Lefty Tightly Righty Loosey by Fin Taylor at Soho theatre

観劇日:11月20日21時15分*1

 

 今週、ソーホーシアターでめぼしい演目は実は他にも二つあって、一つはUrsula Martinezら女性パフォーマー三人がお尻を向けてるポスターがインパクトあるWild Bore、もう一つはヴァギナモノローグのオマージュと思しきThe Butch Monologues。おそらくフェミ的安パイだろう上記二作に少し未練を残しつつ、思い切って賭けに出たのがこのフィン・テイラーさんのスタンダップだった。*2 *3

 今年のエジンバラフリンジが初演で、すでにそのレビューもいろいろ出ているのだけど、今作のアイデアを知った瞬間、これたぶん観とくべきやつや…の勘が働く。そのアイデアこそ「ぼく、左翼でいるの止めます」という冒頭の(文字通りの)パンチラインである。

 終わりの見えないポリティカルコレクトネス、際限なく増えるアイデンティティポリティクス、社会に特に影響を及ぼさない反資本主義的営為の「矛盾」をたたみかけ、結局思想というものはこの多文化社会を変えることはなくて、それを覆い隠すユートピア的ヴィジョンなんだ、と皮肉で締めてくる。

 もちろん、シニシズムに陥ってそれきりだったら、拗らせたノンポリとか確信犯的右派とかと変わらないわけで、中盤近くまで結構警戒しながら聞いていた。だけど、シスでストレートの男であることの「特権」って「罪」なのか?、と語る姿勢にはジョークと思えぬ真摯さがあって、もう少し見ていようと思った後半から、本当に落っこちるんではないかというレベルの崖っぷちを全力疾走するエピソードをぶちこんできて、政治思想を「持たない」とはこういうことを意味するのかと、口元が引きつる。あぁあなたの態度はただの拗らせやシニシズムではない、もっと深いところから考えこんで捻じれてブチ切れたのですね、と降参してしまった。(どういうネタだったかは、さすがに私も自分のブログに書くのははばかられるので、書きません。)

 わりと個人的な経験にがっつり刺さってしまってしまい、時に笑いを超えて、うーわーそれめっちゃわかる泣笑怒、というゾーンに入り、なんかあまりコメディを見た気がしないぐらいだった。自他ともに認める「リベラル左派」の人に足を踏まれた経験は一度や二度ではないし、私自身がそういう振る舞いをしてしまって途方に暮れることもあった。矛盾を突き詰めていくほど矛盾して、左派止めます宣言できたらどんなにいいだろうかと思ったことはある。でも当然ながら、私がそれをやっても拗らせた文化人たち以下にしかならないのも容易に想像がつくし、テイラーさんのように腹をくくれないのなら(もちろんそれが理想的とも思わないけれど)ただただぐるぐると悩むしかない。

 ひとつ例を挙げると、テイラーさんが黒人の友人と飲みに行ったとき、お店でブルースの演奏をしていたミュージシャンがみな白人で、友人が「これって文化収奪だよね」と言ったというエピソード。この種のPCの指摘に対する応答を私はずっと考えていて、いまだに答えはない。(エピソード中に語られるテイラーさんの答えにも、私は完全には同意できない。)文化芸術研究の仕事とはそういう問題を延々と考えることなのだ、とたえず確認し直すことが私にとっての政治的態度の在り方だし、テイラーさんが「左派止めて」もなお政治に関して全然楽になってないのも(そしてこれをコメディとしてしまうことも)彼の政治への向き合い方なのだと思う。

 ショウの途中で、テイラーさんが年下だとわかりすごい驚いた(1990年生まれかな)。30歳は超えてるだろうという誤解は、むすっとした髭面の宣材写真だけのせいではないと思う。この人がこの先何を考えていくんだろうと、とても気になっている。

*1:「月曜の夜にわざわざ!」といじられました。

*2:コメディ関係の情報はイナムラさんにお世話になっております。リンク:Go Johnny Go Go Go Part II: Fin Taylor

*3:あと、Wild Boreはこの評判だとバーミンガムツアーありそうだな、という気がしている。テイラーさんもあるかもだけど、こっちのコメディアンの人のツアー形式がまだよくわかってない。