchell、 The Old Vic

The Writer 作:Ella Hickson、演出:Blanche McIntyre、 Almeida*1

 

感想が書けてないままの作品がたまってしまったので、数作品まとめて感想を書くという荒業に出ますが、The Prudes、Mood Music、The Writerです。いずれも広報やプレスレビューで「Metooもの」といううたい文句ががついていた作品ですが、それぞれ好対照で面白かったです。

 

Metooを直接的に扱う作品が昨年末くらいからにわかに増えてきている。おそらくこの傾向はまだしばらく続くだろう。さて、上記の三作品、前者二作はin-yer-face世代の男性作家A. NielsonとJ. Penhall によるもの*2、The Writerは若手女性作家Ella Hicksonの作。まずは、The PrudesとMood Musicを。

The Prudesは中年夫婦の二人芝居。昨今の(特に性生活をめぐる)フェミニズムの盛り上がりを受けて、夫は「セックスが出来なく」なってしまっている。自分と妻は確かな同意の上で性行為を行っているのか、セックス中に自分が彼女にしていることは「暴力」ではないのか、自分の欲望を満たすことで妻や過去の恋人たちの尊厳を損なってきたのではないか…と、とにかくあらゆる自らの言動に自分で判断をつけることが出来なくなってしまっている。そんな「セックスレス」な夫を、妻はまぁまぁとなだめながら、これは暴力じゃない、これは私が望んでやっている、と一つ一つ言い聞かせつつ行為に臨もうとする。だが、しょうもないコスプレ趣味に呆れた顔をしてみれば、やっぱりこれは「ハラスメント」なんだー!と夫に大騒ぎされ、セックスレス解消の話し合いは振出しに戻る…。

昨今のセクハラ追求の流れに対し、ささいなことで過剰反応し、自分は加害者なんだ!(でもこんなささいなことでハラッサーにされてしまうという意味ではこの性差別社会の被害者なのだ!)と過剰に罪悪感を抱く男性像がコミカルに描かれ、賞味期限の短い(そうであってほしい…)テーマでさくっとシニカルな小品を描けるニールソンはまだまだ現役、と思う。ただ、当然こうした男性像にシンパシーを感じさせるような作品がそう歓迎されるわけでもなく、(当時)ガーディアン紙のリン・ガードナーはフェミニストの視点からきっぱり批判し二つ星の低評価をつけている*3

個人的には、少なくともこの一年の英語圏のmetooムーブメントを見る限り、「ガス抜き」としてこうした作品も必要だろうと思っている。もちろん、ずっと必要だとは思わないし、今作がもし再演されるときにはかなり批判的な演出をつけるべきだ。ただ、個人的な嫌な思い出に過ぎないものの、こういった「ガス抜き」が上手くいかなかった男性に当たられた経験があり、それに対処するのはかなり精神的に消耗した*4。そんな息苦しさに同情なんかするな、という向きもよくわかる。でもこの数年、少なくともSNS上のジェンダー・セクシュアリティ問題に関する議論は(良し悪しとは別に)相当にラディカルなスピードで進んでいる。急激な社会の変化に耐えられない人がいることには、その適応を待つ、という判断も場合によってはありなのではないかと、個人的には思う。The Prudesはそういう機能を持つ作品だな、と思うし、その意味で、とてもとてもコンテンポラリーだ。

 

Mood Musicも、やはりin-yer-face世代の男性作家、ジョー・ペンホールによるmetooもの。こちらは明確にショービジネスの世界を舞台としており、若い女性シンガーソングライターとベテラン男性プロデューサーとの間の確執と性暴力を、当事者二人、両者のカウンセラー、両者の弁護士の三組六人の対話で描き出す。会話を細切れにする独特の劇作は、深刻なテーマに感傷を含ませず、歌手―プロデューサー間の、恨みや憎しみ、負の感情に交じる否定しがたいかつての信頼関係の混濁をも、ドライに「ビジネスライク」に描き出す。

これを製作したのはThe Old Vic。まさにMetoo問題で告発されたケヴィン・スペイシーが前芸術監督だった劇場だ*5。感心している場合でもないが、しかしこちらの劇場の自浄作用は強く、反応も早い*6。Mood Music自体は今回の問題への完璧な応答ではないと、個人的には思うのだが、しかしこのテーマでこの期間で、きちんとクオリティを出してきたところはまず評価すべきと思う。

なぜ完璧ではないか。この男性プロデューサーが、若い女性シンガーをビジネス上搾取しまくった上に、性的にも辱めたことが作中の会話からうかがえる。もしそれがすべて事実ならば(そして弁護士らの応対を見るにおそらくそれは事実なのだが)このプロデューサーは一刻も早く業界から追放されるべき「悪人」なのだ。たとえ音楽、マーケティングの才能はあっても、情状酌量の余地はない。天才こそ「サイコパス」という言説が批判的に用いられるけれど、逆に言えば天才だからこそ人格破綻していても「芸術業界」では生き残るチャンスがあるわけだ。

エンディングでは女性シンガーの方が示談に妥協し、業界からも身を引くこととなり、プロデューサーが業界に生き残るという究極のバッドエンド。しかし、ここまで「男性(業界人)」を「悪役」として描き切るというのは、それもまたガス抜きになるのではないかという思いがよぎる。おそらく観客のほとんどは男女の別なく、このプロデューサーのような人間には自身の「加害」の可能性を見ることはないだろう。ことはそれほど単純ではない。特定の人に対してはハラッサーである人が、別の人々にとっては親友であったり恩人であったりすることはものすごく多い。周囲の人間全員一致で悪人認定が出来ればどれほど良いか、というハラスメント案件は本当にきりがないのだ。だからこそ人間ともいえるのだろうが、だからこそ「完全な悪人」はある意味幻想的でとてもフィクショナルな造形でもある。Mood Musicの欠点は、仮想敵をそのような「ありえない(そんな例は極々わずかな)」キャラクターにしたことだろう。バッドエンドはせめてもの現状の反映だろうが(これで勧善懲悪ものだったら私は一つ星をつける)ここまでの悪人像をもって描かれる芸術業界の膿のなかでは、小悪人を見逃しかねない。

 

さて、The Writerだ。冒頭のキャッチーな「劇中劇」に登場する典型的な演出家-女優のセクハラ関係はmetoo問題どまんなかである。中心キャラクターが女性劇作家であり、彼女の視点から、作家として自立すること、男性演出家との対峙が描かれることも、昨今のショービズ界の議論の意識的な反映だろう。ただ、この作品において芸術業界のセクハラ問題はあくまでも「導入」にすぎない。女性劇作家の視点を通して、芸術家がいかなる搾取もなく作品を作り上げるとはどういう状態、状況、環境を指すのか、語弊を恐れずに言えばmetooよりもはるか先の問いを見通している作品だ。

冒頭で演じられる演出家と女優の劇中劇を書いた女性劇作家の、「複数の」生をこの作品はパラレルに描く。ある時は、自作のプレゼンテーションを男性演出家に乗っ取られてしまうような言葉を奪われた人物、ある時は主夫と思しき男性パートナーと生活を共にしながら創作ポリシーと「売れる」作品のジレンマに悩む人物、ある時はマーケティングと作品解釈をめぐって男性演出家と対等に議論を交わす人物、そしてある時は作家として大成しパワーレズビアンとして高級マンションにパートナーと悠々自適に暮らす人物。どの「彼女」も、おそらく冒頭の劇中劇のピースを書いた人物だが、その生のあり様がマルチプルに存在し、そしてその描写は徐々に保守的なイメージから革新的なそれへとスライドしていく。

The Prudes、Mood Musicともに、男性と女性の優劣の関係は揺らがないまま(もちろんそれは今の社会情勢において間違ってはいない力関係だ)であるのに対し、The Writerは、「立場によっては」女性が搾取の側に回ることもある、ということを、まさにmetooの現場である芸術業界を舞台に描き出す。白人で長身の売れっ子女性作家が、黒人で小柄で定職のない女性パートナーにしか欲望を抱かないとき、その関係は女性作家のパートナーへの愛なのか、ただ社会的に構築された欲望に突き動かされたのか判断などできないとき、その作家が「フェミニズム」の作品を書くとはどういう意味を持つのか、今作の問いはここにまで及ぶ。最終パート、レズビアンである女性作家のパートナーが、ピカソのゲルニカのエピソードを切り出す。曰く、彼はこの反戦の大作を描いていた最中、自分の愛人たちが喧嘩するのを笑いながら眺めていたのだと。作家の人格はその作品は別物だと、私は考えている。でも、その作品が政治的メッセージを持つとき、その政治性に関わる当人の振る舞いはどこまで正当だと見なすことができるのだろう。その問いには当然ながら女性も逃れることはできないのだと、ヒックソンは強く訴える。

 

metooムーブメントは今も進行中だけれど、作品のモチーフとしては当たり前ながら「ブーム」に終わらせてはいけない。性差別、性暴力の解決に向けた一連の動きは、現在問題として挙がってきている個別の事件への対応と同時に、なぜそのような暴力が可能となってしまったのか、を問うていく作業でもあるべきだ。三作並べて、最も若手で女性作家であるヒックソンがこの点に一番鋭く応答しているのは、当然の成り行きとも思いつつ、皮肉にも感じられる。でも、こんなにもわかりやすく「次の世代」が現れていることに、私は少なからず期待と希望も持っている。

 

 

*1:ところで今春~年内上演予定のアルメイダの演目、リバイバルや海外招聘を除けば、ほぼ全て女性作家、女性演出家が手掛けています。

*2:あまりin-yer-faceということを強調しすぎるのもどうかとは思うのですが、ただ彼らが(いかなる表現上の意図であれ)露悪的にゲイセックスや性暴力、それに伴うミソジニーといった「男性的」な主題を書いていたこと、それらの要素がこの用語をカテゴリーとして機能させていたこと(=彼らがそれを武器に作品発表の場を得ていたこと)はこの文脈では無視できないと思います。

*3:The Prudes review – a couple's very public attempt to revive their sex life | Stage | The Guardian

*4:なまじ当人は義憤に駆られての結果だったりするわけで、私も何が問題かをちゃんと話したいという気持ちはあるものだから、きちんと言い返すことは出来なかった。少なくとも当時は。

*5:とはいえ、パンフレットの現芸術監督のメッセージには、今作のセクハラ関連のテーマに一切言及がなく、いや怖い世界ですわほんとにと思いましたです。

*6:ちなみに最も早くこの種の問題に取り組み、成功例(例えばハラスメント問題に対するガイドライン)も失敗例('Rita, Sue and Bob Too'の上演中止→撤回のプロセス)も出したのがロイヤル・コートだと思います。これ、別項立てて書いた方がいいかなとも思ってますが。