The Believers Are But Brothers by Javaad Alipoor at Bush Theatre

観劇日:2018年2月3日19時半

演出:Javaad Alipoor and Kirsty Housley

 

 2017年のエジンバラ・フリンジファースト受賞作。ISIS、極右/オルトライトといった過激政治思想とインターネット、SNSの融合を、実際に観客にWhatsAppを利用させて*1、舞台上の語りと交錯させつつソーシャルメディアを通じてのインタラクションを体験させるパフォーマンス。ISISへ勧誘されるムスリムの若者や4chanで流布するプロパガンダや炎上など、いくつかのエピソードが作品の中心となっている。

 取り立てて劇的なエピソードがあるわけではなく、特に極右の炎上事案に関しては日本語圏でも似た話題がかなりあるので、そういう意味での新しさはあまり感じず。WhatsAppも、 パフォーマーから観客へ送られるメッセージが多く、観客からパフォーマーへ、あるいは観客同士のインタラクションとしてはあまり機能していない。というか、送られてくるメッセージを読む、という方向に使われがちで、事実上語りの形のバリエーションに過ぎなくなっている。(とはいえ、ISIS勧誘の一連のやり取りをスマホ上で眺めるのは、やはりちょっとぞっとします。)4chanを初めとするインターネット上の事件もエピソードの一つに過ぎず、もしあの種の大型掲示板の形式も上演に取り入れられたら、個人間で使うSNSとの対比が面白かったかもと思う。ただネット文化への距離やリテラシーは、世代を筆頭に様々なファクターが絡むので、これらを衝撃的だと思う観客がいてもそれはそれで驚きはないけれど。

 そもそも、ネット文化に対する感覚自体が作者であるAlipoorと私の認識が結構ずれているように思われ、私自身はSNSを通じたISISの勧誘と大型掲示板のフェイクニュースや炎上を同列に語るのはかなり難しいだろうと考えている。個別のメディアに特有の(または有効な)アピールの方法はその内容次第で違うわけで、ましてアプリを通じた観客参加を促すならなおのこと、エピソード全てをインターネット上の事としてひとくくりに語るよりかは、いずれかのケースに特化したパフォーマンスの方が切れ味は良かったように思う。(WhatsAppのグループで極右キャンペーンの作戦を話し合うというエピソードも出てくるんですが、そしてこれは実際にあり得るだろうと思うのですが、むしろ閉じたグループ内では陰謀めいた話はいくらでも出来るだろうと、深刻さが逆に欠けてしまっていたように思います。)あと、これは全く個人的な感覚だけれど、今日本のネット文化だと、もはや2ちゃん的な大型掲示板って過去のものになりつつあって、今やツイッターが不特定多数へ発信するメディアとしては一番力があるように感じている。*2英語圏で今どこまで4chanが影響力があるのか私はあまりよくわかってないのだけれど、ローカルな感覚の差も印象に影響したように思う。

 テーマはとてもアクチュアルだし、アプリを使うというアイデアも面白いし、もっとそれらが活きるのかなと思ったけど、個人的には惜しいという感じ。ただ、質が低いわけではないし、政治的にとても誠実な作品だった。

 

*1:舞台で使用するチャットグループに参加するかは任意(チケットの受付時に訊かれた)。開場中、客席の写真をアップしているお客さんがちょいちょい。劇中かなりミーム等写真や画像のの投稿が多く、私はスマホの充電とパケットの残り使用量にちょっと冷汗でした…。

*2:この作品見た時ちょうど吉野家コピペの炎上があってタイムリーでした。