ear for eye by debbie tucker green at the Royal Court Theatre (downstairs)

観劇日:11月3日14時30分(2時間15分、休憩なし)

演出:debbie tucker green

 

 今年度の最高傑作来ちゃったよ、と終演後思わずつぶやきました。

 タッカー・グリーンは名前だけは知っていて、でもその実験的作風と黒人の人種問題というテーマゆえか、なかなか再演に出会う機会がなく、ようやく観れたのが今年の春、チチェスターでのrandom/generationのダブルビル*1。特にgenerationの構成が見事で、上演によってはじめてこの作品の全貌を知れたような感があった。一見して、実験的な形式で解釈に開かれたように見える戯曲が、上演となると(リアリズム形式ではない形で)舞台の設計図として働いているようで、そのことが逆にこの戯曲が細部まで計算されつくした、手の入れようのないものだと示す。演出らによるテキレジの余地がないという意味でも、上演が不可分であるという意味でもある意味徹底した戯曲主義な作品で*2、ear for eyeはタッカー・グリーンのそうした劇作法の一つの到達点になっているのでは、と本数を観ていないなりにも思う。

 三部構成+エピローグという構成で全体を貫くリンクはうっすらとあるものの、どの部も基本的には独立し、かつまとまった意味が非常に取りにくく作られている。第一部は英米の黒人の人々による断片化されオーバーラップする会話やモノローグからなる。センテンスが意図的に壊されているので、舞台上で会話のように見えるものがバラバラな単語の連なり、しかしながら時にとても詩的に聞こえる。だが、言葉を拾っていくうちにどうやら彼、彼女らがその身の回りにある差別や暴力について話している、あるいは話そうとしているようだと察せられる。キーになる会話は(これはエピローグで非常に印象的に繰り返されるが)若い男性と、その少し年長と思しき男性(兄弟か、先輩後輩のような印象がある)のやりとりで、どうやら若者の方がとても攻撃的に興奮しており、年長の男性へ何度も「やってはいけない理由はなんだ」と尋ねる。そして第一部終盤の男性のモノローグは、そこに至るまでの様々な人々の会話の断片が集められたイメージの集大成となっており、一つ一つの言葉に、その言葉を発した人々の顔が過ぎる、鳥肌の立つクライマックスです。

 第二部は、おそらくカウンセラー(あるいは一方は教師の)二人組の会話だが、やはり明確な立場はわからずその内容も明瞭に語られるわけではない。どうやら、ある学校で生徒による銃撃事件が起こったが、その主犯の少年の動機をめぐって対立しているようである(というか、男性側が妙に論点をずらしている風に見える)。この場面に出てくる年長の男性が唯一本作で舞台に上がる白人俳優*3である。つまり、白人男性とそれより若い黒人女性の二人芝居になるわけで、当然そのパワーバランスには年齢、ジェンダーの差も二人の関係に関わってくる。この場面のみ回転舞台の装置が使われ床がゆっくりと回るのだが、対面の椅子だけの美術ながら、目の回る酔いのような気分の悪さが視覚面からも影響を与えてくる。

 第三部は映像で、アメリカパート、イギリスパートにさらに分かれる。アメリカパートではジム・クロウ・ローの条文を白人のアメリカ人たちが(おそらくアマチュアだろう)が読み上げる。イギリスパートでは、同様に白人のイギリス人たちが奴隷法の条文を読み上げる。この場面のみ、台詞となる条文は断片化されることなく、はっきりと意味が通る文として読み上げれられている*4。印象的なのは、意図的に子ども、障がい者、ゲイカップルを被写体に入れていること*5。実は私はまだ解釈が追い付いてないのだけれど、ここだけノンフィクション(的)であることも含め、マイノリティの属性が(足し引きするものではないにせよ)かなり特徴的にこのパートに現れていることは丁寧に考えなければと思う。この部のラストに舞台上にエピローグと示され、第一部の青年が再び現れて幕となる。

 とにかく一言一句たりとも聞き逃すまいと集中して観ていても、どうしても取りこぼしてしまう言葉があり(英語の問題だけでなく)、それを埋めようと戯曲を読むと今度は舞台で観たイメージがおぼろげになっていく。テキストーステージの分かち難さを見事に示す上演だ。そして、舞台上の瞬間瞬間のみ言葉とイメージが完成するー戯曲だけでも、上演だけでもそれは達成されないーという形態が黒人問題を語り得る可能性と、同時にその限りのない困難をダイレクトに示していた。これほど形式と内容が不可分の舞台作品であることにも驚いたし、また演劇と言う形式においても、戯曲の持つ役割がとてつもなく重要で、しかしそれ単独では不完全であることを鮮やかに示す手つきが本当に素晴らしかった。タッカー・グリーン、今作はテーマ、劇作、演出など様々に評価があると思いますが、私はやはり彼女の劇作家としての能力を高く評価したい。私のまだ知らない戯曲の面白さを存分に見せてくれた作品だった。

 

*1:感想を、書いてない…。

*2:タッカー・グリーンの場合は(チチェスター公演は別の人でしたが)初演に関しては自分で演出しているというのも大きいと思います。あと、タッカー・グリーンに限らずですが、リアリズムの手法で書かれていない作品ほど、戯曲に忠実な演出の方が面白いんじゃないかと個人的には思っています。

*3:戯曲上の指定ではcaucasianという表記。第三部のキャスト指定も同様。ちなみに黒人登場人物に関してはBlack British, African Americanです。

*4:ただし、台詞の区切りやカット割りには工夫が凝らされ、一つの条文をリレーのように複数の人が読み上げたり、同じ人を複数のアングルから撮ったりしている

*5:手話話者は第一部に登場している