Edinburgh Festival Fringe & Edinburgh International Festival 2019 観たものまとめ

 

 鮮度が命、と観劇の合間にビールかっくらいながら連投している感想ツイートです。誤字脱字や事実誤認の修正と多少の補足(米印(*)以下、長い)をつけて、観劇まとめとしておきます。今年の滞在は8/2-3、8//16-23。EIFの演目がひと月の間に散っているため、8月頭はミロ・ラウを目当てに飛んだのでした。

 タイトル、カンパニー・アーティスト名は検索可能な範囲で多少省略しています。観劇日時はめんどくさいので省きます。並びはほぼ観た順です。

 (いつものことですが)ネタバレの配慮は全くないので、今後UKツアーで回る作品を見ようとしている方は一応気を付けてください。

 

Suffering from Scottishnes, Kevin O Gilday

 スコットランドパトリオティズムを全うに語ろうとする、という意味で今やるべき作品だと思う。濃い内容だった。んだが、見せ方の拙さがかなりの減点。客いじり苦手そうだからモノローグにすればいいのに。

 *スコットランドシティズンシップテスト(これ私も初めて知ったんですが、スコッツあるある的な一種のジョークではあるものの、スコットランド独立投票の際に盛り上がった「ネタ」なのだそうです)に観客が解答するというフォーマットを取り、スコットランド人としての愛国心を刺激していきます(もちろんお客さんのアイデンティティはいろいろ)。それと並行して、スコットランドが抱える社会問題、特にウィスキーの名産地であることと裏表にあるアルコール依存症の問題がクライマックスに取り上げられ、加えてこのご時世にスコットランドが置かれている微妙な立ち位置と、イングランドのパフォーマンスとは角度の異なるブレクジット批判が展開されるという構成。なんで、内容は面白かったんです、内容は。

 

 

Lucy McCormic: Post Popular

 キャンプの極みみたいなフェミクィアパフォーマンス。笑って笑えます(泣けはしない)。「強い女性」のロールモデルを歴史上の人物から探していこうというのが大枠(枠でしかない)。ドタバタオルタナコメディで突っ走りながらも細部まで計算された構成が小気味よいです。ラストは必見。これ、感触としてはI'm A Phoenix BitchのB.キミングスと好対照という感じ。陽のフェミパフォーマンスというか。キミングスの今作はシアターアズセラピー的にはあまり評価できないということもあるんだけど、全体としてもマコーミックのが私は好き。

 

*元々、こちらで聴講したフェミニズムシアターの授業で紹介された人だったので、もとより期待値は高く、それに応えてくれる作品でした。デッドパンの男性パフォーマー二人を従え、アダムとイブから始まり、ケルトの女王ブーディカ、ナイチンゲール、メアリー・スチュアートと、悲劇的な最期を遂げる歴史上の女性たちを観客も巻き込みながら「なりきってみる」(この演じるでもモノマネでもないあたりが相当にうまいです)。時系列にやらないとこのショー何が何だか分からなくなるんで、と言いながら突然の休憩やお客さんと仲良くなろうゲームをはさむというやりたい放題の末、メアリー・スチュアート斬首の場面で「今ナイチンゲールの時代から300年くらい一気にさかのぼりましたけど所詮時間という概念は男の構築したもので、」とかまして死ぬ。私はこの台詞が大変気に入り、今年のエジンバラで時間に関わる気に入らない演出が出てきたときはこれをぶつけるようになりました。ラストはInterior Scrollへのオマージュで締め。かっこいいっす。

 今作の評価も高いですが、新約聖書のリナクトメント(?)をやる前作Triple Threatを観た人が前のほうが良かったと言っているのはいくつか目にしました。

 

 

Ciarán Dowd: Padre Rodolfo
 面白かったけどタイプではなかったというか、キャラクターコメディそんな得意じゃないのに気になっちゃって…。思いの外王道でベタな感もあるけど、着実にヒット打ってくところは強いなぁと思う。フクロウ良かった。

 

*なんで得意じゃないのに観に行っちゃうのと聞かれたんですが、時々なんか無性に観たくなるんです…。ちなみに一番好みのコメディフォーマットはスケッチです。

 

 

Michael Legge: The Idiot

 前半あんまりピンとこなかったんですが(お客さん少なかったのもあるかも)北アイルランドネタになってから俄然エンジンかかりました。アグレッシヴに飛ばす反面、不思議と愛嬌のある人で嫌な気分にならないです。レッグさんといい、昨日のスコティッシュネスのギルディさんといい、ガチブレグジット話題はイングリッシュ勢以外から聞いてる。超サンプル数少ないながら、今年この傾向なんじゃという気が。(Kieran Hodgsonもっかい行こかな…)

 

*結局この予想はわりと当たって、ブレクジットに関わるヒット作はあとSh!t Theatreくらいかと(彼女たちはイングランド)。下の方に張り付けているThe Stageの記事が、政情がころころと変わる中ブレクジット物の新作は作りづらかったのではないかという指摘をしています。

 ちなみに名前を挙げているKieran Hodgsonは去年の『'75』というコメディショーでイギリスが最初にEC/EUに加盟した時の政治をネタにしています。今年は結局行かなかったんですが、私は去年のエジンバラ、今年3月のバーミンガム公演と二回見て、当たり前ですが全く印象が違ったので、これは当面彼のレパートリーになればいいのにと思ってます。

 

 

La Reprise: Histoire(s) du Theatre (I), Dir. Milo Rau

 ゲイ男性が暴行殺害された実際の事件についてのドキュメンタリーを製作するというコンセルヴァトワールが舞台。プロアマチュアの役者を交え、リサーチを深めながら作品を作っていく…、とすらすら書けてしまうくらいに、ぱっと見にはとてもコンヴェンショナルな演劇。でも冒頭から一貫して「演じる」「再現する」ことはどういう行為状況なのか、手品の種明かしを先にしてしまうように繰り返し、素に戻すかのようなサインを出してくる。どこまでが演劇なんだっけ、いや全部お芝居だよね?みたいな素朴な問いがずっと頭から離れない。あいトリはもちろん行けずですがインタビュー読む限りの印象だと、ドキュメンタリー演劇(またはある種の参加型演劇)が演劇の慣習から離れてやろうとしてきたこと(*当事者でなければ語れない/語るべきではない、代理表象の限界みたいなこと)を演劇のアプローチでもう一回やる、というのが芯なのかなと思った。だから、死んだ人がいる事が重要なんだろうとも。古典的な意味で悲劇をやる(悲劇を通してやりたいことがある)人なんだなと思うし、その意味で悲劇しか作れないのではないかとも思う。

t.co*参考までにTime Outのレビューを(一番的を射ているかなと思ったので)。なんとなく、これを観てから今年の私的エジンバラのテーマは(ドキュメンタリー演劇なども含む)リプリゼンテーションだなぁと今になって思います。あと、ちょっと穿った言い方をすれば、いわゆるポストドラマ的なアンチ代理表象問題からの揺り戻しともとれるので、今作の英批評家からの評価が高いことにはすごい納得できます。 

 

 

8:8

アイデア先行で中身はあんまり…。これやるならプロの役者でもっとガッツリ観客とコンタクト取ったほうが良い。ネタバレを避けつつだけど、私と対面になったパフォーマーの人が途中でちょっと泣き出して(そういう場面ではある)、たぶんお芝居でもなさそうで、なんかすごい後味悪い。

 

*観客、パフォーマーそれぞれ8人が相対し、パフォーマーの個人的な経験を直に聞く、という仕掛けですが、ちょっと直接過ぎて、申し訳ないのだけど私は全く乗れず。

 

 

Oedipu, Dir. Robart Icke, International Theatre Amsterdam

 アイク版/演出。これ、同じくITA製作のサイモン・ストーン版/演出のメディアと全く同じ印象を受けたので、もしかすると劇団の方向性かもという気がするんですが、ともかく不合理な行為とか人智を超えた出来事に整合性をもたせる翻案て、アイデアには感心するんだけど、相手の解釈をただ聞いてる感じになってこちらの想像の余地がないので、その意味で私はあまり良いとは思わないです。あと、翻案のひねり方が原典の違いを差し引いてもストーンよりアイクのがかなりストレートでそれも予定調和感があるというか、私の方にはもっと期待があった。(いや、政治家のスキャンダルに、父殺しプロットナシにして近親相姦タブーでラストまで持ってくって、そりゃこのご時世その変え方ってわかるけどさぁ、っていう。)野鴨ではこういう印象を受けなかったので、アイクの関心は人の世のことに向いているんじゃないかなぁと思う。神はとっくに死んでるというか。近代初期ぐらいの戯曲やると面白いんじゃなかろうかとも。

 あ、あとストーンのメディアは人の来し方が見えて(というか原典細部まで拾うとそうなるのだろうけど)あのラストでも納得はいったんだけど、オイディプスってその次にアンティゴネ控えてるって思って、設定変えず王室のままでよかったのにと。あと、政治家が出生証明を出すという筋立ては、ドラマの展開としてはわかるんだけど、じゃぱん人というか少なくとも個人的には例の戸籍や国籍がらみの話を強く思いだしたので、ドラマでもそれ言うのはちょっとなぁと思った。

 あとね、オイディプスの装置を見て真っ先に私に浮かんだのは、L.マコーミックの、最初にわたし時系列に歴史をたどるって言ったけど今いきなり300年くらい遡ったのは、そもそも時間なんて概念は男が作りだしたもんだからでギャー(メアリー・スチュアート斬首)、のくだりです。

 

*あと、字幕がクッソ見づらいという愚痴もツイートしてました。政治家の国籍/出生地問題って日本以外にも嫌な例があるのだと教えていただき、アイクはその点を批判的に組み込んだってのは納得しました。血をめぐる問題が、王家の設定のままと、民主主義社会における一政治家への翻案とどちらが効果的に映るのかはもう少し考えたいです。特に古典の現代化翻案で結構クルーシャルな点ではないかと思うので。

 

 

Rust

 ブッシュでやった時見逃したんだよなと思って入れたんですけど別にわざわざ入れなくても良かったかも汗。不倫カップルがダメになってく話でそれ以上でも以下でもないというか(そもそも拗れロマンスがそんな好みじゃないし)。ただ少し気になったのは、会話のテンポと響きでガンガンシーンを引っ張って行って、人物の内面や背景に描写を割かないって手法。すてぃーぶんすも時々やるんですけど、割とメジャーな作劇スタイルになってるのかしら。これ、戯曲に疵があるのか役者演出がダメなのか判断つけにくいんですよね。

 

 

 Total Immediate Collective Imminent Terrestrial Salvation, Tim Crouch, National Theatre of Scotland

 素晴らしい構成でメタシアターを作り出し、その構成の巧みさが正しく機能する意味できちんとシアターというとても面白い作品。この仕掛けを動かすための物語フレームなので、世界の終わり的な設定は気にしなくていいです。でもカルト宗教教祖のクラウチは見もの。クラウチさん、ラスト20分の出番で全部持ってった。本を読む、という作品の前提がここだけ崩されるほど。モノローグの名手です。

 

*観客一人一人に一冊の本が渡され、全くその本の通りに作品が進むのですが、同時にその本を手にしている私たちは今どこにいるのか(作品の一部なのか、作品を外から眺めているのか、あるいは物語の設定のベースである「予言」に沿っているのか)を揺るがし続けます。物語を楽しむのではなく、こうした構成の上手さを楽しむ作品だと思うので、期待がずれてると退屈かもしれません(クラウチさんはしばしばこうした期待と違う批評家を呼び込んで一つ星つけられたりしています)。でも、なんでそんな人がまぎれちゃうかというと、そこはクラウチさんのモノローグ、ストーリーテリングのずば抜けた上手さだったりして。

 

 

Baby Reindee by Richard Gadd

 作品の途中であっ!という箇所があってこれ全編ガチの話だと思って観て、その点同行の友人とは見解が一致したものの、その後別の友人と感想を話したら事実ベースのフィクションではとの意見が返ってきてえっ!ってなるっていう。もちろん真相は彼のみぞ知るわけですが。一緒に見た友人の、今作はこの種のサイコパスへの究極の切り札だったのではないか、という意見はとある個人的な経験を踏まえても腑に落ちた。各エピソードが生々しすぎて胃が痛くなるほど。全部フィクションだったら天才的な書き手だし、実話ならこれからの人生本当に幸せであって欲しいと祈る。どちらにしたってとても面白い「戯曲」だし、ガッドさん自身も名演でした。

 作中、個人情報がSNSでストーカーにばれるという描写がちょっとギャグっぽく出てきて、実際受けてたんだけど、この種の事件で被害者に自己防衛の過失なんてないよと、複雑な気持ちになった。そういうところはポリスメンの対応の部分でも散々描かれるんだけど。

 なんか、一晩経ってこの作品をフィクションの程度が高いと思う観客が多そうである、というのが色んな意味で面白いなと思う(私も彼の過去作観てなければそう受け取ってたかもだし)。例えばドキュメンタリーシアターで、経験の真正さを疑うのはかなり危険な問いだと思うんだけど。今作は一人芝居のフォーマットがしっかりあるけど「関係者のインタビュー」とかフィクショナリティを揺るがす要素もあって、それ見る側はどこでどのようにどの程度、この話がマジかどうか判断してるのか気になる。

 で、これはフィクションじゃないかと思わせる理由の一つは、やっぱこれ男性のストーカー被害の話だからだとは思う。
 
*これは言いたいことがたくさんあるので別稿立てようかという気もしつつ、内容的にあんまり詳しく書いちゃいけないんじゃないか、いや書いても書かなくてもいいよう計算づくでガッドは作っているんじゃないかといろいろ考え込んでいたりします。ツイートで散々書いているように、個人的にはこの作品が少なくない観客にとってフィクションと取られているらしいという驚きがあり、とはいえ、では作中のどの要素が彼の語りの「本当らしさ」を保証していたのかと思うと、突き詰めるほどにわからなくなっていくんですよね。かといって、これまでのガッド作品を知っているから楽しめるというタイプのものでもなくて、この点すごく巧妙に作られていると思います。ガッドさんのパフォーマンス自体は一本筋の通った雰囲気があって観ていて気持ちいいです。
 
 

Shenanigan, Daniel Kitson

 これまで見た中で一番好きかも。ゆるく時系列のナラティブを作りつつ、エピソードのチョイスはランダムぽく見せる。作品を振り返ると、昔近所のおじいちゃんが話してくれたあの話をふとした時に思いだす的な、独特の印象付け方だなと思う。お客いじりは、楽しんでやっているのか、実は結構神経質なのか、どっちなんでしょね。いやめっちゃ笑ったけど。

 

*近所のおじいちゃんが…で何が言いたかったかというと汗(酔って深夜のツイートが意味わかんなくなる典型)、印象深い出来事を思い出した順に語っていくんだけれども、語っていくうちにひとつのまとまりのようなものが出来てくる、という形。そして聞いている方も、その全てのエピソードを覚えているわけではなくて、自分にとって印象深いお話を、意識的に選ぶんじゃなく無意識に持って帰るという。そんで、ふとしたときに思い出す感覚というのかな。

 

 

Moot Moot

 私この二人でピンターやればいいのにって思った。そういう良い雰囲気のある人たちです。ラジオDJの設定やメディアの使い方もアイデアは面白いんだけど、設備悪いからめちゃくちゃ聞き取りづらいのが残念。ピンターの後期作品というか、ドンピシャapart from thatを思いだしたのですがこれが5分ほどで終わるのに対して、今作1時間ってのはやっぱ長い。でもこのセンスのまま進んでくれるなら次作も観たいな。

 

*一緒に観に行った方が、Forced Entertainment の Real Magic を思い出したと後日ツイートされていて、まさに!と思いました。不条理演劇的ナンセンスのラインにきちんとはまっている作品です。

 

 

Julius 'Call MeCaesar' Caesar, Andrew Maxwell, Owen MaCafferty

 ソロバージョンにリライトされたジュリアス・シーザー。O.マカファーティ新作って期待があったんですが、意外なほどに原典そのままだったので拍子抜け。A.マクスウェルはスタンダップぽさを残しててそれはそれでありなのだけど、個人的にはコメディに寄せない形を見てみたかった。

 

*まかふぁーてぃ…。今回、ジョナサン・ハーヴェイも振るわなかったので、ベテラン作家の新作はあんまり当たりを引けてないです。

 

 

Cardbord Citizens: Bystanders

 まともに悼まれることも報じられることもなく亡くなるホームレスの人々の半生/生涯を扱ったポリティカルパフォーマンス。あの、ほんとはもっと色々と言うべきことがあると思うのだけど、これ見る直前に昨夜のbaby raindeerがなんでフィクションだと思われるか問題を考え込んでたもんでドキュメンタリー形式のことばかり意識が行ってしまった汗。でも、なんでこの作品だとパフォーマーが「(関係する人々の)言葉を変えずに語る」って言うのやモデルとなるホームレスの人たちの人生の年次とかをスルッと信じられるのかって思うと、改めてドキュドラマが不思議。

 

*観た直後は延々ドキュメンタリーとは?と考えていたタイミングなのでアレなのですが、緻密なリサーチと問題提起の上手さはポリティカルパフォーマンスとして秀逸でした。

 

 

Die! Die! Die! Old People Die!, Ridiculusmus

 これ、ちょっとまだまとまらないというか、absurdityの極みみたいなやつで、面白いかはともかくよそにはないものだった。老年の男女3人の生活の断片を並べて、その醜さ汚さをただただ見せる。物語も人物背景も描写はなくモラル的なものやセンチメントはゼロ。容赦なく露悪的。スクリプトを買ってみたのだけど、今パラパラめくる限り、これたぶん読んでもわからないやつだってなってる。

 はこぶねでやってたときのペニノ、に近いような気がするんだけどもう酒が入っているので(shit theatreで飲まされちゃったし)気のせいかもしれない。

 

*これ、各紙のレビューを読んでもどう評価してるのかよくわかんねぇなってなって、もう謎枠に放り込んで寝かすという状態になってます。日本の演劇に親しんでいる私の知人友人でこれを良いという人(&きちんと言語化できる人)がいるような気がするので、誰か見てください。私がその評価を知りたい。

 

 

Sh!t theatre Drink Rum with Expats

 これはめっちゃ良かったです。去年のドリー・パートンから格段にレベルアップしてる。私たちマルタに移住したい!と現地のイギリス人「移民'expat'」を取材していたら…というところから今現在のUK/EUの問題にクリティカルに繋げてくる。破天荒な芸風はキープしつつエンタメに出来ない部分っていうのをきちんと守って1時間強のショーにまとめるのがほんと上手かった。個人的には「なぜ目を閉じないの?」という1センテンスが冒頭とラストで意味合いがガラッと変わるところに、スクリプト燃えが刺激されました。

 

*これは今年ベスト3ぐらいに入れてもいいんじゃないかと。マルタに移住したイギリス人移民'expat'の話から、マルタの永住権・国籍取得が抱える問題、地理的に不可避なボート難民/移民'immigurant'の問題、そしてパナマ文書を追ったジャーナリストの殺害、がてんでばらばらに提示されつつ、徐々に一本の線につながっていくとても上手い構成です。全編通してめちゃくちゃ明るく、ガンガン笑いを取っていくスタイルですが、そのテンションを維持しつつ丁寧にマルタ、ひいては今のイギリス、EU問題を描き切ってます。

 

 

Art Heist

 ウェルメイドなドタバタコメディ。エッジィな刺激はないけどfun!fun!て感じで良いです。ちょっと荒い?って思ったところもあったんだけど、まだ結成数年の若手カンパニーだったのでまぁいっかと。出演メンバー4人はそれぞれキャラがあってチャーミング。

 

 

Raven, Still Hungry and Bryony Kimmings

 元気なキミングスが帰ってきた泣。3人の女性アクロバッツが抱える仕事と子供を持つことの葛藤を時に激しいアクションを伴うパフォーマンスで見せていく。キャバレーの衣装でタバコ吸いながら空中ロープでダイナミックに回転するカッコよさも、洗濯物をジャグリングしながら畳む可愛さも、その裏に彼女達が妊娠以来周囲から言われ続けてきた言葉の数々を思うと切ない。あと、アクロバットってトレーニングとかアスリートに近いところがあるようで、役者やダンサー視点とは少し違う形で舞台人のマザーフッドが語られてる気がしました。

 キミングス、こういう演出とか他の人と組む仕事もっとやればいいのにと思う。今回フリンジに出してる作品も含め、ちょっと心配になるオートバイオグラフィの掘り下げ方をして来ていたので。希望とユーモアがあって、でも痛いところもちゃんと見せる良い舞台だった。

 

*キミングスは今回 I'm A Phenix Bitchでもソロで参戦してて、それは私はBACで観たんですけど、クオリティとは別にあまり評価できず。というのも、彼女の経験の掘り下げ方がかなり閉鎖的で作品になり切ってない、かといってその上演がセラピーとして機能しているとも思えないという印象を受けたんです。(自分の身に起こった不幸をパフォーマンスにすること自体は基本はありだと思ってます。)(あと私が観たのは初演時なので今は少し変わっているかもしれないです。)自分と似た問題意識を持つ人の経験について演出という立場で加わる方が、少なくとも今の彼女には良い方向なのではと思いました。

 

 

Mythos: Gods, Stephen Fry

 うっせー!ミーハーで何が悪い!というわけでフライ御大、ギリシャ神話を綴る近著をベースにしたソロパフォーマンス。ぶっちゃけ後々オーディオブックになるんじゃないかと思うんですが、生スティーヴンを一目見に、でいいんですそれが全て。ちなみに今日観たのは三部作のうちのGod編。休憩時間中、指定のメルアドに質問を送ると第二部冒頭でスティーヴンが抽選でオラクルを告げてくれます。ステージ進行もプチインタラクティブな仕掛けがあったりして、わくわくした。

 

 *オーディオブックも買っちゃうんじゃないかと思う。残りの二編(英雄と人間)も気になるし。

 

 

Vigil, Mechanimal

 去年鳥のパフォーマンス(ZUGUNRUHE)がヒットだったので面白さを確認しに今年も。もっと評価されるべきと思います。レッドリスト記載生物の英名(*和名と同様、見た目や動きの特徴を名前にしているものが多い)だけでどんな生き物か想像して動いてみるというユーモラスで残酷な皮肉が導入。膨大な絶滅種のリストを前に、ここに至るまで人間が何をやってきたのか誠実で謙虚に、でも卑屈にならず淡々と見せていく。これ前作もそうだったけど、今すぐ止めるべき環境破壊は戦争だ、というメッセージは衒いなくて良いなと思います。

 

*エコロジーや環境問題についてのパフォーマンスでは、今年観た中でダントツで良かったと思うんですが、どうもあんまり大手メディアで紹介されてないんですよね。もったいない。

 

 

Are we not drawn onward to new erA, Ontroerend Goed
 広義のエコロジーテーマと言っていいと思うんですが、Vigil見たあと振り返るとぬるいなと思う。最終的な打開策は人類がいなくなることって逆に傲慢な考えでは。大きな仕掛けがあって、それがテーマにも関わる大きな見せ場ですが、これについてもやはり私はマコーミックの、時間という概念は男による構築物、というパンチラインを投げておきます。私が気に入らないというだけで全体のクオリティは高いです。

 

*これ、もうネタバレていいやと思うんで言いますが、逆再生(すなわち人類が今までしてきたことを元に戻す)がキーなんです。マコーミックが大変便利なツッコミになっていますが、エコロジーをテーマにして時間の概念を人が操作するという仕掛けはあまりに人間中心主義的すぎやしないかと思います。

 

 

Purposeless Movement, Birds of Paradise

 バーズオブパラダイス、去年はエンタメミュージカルに潜んだボディブローでしたが、今年はナイフで刺してくるかのようなフィジカル&オートバイオグラフパフォーマンス。スタイル全然違って同じカンパニーかと思うほどだけど向かう方向も問も堅くブレてないしより鋭くなってる。ちょっと観終わった後呆然とする衝撃的な作品で、今ビール飲んで精神統一をはかってますが、マイレフトライトフット同様、作品の面白さを減じるネタバレになるため内容は黙ります。でも、マイレフト〜観た人ほどショックを受けると思うしぜひ観てほしい。再びの日本公演を祈ります。

 記録として。私が見た回では上演開始しばらくしてトラブルのため一時中断(出演者がてんかん発作を起こしたようだった)。体調の判断と復帰の時間含め15分くらいの間をおいて再開しました。

*インディペンデントのレビューが、核心を伏せつつ良くまとまっていると思います。

t.co*これはネタばれられません。観てくださいとしか言いようがない。脳性麻痺による身体障がいを持つパフォーマー達のオートバイオグラフィパフォーマンスですが、タイトル通り身体の(不随意な)動きがテーマでもあるのでフィジカルシアター/ダンスの側面もあります。取り上げられるエピソードはとてもヘビーながら、My Left/Right Footでも感じられたゲイルさん的ユーモアが全体を支えていて、きちんとエンターテイニングです。My Left...と今作では作風が驚くほど違いますが、最終的な問いはどちらも同じところを目指していると思います。(これ調べたら、PMの方が先に初演してて(2016)My Left...がこの初演と今回の再演との間に挟まってるという公演順。それも色々と考えさせるものがあります。) 

 

Zoe Coombs Marr: Bossy Bottom

 スタンダップの形を取ったソロコメディショウて感じ。私こういうの好きです。今日は政治の話とかはやんないと1時間下ネタナンセンスで突っ走るも、ジェンダーやセクシャリティのデリケートな話題にも触れていきます(そんで、やだ難しい話しちゃったつってネタをやり直す笑)。途中で、若者はおらんか!と観客に年を聞くくだりがあるんですが、私の隣に座ってた女の子二人組が17歳って答えてて、思わずこれレーティングセーフだっけ?とよぎりました笑。ロールモデル…にはならないかもだけど、こういう楽しそうな大人の女の人がいるのを知るのはとてもよいと思う。

 

 

Jordan Brooks: I've Got Nothing

 これ、なんなんだろう…笑。いやめっちゃ面白かったし、間違いなく次も観るけど。去年はすごく演劇的な作り方をしててシアター枠でも作品だして欲しいって思ったほどだけど、今回はスタンダップに寄せた…のか…?(マイク捨ててたけど。)方向性が一層わからなくなったというか、似たようなタイプの人というのがあまり思いつかない芸風の人です。

 chortle のレビューの 'I’ve Got Nothing is stand-up’s answer to Waiting For Godot'という書きだしを読んで、あぁーってなってる。

 

*『ゴドー』かぁと腑に落ちた結果、無理にまとめることはないのだというところに落ち着きました。コメディアワードおめでとうございます。

 

 

Will Adamsdale

 うまいこと時間が空いていたのでぶっこみ。お芝居もやる人だよと勧められて気になっていたのですが、今回のは正統派スタンダップでした(でも後半につれてコメディトーンを抑えた感じはあったかも)。子供ネタ個人的には結構ツボなので、穏やかに楽しめました。

 

 

Mouthpiece, Kieran Hurley

 他人の経験の作品上の搾取がテーマ。スランプの作家がある少年と出会い、彼と過ごした時間を自分の物語として戯曲にしてしまう。「舞台の外」に置かれた作家によるリフレクションと作品自体に当たる劇中劇のレイヤーの交錯が面白い。でもテーマ自体はドキュメンタリーシアターが散々問い直してきたことなので別に新鮮さはない。むしろそれを完全にシアターのフレーム内でやるのがひねりと言えなくもないか。

 

 

Enough, Stef Smith

 Stef Smith見た事なかったと思って入れました。ベストワークじゃないのだろうけど雰囲気がわかって良かった。CAの同僚であり友人である女性二人が互いのプライベートに共感できず、でも痛みは共有し、という女の友情を描く。フライト中の上空の高さと地上とのイメージの対比が詩的で上手い。

 

 

Rich Kids: A History of Shopping Malls in Tehran

 倫理観のタガの外れた金持ちキッズのインスタグラムのスキャンダラスなセルフポートレイトからスムースにイラク現代史の問題へ繋げていく。前作よりジャーナリスティックになってて、私はこの方向性のが面白いと思う。インスタグラムは重要なアイテムで使い方も良かったと思うけど、トラヴァースの地下の方の劇場で普通の電波は入らず、劇場Wi-Fiでのアプリ使用がかなり厳しかったのは辛い…。このカンパニー前作はWhatsApp使ってて、ソーシャルメディアの関わる社会問題への関心が強いのだろうなと思います。

 

 

Burgerz, Travis Albanza

 黒人のトランス女性であるパフォーマーが、道でハンバーガーを投げつけられた経験から、ハンバーガーを実際に舞台上で作りながら、過去に受けたヘイトについて語っていく。良く練られたモノローグだしアイデアも面白いと思ったんですが、今日私の観た回は意図通りに行かなかったのではと思う。

 観客をひとり舞台に挙げて一緒に料理するんですが、白人のシス男性、と指定するんです。観に来る人もテーマはわかってるだろうし、こういう指定がある時点である程度突っ込んだ話が来るなという予想は立つので、選ばれた人もある程度気持ち固めてたと思うんですが実際に調理を始めたところでその観客が、私ベジタリアンなんです、と(これ悪意があったのではなく、本当にミンチから作ると思ってなかったんじゃないかと思います)。パッケージに詰めるとこまでやるんで、肉焼く匂いとか、かなりきつかったんじゃないかと思う。これは単純にパフォーマーのスキルの問題として、ベジタリアンだとわかった時点で人を変えた方が良かったと思う。ハプニングが功を奏するケースもあるけど、すべて観終わった上での感想としては、トラウマの経験をトラウマとなった料理とともに話すという全体の構成が狂ってしまったように思う。なんというか、相手が妊婦だろうが未成年だろうが問答無用で(わざわざ言い訳スライドまで用意して)ラムをついで回ったshit theatreみたいな露悪的なところがあれば良かったんだけど、そういう作品ではなかったんですよね。

 

*これは上記の理由でもう一度観直したいなと思いました。

 

 

Sea Sick, Alanna Mitchell

 私の知る限り開幕前に言及していた批評家は誰もいなかったのでザ・ダークホースなパフォーマンスだと思います。カナダ人ジャーナリストによる環境問題についてのレクチャーパフォーマンス。TEDトークみたくメッセージとセルフプレゼンテーションが前面に来るようなものではなく、取材中の面白エピソードや研究者から知らされる海洋汚染の衝撃的な数字、その過程で自分が何をリフレクションしていったかを穏やかに、チャーミングに語ります。そしてジャーナリストであるにも関わらず(だからこそ)これを芸術の形で人々に見せることの意義を強く感じさせるパフォーマンスです。

 すでにステージ紙の記事が出てますが、今年のシアター系のトレンドテーマは気候変動と言われてます(流行りで終わらせては行けないんですが)。日本だとそもそも議論になってないテーマだと思うので、個人的には意識してます。

 

t.co*今回のようにジャーナリストとか、プロのパフォーマーでない人が自分の持っている知を伝える方法としてパフォーマンスを選ぶというのはもっと試みがあってもいいのに、というか私が知らないだけで実はあったりするんでしょうか?また社会問題の中でも自然科学系のことって、文理の垣根を越えて芸術にアプローチを、と言われる割には(特に日本では)あまりテーマとして取り上げられる例を見ないような気がしています。あと、そもそも演劇とエコロジーって本質的に相性悪いのではないかという気がしているので(ヒューマニズム的にも上演にかかるコスト・エネルギーとしても)そこを打開する作品が今後増えていくといいなと思います。

 

 

The Afflicted

 アメリカの過疎化した町で起こった女子高校生が集団失神するという事件を題材に、この事件がメディアやSNSでバズる一方、町では彼女たちの存在がなかったことにされている事態を、ダンスシアターとして見せる。最初に発作を起こしたとされる(そしてまだ「完治」していないらしい)4人の少女をモチーフにしたダンスで、フラジャイルなんだけど発作を起こすに至る強い衝動も備えているという、往々にして保守的な女性観ではネガティブに映る彼女たちの像を塗り替える試みのようだった。良作です。

 

 

Musik, Jonathan Havey, Pet Shop Boys

 私の目当てはぺっとしょっぷぼーいずではなくジョナサン・ハーヴェイだ!と言いつつ、これハーヴェイのホン結構ダメじゃね…?汗と思いながら観てた(クィアな女性が書けないんじゃないかとちょっとよぎりましたがまだ判断は保留…)。一番の問題は主演の女優さんだと思う。単純に上手くなくて(としか言いようがない…)。楽曲は私詳しくないのでわからないんだけど、ファンの人的には新曲聞きたいよね。 ドイツ生まれのキャバレーシンガーが名だたるセレブと関係を持ちながら世界を放浪する、というのを歌にして綴るというお話です。

 

 

 これで全部かな。ひとまず。思い出したら追記します。