NTLive A Midsummer Night's Dream @ Bridge Theatre

NTLive (recording)

観劇日:2019年10月20日

演出:ニコラス・ハイトナー

 

*すでに各媒体のレビューで詳細が書かれていますが、おそらく日本上映が来年あるだろうと思われるので、一応「ネタバレ注意」で。

 

 特にまとまりはないんですが、今作かなり大胆な設定変更があったので、備忘録的に何をどう変えていたかざっくり書き留めておきます。

 

 前提として、去年ブリッジで上演された『ジュリアス・シーザー』と同様に、舞台上にスタンディングの客席エリアが設けられています。(シーザーの時は「モブ席」というチケットで売られていたんですが、今回は何席だったのだろう。)

 

 上映前のイントロダクションでいきなり触れられているのだけど、今作のアテネの国の設定はアトウッドの『侍女の物語』的ディストピア世界です。この国の男女の婚姻において根幹となるのは王侯貴族の慣習や法ではなく、女は子産みの道具とする差別主義(婚姻と性差別って貴族の婚姻でもそうなんですが、貴族社会ではない設定でより露骨に出てきたという感じ)。ヒポリタに至っては「ホッテントット・ヴィーナス」をも連想させるガラスケージに閉じ込められて現れます。

 なので、ハーミアとライサンダーの駆け落ちとそれを追うディミトリアス、ヘレナ、のモチベーションは原典からかなり印象が変わります。男性陣にとってはロマンス成就の目的はわりとそのままですが(というか逆にこの二人はロマンスのため「だけ」に動いているような感じになっており、後半の追加シーンであるパックのいたずらによる二人のキスシーンがもろに欲望の三角形からのホモソーシャル関係です。)、ハーミアとヘレナについては自身の生存もガチでかかっていることに。ヘレナをハーミアが執拗に追うのには、私だってこんな社会は嫌だ、という二重の意味があるように描かれます。(ハーミアがディミトリアスに、私はあなたの犬にだってなる、と言うのは、この設定を踏まえると、彼女は別に恋しているわけではなくて、絶望的な社会から抜け出す方法がディミトリアスとくっつくこと、と言えるかもしれません。)

 

 シシアス、ヒポリタはオベロン、タイターニアと二役。このキャスティング案自体はそれほど珍しくないと思うけれど、クライマックスに近づくにつれて、それぞれの役の境界がなくなっていくかのような演技プランが採用されています。

 各紙レビューが最も注目していたのは、オベロンとタイターニアの役割の交換。これ、ちょっとわかりにくいかもしれないのですが、ジェンダースイッチキャストではありません。オベロンは男性(Oliver Chris)、タイターニアは女性(Gwendoline Christie)です。(ごめんなさい私じつはGoTを見てなくて彼女の役者としてのイメージが今回どう反映されてるかはちょっとわかんないです)。そのうえで、ストーリー上のそれぞれの役割を交換しています。端的に言えば、(固有名詞や人称関係のテキレジを加えたうえで)オベロンの台詞をタイターニアが、タイターニアの台詞はオベロンがしゃべっている状態です。なので、パックと組んでひとめぼれの魔法をかけるのはタイターニア、ロバになったボトムと恋をするのはオベロン、という風に話が進んでいきます。

 大きく印象が変わるのはやはりオベロンとボトムの恋、なのですが、例えば取り換え子を育てるのはオベロンになるとか、バディ感あるタイターニアとパックのコンビとか、こっちの方が面白くない?という設定変更の妙があちこちにあります。もちろん、冒頭の侍女の物語アテネのイメージがあるので、男女の役割の入れ替えはそれ自体がかなり解放感があります。

 

 結婚式の出し物の稽古をする町人チームの設定は、刑務所のリクリエーション風になっています。つまり、ボトム(Hammed Animashaun)初め出演者はみな囚人で、見事に有色人種か女性だけというキャストメンバー。ボトムがめちゃくちゃに可愛い、という私の叫びはここでは置いておくとして、今回の設定変更で一番つらいのはこのキャラクターだなと思いました。

 パックにロバ男に姿を変えられた後、魔法にかかったオベロンにひとめぼれをされ、ほいほいとついていくわけですが、実はボトムがなぜオベロンについていったか(その後明らかに情事後だろというシーンがあるので誤解ではなさそう)というのがかなり多義的にとれるようになっています。実は彼はゲイかバイセクシャルだった?あるいはオベロンの豪勢な生活にひかれて?能天気すぎて何も考えてない?けれど、彼があのアテネの国の囚人だったという設定は、強くここで響いてくる。つまり、黒人であり、犯罪に手を染めるほど困窮し、社会階層が低く、そしてセクシャルマイノリティかもしれない(けれどあの国でそれをオープンには出来ないでしょう)、そういう人物が自分の欲望を解放してくれる素敵な人と出会ったのなら。

 魔法から目覚めたオベロンが彼に向けるまなざしは残酷です。もちろん台詞の上では「ロバに惚れてしまうなんて」というショックを語るわけですが、本当にそうなのかとても疑わしい。シシアスとの一人二役である点はここでとても活かされていると思います。妖精たちは全体としてクィアな雰囲気で描かれている反面(衣装やメイクに加えキャバレーのエアリエルの手法が演出に多用されてたりします)、このシーンのオベロンは、原典の台詞がとても保守的に響いてくる。作品としては面白いんですけど、ボトムの夢の終わりとしては本当に切ない。翌朝森の外で目覚めたボトムのモノローグの良さを改めて味わいました。

(ただ、オベロンとボトムのキスシーンがなかったことにはちょっと疑問を持っています。というのは、恋人チーム4人のドタバタ劇の最中、パックとタイターニアが男二人、女二人に恋の魔法をかけるといういたずらシーンが追加されているんですが、ここでは両組にキスシーンがあるからです。でも、記憶が正しければオベロン、タイターニアもそんなにいちゃついてなかったな、と思うので、ハイトナー的な愛情描写の線引きが気になる。)

(あと、ボトムのトランスフォーメーションは外見のみ、というのが私の理解なのですが、特にシェイクスピア研究を追っているわけでもないので、ボトムも恋愛の魔法にかかっているよという解釈があればぜひ教えてください。)

 

 夜が明けて、シシアス達がハーミアたちを発見して、やっぱり好きな人と結ばれないとね、と盛大に結婚式をやる流れになるわけですが、なんでこんな簡単にシシアス翻意したよっていうのはものすごく謎です。そもそもあんなディストピア社会が一夜にして解放されるわけはないので、おそらく本作としては森に入った時からずっと妖精の夢の中という解釈なのかなと思います。実際、結婚式の場面ではパックを含め妖精を演じていたキャストが式の盛り上げ役を担っており、森の中の出来事の続きとも観れると思います。

 だからこそ、私はやっぱりボトムのことが悲しくて仕方がない。彼は現実のアテネの国でも妖精たちの夢の世界でも見捨てられることになってしまった。社会の負の部分を背負った人が、『ピラマスとシスビー』のお芝居ではヒーローになれても、結局は夢を見ることが叶わないのだということが突き付けられているように思います。

 私は『夏の夜の夢』は学部の頃の英文学の授業で読んで、その時にヤン・コットを知ったのですが、この戯曲の闇の部分を暴く彼の解釈はずっと根強く私の中に残っています。全然ハッピーな作品じゃないよなぁこれ、と改めて。ディストピアなアテネの国というアイデアを採用する一方、イマーシブな仕掛けを巧妙に作り観客を饗宴へ誘うハイトナーも、この作品のシニカルな二面性に魅了されたのだろうと思います。

 

Edinburgh Festival Fringe & Edinburgh International Festival 2019 観たものまとめ

 

 鮮度が命、と観劇の合間にビールかっくらいながら連投している感想ツイートです。誤字脱字や事実誤認の修正と多少の補足(米印(*)以下、長い)をつけて、観劇まとめとしておきます。今年の滞在は8/2-3、8//16-23。EIFの演目がひと月の間に散っているため、8月頭はミロ・ラウを目当てに飛んだのでした。

 タイトル、カンパニー・アーティスト名は検索可能な範囲で多少省略しています。観劇日時はめんどくさいので省きます。並びはほぼ観た順です。

 (いつものことですが)ネタバレの配慮は全くないので、今後UKツアーで回る作品を見ようとしている方は一応気を付けてください。

 

Suffering from Scottishnes, Kevin O Gilday

 スコットランドパトリオティズムを全うに語ろうとする、という意味で今やるべき作品だと思う。濃い内容だった。んだが、見せ方の拙さがかなりの減点。客いじり苦手そうだからモノローグにすればいいのに。

 *スコットランドシティズンシップテスト(これ私も初めて知ったんですが、スコッツあるある的な一種のジョークではあるものの、スコットランド独立投票の際に盛り上がった「ネタ」なのだそうです)に観客が解答するというフォーマットを取り、スコットランド人としての愛国心を刺激していきます(もちろんお客さんのアイデンティティはいろいろ)。それと並行して、スコットランドが抱える社会問題、特にウィスキーの名産地であることと裏表にあるアルコール依存症の問題がクライマックスに取り上げられ、加えてこのご時世にスコットランドが置かれている微妙な立ち位置と、イングランドのパフォーマンスとは角度の異なるブレクジット批判が展開されるという構成。なんで、内容は面白かったんです、内容は。

 

 

Lucy McCormic: Post Popular

 キャンプの極みみたいなフェミクィアパフォーマンス。笑って笑えます(泣けはしない)。「強い女性」のロールモデルを歴史上の人物から探していこうというのが大枠(枠でしかない)。ドタバタオルタナコメディで突っ走りながらも細部まで計算された構成が小気味よいです。ラストは必見。これ、感触としてはI'm A Phoenix BitchのB.キミングスと好対照という感じ。陽のフェミパフォーマンスというか。キミングスの今作はシアターアズセラピー的にはあまり評価できないということもあるんだけど、全体としてもマコーミックのが私は好き。

 

*元々、こちらで聴講したフェミニズムシアターの授業で紹介された人だったので、もとより期待値は高く、それに応えてくれる作品でした。デッドパンの男性パフォーマー二人を従え、アダムとイブから始まり、ケルトの女王ブーディカ、ナイチンゲール、メアリー・スチュアートと、悲劇的な最期を遂げる歴史上の女性たちを観客も巻き込みながら「なりきってみる」(この演じるでもモノマネでもないあたりが相当にうまいです)。時系列にやらないとこのショー何が何だか分からなくなるんで、と言いながら突然の休憩やお客さんと仲良くなろうゲームをはさむというやりたい放題の末、メアリー・スチュアート斬首の場面で「今ナイチンゲールの時代から300年くらい一気にさかのぼりましたけど所詮時間という概念は男の構築したもので、」とかまして死ぬ。私はこの台詞が大変気に入り、今年のエジンバラで時間に関わる気に入らない演出が出てきたときはこれをぶつけるようになりました。ラストはInterior Scrollへのオマージュで締め。かっこいいっす。

 今作の評価も高いですが、新約聖書のリナクトメント(?)をやる前作Triple Threatを観た人が前のほうが良かったと言っているのはいくつか目にしました。

 

 

Ciarán Dowd: Padre Rodolfo
 面白かったけどタイプではなかったというか、キャラクターコメディそんな得意じゃないのに気になっちゃって…。思いの外王道でベタな感もあるけど、着実にヒット打ってくところは強いなぁと思う。フクロウ良かった。

 

*なんで得意じゃないのに観に行っちゃうのと聞かれたんですが、時々なんか無性に観たくなるんです…。ちなみに一番好みのコメディフォーマットはスケッチです。

 

 

Michael Legge: The Idiot

 前半あんまりピンとこなかったんですが(お客さん少なかったのもあるかも)北アイルランドネタになってから俄然エンジンかかりました。アグレッシヴに飛ばす反面、不思議と愛嬌のある人で嫌な気分にならないです。レッグさんといい、昨日のスコティッシュネスのギルディさんといい、ガチブレグジット話題はイングリッシュ勢以外から聞いてる。超サンプル数少ないながら、今年この傾向なんじゃという気が。(Kieran Hodgsonもっかい行こかな…)

 

*結局この予想はわりと当たって、ブレクジットに関わるヒット作はあとSh!t Theatreくらいかと(彼女たちはイングランド)。下の方に張り付けているThe Stageの記事が、政情がころころと変わる中ブレクジット物の新作は作りづらかったのではないかという指摘をしています。

 ちなみに名前を挙げているKieran Hodgsonは去年の『'75』というコメディショーでイギリスが最初にEC/EUに加盟した時の政治をネタにしています。今年は結局行かなかったんですが、私は去年のエジンバラ、今年3月のバーミンガム公演と二回見て、当たり前ですが全く印象が違ったので、これは当面彼のレパートリーになればいいのにと思ってます。

 

 

La Reprise: Histoire(s) du Theatre (I), Dir. Milo Rau

 ゲイ男性が暴行殺害された実際の事件についてのドキュメンタリーを製作するというコンセルヴァトワールが舞台。プロアマチュアの役者を交え、リサーチを深めながら作品を作っていく…、とすらすら書けてしまうくらいに、ぱっと見にはとてもコンヴェンショナルな演劇。でも冒頭から一貫して「演じる」「再現する」ことはどういう行為状況なのか、手品の種明かしを先にしてしまうように繰り返し、素に戻すかのようなサインを出してくる。どこまでが演劇なんだっけ、いや全部お芝居だよね?みたいな素朴な問いがずっと頭から離れない。あいトリはもちろん行けずですがインタビュー読む限りの印象だと、ドキュメンタリー演劇(またはある種の参加型演劇)が演劇の慣習から離れてやろうとしてきたこと(*当事者でなければ語れない/語るべきではない、代理表象の限界みたいなこと)を演劇のアプローチでもう一回やる、というのが芯なのかなと思った。だから、死んだ人がいる事が重要なんだろうとも。古典的な意味で悲劇をやる(悲劇を通してやりたいことがある)人なんだなと思うし、その意味で悲劇しか作れないのではないかとも思う。

t.co*参考までにTime Outのレビューを(一番的を射ているかなと思ったので)。なんとなく、これを観てから今年の私的エジンバラのテーマは(ドキュメンタリー演劇なども含む)リプリゼンテーションだなぁと今になって思います。あと、ちょっと穿った言い方をすれば、いわゆるポストドラマ的なアンチ代理表象問題からの揺り戻しともとれるので、今作の英批評家からの評価が高いことにはすごい納得できます。 

 

 

8:8

アイデア先行で中身はあんまり…。これやるならプロの役者でもっとガッツリ観客とコンタクト取ったほうが良い。ネタバレを避けつつだけど、私と対面になったパフォーマーの人が途中でちょっと泣き出して(そういう場面ではある)、たぶんお芝居でもなさそうで、なんかすごい後味悪い。

 

*観客、パフォーマーそれぞれ8人が相対し、パフォーマーの個人的な経験を直に聞く、という仕掛けですが、ちょっと直接過ぎて、申し訳ないのだけど私は全く乗れず。

 

 

Oedipu, Dir. Robart Icke, International Theatre Amsterdam

 アイク版/演出。これ、同じくITA製作のサイモン・ストーン版/演出のメディアと全く同じ印象を受けたので、もしかすると劇団の方向性かもという気がするんですが、ともかく不合理な行為とか人智を超えた出来事に整合性をもたせる翻案て、アイデアには感心するんだけど、相手の解釈をただ聞いてる感じになってこちらの想像の余地がないので、その意味で私はあまり良いとは思わないです。あと、翻案のひねり方が原典の違いを差し引いてもストーンよりアイクのがかなりストレートでそれも予定調和感があるというか、私の方にはもっと期待があった。(いや、政治家のスキャンダルに、父殺しプロットナシにして近親相姦タブーでラストまで持ってくって、そりゃこのご時世その変え方ってわかるけどさぁ、っていう。)野鴨ではこういう印象を受けなかったので、アイクの関心は人の世のことに向いているんじゃないかなぁと思う。神はとっくに死んでるというか。近代初期ぐらいの戯曲やると面白いんじゃなかろうかとも。

 あ、あとストーンのメディアは人の来し方が見えて(というか原典細部まで拾うとそうなるのだろうけど)あのラストでも納得はいったんだけど、オイディプスってその次にアンティゴネ控えてるって思って、設定変えず王室のままでよかったのにと。あと、政治家が出生証明を出すという筋立ては、ドラマの展開としてはわかるんだけど、じゃぱん人というか少なくとも個人的には例の戸籍や国籍がらみの話を強く思いだしたので、ドラマでもそれ言うのはちょっとなぁと思った。

 あとね、オイディプスの装置を見て真っ先に私に浮かんだのは、L.マコーミックの、最初にわたし時系列に歴史をたどるって言ったけど今いきなり300年くらい遡ったのは、そもそも時間なんて概念は男が作りだしたもんだからでギャー(メアリー・スチュアート斬首)、のくだりです。

 

*あと、字幕がクッソ見づらいという愚痴もツイートしてました。政治家の国籍/出生地問題って日本以外にも嫌な例があるのだと教えていただき、アイクはその点を批判的に組み込んだってのは納得しました。血をめぐる問題が、王家の設定のままと、民主主義社会における一政治家への翻案とどちらが効果的に映るのかはもう少し考えたいです。特に古典の現代化翻案で結構クルーシャルな点ではないかと思うので。

 

 

Rust

 ブッシュでやった時見逃したんだよなと思って入れたんですけど別にわざわざ入れなくても良かったかも汗。不倫カップルがダメになってく話でそれ以上でも以下でもないというか(そもそも拗れロマンスがそんな好みじゃないし)。ただ少し気になったのは、会話のテンポと響きでガンガンシーンを引っ張って行って、人物の内面や背景に描写を割かないって手法。すてぃーぶんすも時々やるんですけど、割とメジャーな作劇スタイルになってるのかしら。これ、戯曲に疵があるのか役者演出がダメなのか判断つけにくいんですよね。

 

 

 Total Immediate Collective Imminent Terrestrial Salvation, Tim Crouch, National Theatre of Scotland

 素晴らしい構成でメタシアターを作り出し、その構成の巧みさが正しく機能する意味できちんとシアターというとても面白い作品。この仕掛けを動かすための物語フレームなので、世界の終わり的な設定は気にしなくていいです。でもカルト宗教教祖のクラウチは見もの。クラウチさん、ラスト20分の出番で全部持ってった。本を読む、という作品の前提がここだけ崩されるほど。モノローグの名手です。

 

*観客一人一人に一冊の本が渡され、全くその本の通りに作品が進むのですが、同時にその本を手にしている私たちは今どこにいるのか(作品の一部なのか、作品を外から眺めているのか、あるいは物語の設定のベースである「予言」に沿っているのか)を揺るがし続けます。物語を楽しむのではなく、こうした構成の上手さを楽しむ作品だと思うので、期待がずれてると退屈かもしれません(クラウチさんはしばしばこうした期待と違う批評家を呼び込んで一つ星つけられたりしています)。でも、なんでそんな人がまぎれちゃうかというと、そこはクラウチさんのモノローグ、ストーリーテリングのずば抜けた上手さだったりして。

 

 

Baby Reindee by Richard Gadd

 作品の途中であっ!という箇所があってこれ全編ガチの話だと思って観て、その点同行の友人とは見解が一致したものの、その後別の友人と感想を話したら事実ベースのフィクションではとの意見が返ってきてえっ!ってなるっていう。もちろん真相は彼のみぞ知るわけですが。一緒に見た友人の、今作はこの種のサイコパスへの究極の切り札だったのではないか、という意見はとある個人的な経験を踏まえても腑に落ちた。各エピソードが生々しすぎて胃が痛くなるほど。全部フィクションだったら天才的な書き手だし、実話ならこれからの人生本当に幸せであって欲しいと祈る。どちらにしたってとても面白い「戯曲」だし、ガッドさん自身も名演でした。

 作中、個人情報がSNSでストーカーにばれるという描写がちょっとギャグっぽく出てきて、実際受けてたんだけど、この種の事件で被害者に自己防衛の過失なんてないよと、複雑な気持ちになった。そういうところはポリスメンの対応の部分でも散々描かれるんだけど。

 なんか、一晩経ってこの作品をフィクションの程度が高いと思う観客が多そうである、というのが色んな意味で面白いなと思う(私も彼の過去作観てなければそう受け取ってたかもだし)。例えばドキュメンタリーシアターで、経験の真正さを疑うのはかなり危険な問いだと思うんだけど。今作は一人芝居のフォーマットがしっかりあるけど「関係者のインタビュー」とかフィクショナリティを揺るがす要素もあって、それ見る側はどこでどのようにどの程度、この話がマジかどうか判断してるのか気になる。

 で、これはフィクションじゃないかと思わせる理由の一つは、やっぱこれ男性のストーカー被害の話だからだとは思う。
 
*これは言いたいことがたくさんあるので別稿立てようかという気もしつつ、内容的にあんまり詳しく書いちゃいけないんじゃないか、いや書いても書かなくてもいいよう計算づくでガッドは作っているんじゃないかといろいろ考え込んでいたりします。ツイートで散々書いているように、個人的にはこの作品が少なくない観客にとってフィクションと取られているらしいという驚きがあり、とはいえ、では作中のどの要素が彼の語りの「本当らしさ」を保証していたのかと思うと、突き詰めるほどにわからなくなっていくんですよね。かといって、これまでのガッド作品を知っているから楽しめるというタイプのものでもなくて、この点すごく巧妙に作られていると思います。ガッドさんのパフォーマンス自体は一本筋の通った雰囲気があって観ていて気持ちいいです。
 
 

Shenanigan, Daniel Kitson

 これまで見た中で一番好きかも。ゆるく時系列のナラティブを作りつつ、エピソードのチョイスはランダムぽく見せる。作品を振り返ると、昔近所のおじいちゃんが話してくれたあの話をふとした時に思いだす的な、独特の印象付け方だなと思う。お客いじりは、楽しんでやっているのか、実は結構神経質なのか、どっちなんでしょね。いやめっちゃ笑ったけど。

 

*近所のおじいちゃんが…で何が言いたかったかというと汗(酔って深夜のツイートが意味わかんなくなる典型)、印象深い出来事を思い出した順に語っていくんだけれども、語っていくうちにひとつのまとまりのようなものが出来てくる、という形。そして聞いている方も、その全てのエピソードを覚えているわけではなくて、自分にとって印象深いお話を、意識的に選ぶんじゃなく無意識に持って帰るという。そんで、ふとしたときに思い出す感覚というのかな。

 

 

Moot Moot

 私この二人でピンターやればいいのにって思った。そういう良い雰囲気のある人たちです。ラジオDJの設定やメディアの使い方もアイデアは面白いんだけど、設備悪いからめちゃくちゃ聞き取りづらいのが残念。ピンターの後期作品というか、ドンピシャapart from thatを思いだしたのですがこれが5分ほどで終わるのに対して、今作1時間ってのはやっぱ長い。でもこのセンスのまま進んでくれるなら次作も観たいな。

 

*一緒に観に行った方が、Forced Entertainment の Real Magic を思い出したと後日ツイートされていて、まさに!と思いました。不条理演劇的ナンセンスのラインにきちんとはまっている作品です。

 

 

Julius 'Call MeCaesar' Caesar, Andrew Maxwell, Owen MaCafferty

 ソロバージョンにリライトされたジュリアス・シーザー。O.マカファーティ新作って期待があったんですが、意外なほどに原典そのままだったので拍子抜け。A.マクスウェルはスタンダップぽさを残しててそれはそれでありなのだけど、個人的にはコメディに寄せない形を見てみたかった。

 

*まかふぁーてぃ…。今回、ジョナサン・ハーヴェイも振るわなかったので、ベテラン作家の新作はあんまり当たりを引けてないです。

 

 

Cardbord Citizens: Bystanders

 まともに悼まれることも報じられることもなく亡くなるホームレスの人々の半生/生涯を扱ったポリティカルパフォーマンス。あの、ほんとはもっと色々と言うべきことがあると思うのだけど、これ見る直前に昨夜のbaby raindeerがなんでフィクションだと思われるか問題を考え込んでたもんでドキュメンタリー形式のことばかり意識が行ってしまった汗。でも、なんでこの作品だとパフォーマーが「(関係する人々の)言葉を変えずに語る」って言うのやモデルとなるホームレスの人たちの人生の年次とかをスルッと信じられるのかって思うと、改めてドキュドラマが不思議。

 

*観た直後は延々ドキュメンタリーとは?と考えていたタイミングなのでアレなのですが、緻密なリサーチと問題提起の上手さはポリティカルパフォーマンスとして秀逸でした。

 

 

Die! Die! Die! Old People Die!, Ridiculusmus

 これ、ちょっとまだまとまらないというか、absurdityの極みみたいなやつで、面白いかはともかくよそにはないものだった。老年の男女3人の生活の断片を並べて、その醜さ汚さをただただ見せる。物語も人物背景も描写はなくモラル的なものやセンチメントはゼロ。容赦なく露悪的。スクリプトを買ってみたのだけど、今パラパラめくる限り、これたぶん読んでもわからないやつだってなってる。

 はこぶねでやってたときのペニノ、に近いような気がするんだけどもう酒が入っているので(shit theatreで飲まされちゃったし)気のせいかもしれない。

 

*これ、各紙のレビューを読んでもどう評価してるのかよくわかんねぇなってなって、もう謎枠に放り込んで寝かすという状態になってます。日本の演劇に親しんでいる私の知人友人でこれを良いという人(&きちんと言語化できる人)がいるような気がするので、誰か見てください。私がその評価を知りたい。

 

 

Sh!t theatre Drink Rum with Expats

 これはめっちゃ良かったです。去年のドリー・パートンから格段にレベルアップしてる。私たちマルタに移住したい!と現地のイギリス人「移民'expat'」を取材していたら…というところから今現在のUK/EUの問題にクリティカルに繋げてくる。破天荒な芸風はキープしつつエンタメに出来ない部分っていうのをきちんと守って1時間強のショーにまとめるのがほんと上手かった。個人的には「なぜ目を閉じないの?」という1センテンスが冒頭とラストで意味合いがガラッと変わるところに、スクリプト燃えが刺激されました。

 

*これは今年ベスト3ぐらいに入れてもいいんじゃないかと。マルタに移住したイギリス人移民'expat'の話から、マルタの永住権・国籍取得が抱える問題、地理的に不可避なボート難民/移民'immigurant'の問題、そしてパナマ文書を追ったジャーナリストの殺害、がてんでばらばらに提示されつつ、徐々に一本の線につながっていくとても上手い構成です。全編通してめちゃくちゃ明るく、ガンガン笑いを取っていくスタイルですが、そのテンションを維持しつつ丁寧にマルタ、ひいては今のイギリス、EU問題を描き切ってます。

 

 

Art Heist

 ウェルメイドなドタバタコメディ。エッジィな刺激はないけどfun!fun!て感じで良いです。ちょっと荒い?って思ったところもあったんだけど、まだ結成数年の若手カンパニーだったのでまぁいっかと。出演メンバー4人はそれぞれキャラがあってチャーミング。

 

 

Raven, Still Hungry and Bryony Kimmings

 元気なキミングスが帰ってきた泣。3人の女性アクロバッツが抱える仕事と子供を持つことの葛藤を時に激しいアクションを伴うパフォーマンスで見せていく。キャバレーの衣装でタバコ吸いながら空中ロープでダイナミックに回転するカッコよさも、洗濯物をジャグリングしながら畳む可愛さも、その裏に彼女達が妊娠以来周囲から言われ続けてきた言葉の数々を思うと切ない。あと、アクロバットってトレーニングとかアスリートに近いところがあるようで、役者やダンサー視点とは少し違う形で舞台人のマザーフッドが語られてる気がしました。

 キミングス、こういう演出とか他の人と組む仕事もっとやればいいのにと思う。今回フリンジに出してる作品も含め、ちょっと心配になるオートバイオグラフィの掘り下げ方をして来ていたので。希望とユーモアがあって、でも痛いところもちゃんと見せる良い舞台だった。

 

*キミングスは今回 I'm A Phenix Bitchでもソロで参戦してて、それは私はBACで観たんですけど、クオリティとは別にあまり評価できず。というのも、彼女の経験の掘り下げ方がかなり閉鎖的で作品になり切ってない、かといってその上演がセラピーとして機能しているとも思えないという印象を受けたんです。(自分の身に起こった不幸をパフォーマンスにすること自体は基本はありだと思ってます。)(あと私が観たのは初演時なので今は少し変わっているかもしれないです。)自分と似た問題意識を持つ人の経験について演出という立場で加わる方が、少なくとも今の彼女には良い方向なのではと思いました。

 

 

Mythos: Gods, Stephen Fry

 うっせー!ミーハーで何が悪い!というわけでフライ御大、ギリシャ神話を綴る近著をベースにしたソロパフォーマンス。ぶっちゃけ後々オーディオブックになるんじゃないかと思うんですが、生スティーヴンを一目見に、でいいんですそれが全て。ちなみに今日観たのは三部作のうちのGod編。休憩時間中、指定のメルアドに質問を送ると第二部冒頭でスティーヴンが抽選でオラクルを告げてくれます。ステージ進行もプチインタラクティブな仕掛けがあったりして、わくわくした。

 

 *オーディオブックも買っちゃうんじゃないかと思う。残りの二編(英雄と人間)も気になるし。

 

 

Vigil, Mechanimal

 去年鳥のパフォーマンス(ZUGUNRUHE)がヒットだったので面白さを確認しに今年も。もっと評価されるべきと思います。レッドリスト記載生物の英名(*和名と同様、見た目や動きの特徴を名前にしているものが多い)だけでどんな生き物か想像して動いてみるというユーモラスで残酷な皮肉が導入。膨大な絶滅種のリストを前に、ここに至るまで人間が何をやってきたのか誠実で謙虚に、でも卑屈にならず淡々と見せていく。これ前作もそうだったけど、今すぐ止めるべき環境破壊は戦争だ、というメッセージは衒いなくて良いなと思います。

 

*エコロジーや環境問題についてのパフォーマンスでは、今年観た中でダントツで良かったと思うんですが、どうもあんまり大手メディアで紹介されてないんですよね。もったいない。

 

 

Are we not drawn onward to new erA, Ontroerend Goed
 広義のエコロジーテーマと言っていいと思うんですが、Vigil見たあと振り返るとぬるいなと思う。最終的な打開策は人類がいなくなることって逆に傲慢な考えでは。大きな仕掛けがあって、それがテーマにも関わる大きな見せ場ですが、これについてもやはり私はマコーミックの、時間という概念は男による構築物、というパンチラインを投げておきます。私が気に入らないというだけで全体のクオリティは高いです。

 

*これ、もうネタバレていいやと思うんで言いますが、逆再生(すなわち人類が今までしてきたことを元に戻す)がキーなんです。マコーミックが大変便利なツッコミになっていますが、エコロジーをテーマにして時間の概念を人が操作するという仕掛けはあまりに人間中心主義的すぎやしないかと思います。

 

 

Purposeless Movement, Birds of Paradise

 バーズオブパラダイス、去年はエンタメミュージカルに潜んだボディブローでしたが、今年はナイフで刺してくるかのようなフィジカル&オートバイオグラフパフォーマンス。スタイル全然違って同じカンパニーかと思うほどだけど向かう方向も問も堅くブレてないしより鋭くなってる。ちょっと観終わった後呆然とする衝撃的な作品で、今ビール飲んで精神統一をはかってますが、マイレフトライトフット同様、作品の面白さを減じるネタバレになるため内容は黙ります。でも、マイレフト〜観た人ほどショックを受けると思うしぜひ観てほしい。再びの日本公演を祈ります。

 記録として。私が見た回では上演開始しばらくしてトラブルのため一時中断(出演者がてんかん発作を起こしたようだった)。体調の判断と復帰の時間含め15分くらいの間をおいて再開しました。

*インディペンデントのレビューが、核心を伏せつつ良くまとまっていると思います。

t.co*これはネタばれられません。観てくださいとしか言いようがない。脳性麻痺による身体障がいを持つパフォーマー達のオートバイオグラフィパフォーマンスですが、タイトル通り身体の(不随意な)動きがテーマでもあるのでフィジカルシアター/ダンスの側面もあります。取り上げられるエピソードはとてもヘビーながら、My Left/Right Footでも感じられたゲイルさん的ユーモアが全体を支えていて、きちんとエンターテイニングです。My Left...と今作では作風が驚くほど違いますが、最終的な問いはどちらも同じところを目指していると思います。(これ調べたら、PMの方が先に初演してて(2016)My Left...がこの初演と今回の再演との間に挟まってるという公演順。それも色々と考えさせるものがあります。) 

 

Zoe Coombs Marr: Bossy Bottom

 スタンダップの形を取ったソロコメディショウて感じ。私こういうの好きです。今日は政治の話とかはやんないと1時間下ネタナンセンスで突っ走るも、ジェンダーやセクシャリティのデリケートな話題にも触れていきます(そんで、やだ難しい話しちゃったつってネタをやり直す笑)。途中で、若者はおらんか!と観客に年を聞くくだりがあるんですが、私の隣に座ってた女の子二人組が17歳って答えてて、思わずこれレーティングセーフだっけ?とよぎりました笑。ロールモデル…にはならないかもだけど、こういう楽しそうな大人の女の人がいるのを知るのはとてもよいと思う。

 

 

Jordan Brooks: I've Got Nothing

 これ、なんなんだろう…笑。いやめっちゃ面白かったし、間違いなく次も観るけど。去年はすごく演劇的な作り方をしててシアター枠でも作品だして欲しいって思ったほどだけど、今回はスタンダップに寄せた…のか…?(マイク捨ててたけど。)方向性が一層わからなくなったというか、似たようなタイプの人というのがあまり思いつかない芸風の人です。

 chortle のレビューの 'I’ve Got Nothing is stand-up’s answer to Waiting For Godot'という書きだしを読んで、あぁーってなってる。

 

*『ゴドー』かぁと腑に落ちた結果、無理にまとめることはないのだというところに落ち着きました。コメディアワードおめでとうございます。

 

 

Will Adamsdale

 うまいこと時間が空いていたのでぶっこみ。お芝居もやる人だよと勧められて気になっていたのですが、今回のは正統派スタンダップでした(でも後半につれてコメディトーンを抑えた感じはあったかも)。子供ネタ個人的には結構ツボなので、穏やかに楽しめました。

 

 

Mouthpiece, Kieran Hurley

 他人の経験の作品上の搾取がテーマ。スランプの作家がある少年と出会い、彼と過ごした時間を自分の物語として戯曲にしてしまう。「舞台の外」に置かれた作家によるリフレクションと作品自体に当たる劇中劇のレイヤーの交錯が面白い。でもテーマ自体はドキュメンタリーシアターが散々問い直してきたことなので別に新鮮さはない。むしろそれを完全にシアターのフレーム内でやるのがひねりと言えなくもないか。

 

 

Enough, Stef Smith

 Stef Smith見た事なかったと思って入れました。ベストワークじゃないのだろうけど雰囲気がわかって良かった。CAの同僚であり友人である女性二人が互いのプライベートに共感できず、でも痛みは共有し、という女の友情を描く。フライト中の上空の高さと地上とのイメージの対比が詩的で上手い。

 

 

Rich Kids: A History of Shopping Malls in Tehran

 倫理観のタガの外れた金持ちキッズのインスタグラムのスキャンダラスなセルフポートレイトからスムースにイラク現代史の問題へ繋げていく。前作よりジャーナリスティックになってて、私はこの方向性のが面白いと思う。インスタグラムは重要なアイテムで使い方も良かったと思うけど、トラヴァースの地下の方の劇場で普通の電波は入らず、劇場Wi-Fiでのアプリ使用がかなり厳しかったのは辛い…。このカンパニー前作はWhatsApp使ってて、ソーシャルメディアの関わる社会問題への関心が強いのだろうなと思います。

 

 

Burgerz, Travis Albanza

 黒人のトランス女性であるパフォーマーが、道でハンバーガーを投げつけられた経験から、ハンバーガーを実際に舞台上で作りながら、過去に受けたヘイトについて語っていく。良く練られたモノローグだしアイデアも面白いと思ったんですが、今日私の観た回は意図通りに行かなかったのではと思う。

 観客をひとり舞台に挙げて一緒に料理するんですが、白人のシス男性、と指定するんです。観に来る人もテーマはわかってるだろうし、こういう指定がある時点である程度突っ込んだ話が来るなという予想は立つので、選ばれた人もある程度気持ち固めてたと思うんですが実際に調理を始めたところでその観客が、私ベジタリアンなんです、と(これ悪意があったのではなく、本当にミンチから作ると思ってなかったんじゃないかと思います)。パッケージに詰めるとこまでやるんで、肉焼く匂いとか、かなりきつかったんじゃないかと思う。これは単純にパフォーマーのスキルの問題として、ベジタリアンだとわかった時点で人を変えた方が良かったと思う。ハプニングが功を奏するケースもあるけど、すべて観終わった上での感想としては、トラウマの経験をトラウマとなった料理とともに話すという全体の構成が狂ってしまったように思う。なんというか、相手が妊婦だろうが未成年だろうが問答無用で(わざわざ言い訳スライドまで用意して)ラムをついで回ったshit theatreみたいな露悪的なところがあれば良かったんだけど、そういう作品ではなかったんですよね。

 

*これは上記の理由でもう一度観直したいなと思いました。

 

 

Sea Sick, Alanna Mitchell

 私の知る限り開幕前に言及していた批評家は誰もいなかったのでザ・ダークホースなパフォーマンスだと思います。カナダ人ジャーナリストによる環境問題についてのレクチャーパフォーマンス。TEDトークみたくメッセージとセルフプレゼンテーションが前面に来るようなものではなく、取材中の面白エピソードや研究者から知らされる海洋汚染の衝撃的な数字、その過程で自分が何をリフレクションしていったかを穏やかに、チャーミングに語ります。そしてジャーナリストであるにも関わらず(だからこそ)これを芸術の形で人々に見せることの意義を強く感じさせるパフォーマンスです。

 すでにステージ紙の記事が出てますが、今年のシアター系のトレンドテーマは気候変動と言われてます(流行りで終わらせては行けないんですが)。日本だとそもそも議論になってないテーマだと思うので、個人的には意識してます。

 

t.co*今回のようにジャーナリストとか、プロのパフォーマーでない人が自分の持っている知を伝える方法としてパフォーマンスを選ぶというのはもっと試みがあってもいいのに、というか私が知らないだけで実はあったりするんでしょうか?また社会問題の中でも自然科学系のことって、文理の垣根を越えて芸術にアプローチを、と言われる割には(特に日本では)あまりテーマとして取り上げられる例を見ないような気がしています。あと、そもそも演劇とエコロジーって本質的に相性悪いのではないかという気がしているので(ヒューマニズム的にも上演にかかるコスト・エネルギーとしても)そこを打開する作品が今後増えていくといいなと思います。

 

 

The Afflicted

 アメリカの過疎化した町で起こった女子高校生が集団失神するという事件を題材に、この事件がメディアやSNSでバズる一方、町では彼女たちの存在がなかったことにされている事態を、ダンスシアターとして見せる。最初に発作を起こしたとされる(そしてまだ「完治」していないらしい)4人の少女をモチーフにしたダンスで、フラジャイルなんだけど発作を起こすに至る強い衝動も備えているという、往々にして保守的な女性観ではネガティブに映る彼女たちの像を塗り替える試みのようだった。良作です。

 

 

Musik, Jonathan Havey, Pet Shop Boys

 私の目当てはぺっとしょっぷぼーいずではなくジョナサン・ハーヴェイだ!と言いつつ、これハーヴェイのホン結構ダメじゃね…?汗と思いながら観てた(クィアな女性が書けないんじゃないかとちょっとよぎりましたがまだ判断は保留…)。一番の問題は主演の女優さんだと思う。単純に上手くなくて(としか言いようがない…)。楽曲は私詳しくないのでわからないんだけど、ファンの人的には新曲聞きたいよね。 ドイツ生まれのキャバレーシンガーが名だたるセレブと関係を持ちながら世界を放浪する、というのを歌にして綴るというお話です。

 

 

 これで全部かな。ひとまず。思い出したら追記します。

 

 

エジンバラフェスティバル要チェック作品リストのリスト2019年編

 

今年もやってまいりました、エジンバラフェスティバルフリンジ&エジンバラインターナショナルフェスティバル。電話帳並みの分厚さたる公式プログラムからいかに面白い演目と巡り合うか、そのガイドとなるべく各メディア要チェック作品リストを出しています。そのリストのリストが今回の記事です。来年私が参考にするべく独断と偏見に基づいて書いているものですが、今年はブリティッシュカウンシルのショーケースの年でもあるので、この機会に初めてエジンバラにいらっしゃる方の参考にもなればと思います。(私個人のチェックリストはウェブにあげる予定はありません。知人友人で興味がある方は個別にご連絡ください。)

基本的に、二つ以上の記事で紹介されているものは要チェックに入れていいと思います。

今年はTraverseのチケットの動きが早いです(7月16日時点)。この劇場は公演時間が変則的なので予定が固まり次第購入してもいいかもしれません。

ブリティッシュカウンシルショーケースに関しては多くの推薦作が去年のエジンバラやこの一年ロンドン他各地で上演されているので、そのレビューも参考にしてみてください。

フリンジの公式ページから各演目の完売日が確認できます。気になる作品は売れ行きを見つつというのも一つの手です。もちろん何よりも確実な情報はプレビュー以降、各批評家が上げるレビューと観客の口コミです。会期後半から参加の場合はひとまず初日を待つのも作戦。

あとは博打です。

 

ざっとリストを眺めた印象ですが、パフォーマンス系のSummer Hall一極集中が崩れてきてるっぽいのが気になります(Assembly RoxyやPleasance系へ散ってる)。テーマ的にはブレクジットものが盛り上がるのか静観なのかは結構気になるところ。それから、インターナショナルフェスティバルが今年はかなり充実した内容です。批評家たちの注目も熱い。単に欧州の話題作呼んだねって感じじゃなくて、スコットランド内外へも目配りのきいたプログラムのように思います。あと、去年は演劇・パフォーマンス系が夕方以降のスロットに集中していて、コメディ系とのすり合わせにすごい苦労した記憶があるんですが、今年は午後全体に上手くばらけてくれてるように思います(だからといって組みやすくなるかというとそれは別問題なのですが…)。なんだったんですかね、去年の夜型スケジュール。

まだリストが出ていない媒体があるので、随時追加します。(スコッツマンとかは去年も割と遅かったような。)

 

 

stagedoorapp.com

我らがリン・ガードナー先生、昨秋からstagedoorというウェブ媒体に所属されました。シアター、ダンスを中心としたおすすめが、公開日ごとに10作ずつ計50作品がっつり並んでいます。(ブラウザからでも見れますが、メインはスマホアプリです。アンドロイドだとちょい使いにくいのですが、よろしければダウンロードを。)メインストリームからアヴァンギャルドまでジャンルを問わずカバーする批評眼の持ち主ですが、個人的には、実験的作品や若手の作品に対する彼女の評価には絶対的な信頼を置いています。

開幕後のレビューもここ発信のようなので随時チェックしてみてください。あと前回も書いたと思うんですけど、ガードナーさん、所属メディアに書ききれない感想はツイッターに流します。私は去年、彼女のツイートからMechanimalってアタリを引いたので、とにかく会期中は彼女の動向から目を離してはなりません。

 

www.theguardian.com安パイなガーディアン。シアター、ダンス、コメディから50作品チョイスです。わりと網羅的な気がするので、趣味に合わなさそうなやつは己の勘を信じて外してください。シアター系のレビュアーはおそらく現地もおなじくマーク・フィッシャーさんかな。好みの問題もありますが、バランスが良くて私は割と相性が良い批評家さんです。

 

www.theguardian.comガーディアンは割と早い時期にマストシー10作リストも出してます。こちらは既に上演された作品(フリンジでは再演)となるものが中心かと。上の記事と重複はないようなのでご参考までに。

 

www.standard.co.ukイヴニングスタンダード。記事担当の批評家さんは存じ上げないのですが、数は少ないものの注目ラインはガードナーさんあたりと近いかと。

 

www.thetimes.co.ukすみません、タイムズは有料になっちゃったので見てないです…。リンクだけ。

 

edinburghfestival.list.co.uk

エジンバラのエンタメ情報誌LISTの記事が今年は熱い(気が。去年見落としてたらすみません汗)。リンクを張ったのは注目トップ10の記事ですが、他にも、LGBTQI+、男性性、自伝的パフォーマンス、メンタルヘルス、宗教などなどテーマ別の注目作リストもあります。LISTは会期中、Top Ratedというレビュー数/星の数の作品ランキングも出しています。

 

www.timeout.comロンドンのエンタメ情報誌Time Outのリスト。ルコフスキーさんのレビューは(口悪いけど)手堅いです。舞台芸術をあまり見慣れていない、あるいはフリンジのようなフェスティバルには初参加、という方はまずここを参考にするのがいいと思います。たぶん、外れないです。

 

edinburghshowcase.britishcouncil.org隔年開催されるブリティッシュカウンシルによるエジンバラショーケースの推薦作品。舞台芸術関係者のためのショーケースですが、推薦作は一般にも公開されており、チケットもフリンジのサイトから普通に買うことが出来ます。公募から選ばれた英国製作のシアター、ダンス作品が対象で、再演作、EIF参加作品も含みます。こちらも手堅いですが、個人的にはシアターに関してはTime Outのセンスの方が好み。

 

www.chortle.co.ukコメディ媒体Chortleです。今年はテーマ別におすすめリストを出してますが、演劇畑的に注目なのはこのリストかしらと。私、小声でしつこく言ってんですが、フリンジではジャンル横断的な(あるいはジャンルを定義しにくい)作品がわりと多いです。コメディと演劇・パフォーマンスは、その意味で両方の観客層に刺さる作品が出がちなので、コメディに興味なくても少し注意を向けておくといいかもしれません。もちろんコメディファンの人は、他のおすすめ記事も要チェックです。

 

www.gojohnnygogogo2.comお世話になっております、イナムラさんのコメディブログ。今年も要チェックリストが出ました。日本語で読める数少ない英コメディ情報源だと思います。コメディ枠だと、若手ベテラン問わずフリンジレギュラー参加という人も結構いるので、これだけでなく過去のフリンジ関係の記事にも目を通すと好みの演目を探しやすいと思います。あと、フリンジコメディジャンルのこの数年の動向(フリーフリンジからチケット制の小屋へ回帰とか)についての記事も、シアター系とはわりと違うポリティクスが動いているんだなととても興味深いです。

(ところで、イナムラさんとわたくし、この6月に今をときめく若手コメディアンJames Acasterのライブをわざわざ彼のホームタウンであるケタリングへ見に行くという弾丸ツアーに出ており、その珍道中の模様もまとめていただいてます。ちなみにAcasterさんは今年フリンジには来ません。)

www.gojohnnygogogo2.com

 

*以降、目ぼしい記事があれば追記します。

 

 

おまけ。

このブログの去年のエジンバラ関連記事。

navyblue85.hatenablog.com

navyblue85.hatenablog.com

 

 

 

 

 

Top Girls at National Theatre by Caryl Churchill, dir. Lyndsey Turner

観劇日:2019年4月6日14時15分

 

 この頃はツイートでまとめた気になっちゃって、ブログ投稿が久々すぎるのですが、今作は連ツイが長すぎる、という事態に陥ったので改めて書くことにします。キャリル・チャーチルの、おそらく最も良く知られている作品であろうTop Girls (1982年初演)、リンジー・ターナーによる、ある意味での「新演出」です。

  Top Girlsは戯曲には指示がないものの、慣例になった演出案があります。ひとつは一人複数役のキャスティングで、主人公マーリーンを除いて、一幕の登場人物を演じる役者が、舞台設定が大きく変わる二幕以降の登場人物も演じるというもの。マックス・スタッフォード=クラークによる初演時の記録が現在出版されている戯曲の多くの版に掲載されており、その配役組み合わせを踏襲する場合が多いです。この点は、今回チャーチル自身が公演パンフレットにコメントを寄せており、大意としては、複数役キャスティング(doubling)の演出上の意義は確かにあるけど、この作品については(キャストの人数の)実際的な問題のためにそうなってきていた、とのこと。少なくとも彼女の知る限り、プロフェッショナルな公演では今回初めて一人一役(16名が出演)となるそうです*1

 もう一つは休憩のタイミング。これは、私も上演史をさらえてないので他のパターンも少なからずあるのかもしれませんが、私の知る限り通常2幕1場(アンジー、キット、ジョイスの場面)の後に入れるはずです。*2ところが今回は、今のウェストエンドの上演慣習からしてもかなりイレギュラーですが、2幕2場後に休憩が入ります。つまり、上演時間としては30分ほどの3幕を単体でやるという構成です。

  そのような演出プランなので、この作・演出・出演者の顔ぶれにしては、レビューの評価はわりとばらついてます*3。ただ、Top Girlsのややこしさと面白さというのは、古今東西歴史に名を遺す女性たちを集めたパーティというインパクトの大きくある種普遍的な1幕と、1980年代初頭サッチャー政権下の「キャリアウーマン」の生き様という時代も場所も非常にスペシフィックな題材を扱う2幕以降が同じ強度である点で、この40年近く前の作品を今どう解釈するのかというのは、演出プランの驚きを抜きにしても意見が様々なところだと思います。もちろん、今回のターナー演出は必然があって生まれたものでしょうし、ここまで大胆に変えてこそ今この作品が新しく意味を持ったと思います。

 ターナーの関心は割とはっきりして、キャラクターの掘り下げにはあまりエネルギーを割いていません。マーリーンどころか他の登場人物でさえ、共感できるタイプの女性像がほぼ出てこない(唯一、アンジーがレズビアンともとれる造形になっていて、それはすごく面白かったですし、共感の対象になり得る人物かなと思いますが)。私は、Top Girlsは読みようによっては女性のエンパワメントになる戯曲だと考えています。マーリーン、ジョイスやキッド夫人にしても、あるいは二条やイザベラ・バード、ヨハンナたちにしても、彼女たちの境遇に観客が自分とどこか重なる部分を見つけて、ガラスの天井に対する怒りを代わりにぶちまけてもらう、ということが出来る作品です。おそらく、少なくとも1982年の初演当時には、ロンドンでこの作品を観劇してマーリーンに自身を投影した女性は少なくないと思います。

 対して今は。1幕でテリーザ・メイを揶揄するジェスチャーが出てきて*4それが笑いを取るわけで、それでサッチャーは女性初の首相だと興奮するマーリーンの台詞が映えるはずもない。80年代初頭の「OL」たちはもはや、そんな時代もありましたね、のカリカチュアで、マーリーンが昇進によって経験する周囲との軋轢はごく一部の「トップガールズ」だけの問題ではなくなり、抑圧への共感よりむしろ、私だって辛いんだけど、という感情を逆なでする。女性の社会進出がそれだけ進んだのだと素直に喜べないのは、だから女性はもっと連帯できるはずだという解釈に容易に向かえないことです。時代の変化によってこの戯曲から新たに浮かび上がってきたのは、あなたもたいがい大変なのだろうけどでも今私の足踏んでる、という状況が互いに起こり続けるという、誰もが「トップガールズ」になれて、同時に誰も「トップガールズ」にはなれない、という矛盾この上ない現実です。

 ターナーはドラマツルギーや戯曲の構造を通して自分の読みを見せることに長けた演出家だと思うのですが、それが今回直接的に演出案変更という形に表れていると思います。最も興味深いなと思うのは、1幕のパーティと3幕のジョイス宅での晩酌をパラレルに見せようという意図が感じられるところです。3幕のジョイスとマーリーンの口論*5で、二人がテーブルにつくことがほとんどありません。かなり広く空間を使いながら、正対することを避け、各々の主張を相手のいない方向へ飛ばすというちょっと独特な対話の仕方になっています。さらに違和感を覚えるのが、直前のオフィスの美術や衣装が80年代イケてるオフィス感を過剰なまでに押し出していた半面、ジョイス宅のダイニングルームは非常に緻密なリアリズムで作られていることです。二人の食い違う対話に反し、この景色は3幕こそ現実なのだと見せつけてきます。

 このかみ合わない口論と空間のリアリティは、1幕のパーティの突飛さの裏返しのように思えます。マーリーンの昇進祝いに、古今東西歴史上の「トップガールズ」たちが高級レストランに集い華やかなパーティを繰り広げる。設定こそ夢物語のようですが、肖像画や写真、絵画、文学作品から飛び出てきたかのような彼女たちの姿をいかに「本物らしく」見せるかがこの冒頭のインパクトを握っています。ですがこのシーンで注目すべきは、彼女たちの会話がまともに成立している場面はごく一部だということです。互いの話をろくに聞くこともなく、ワイン片手に自らの差別や抑圧の経験を吐き出すばかり、周囲も多少の相槌は打つものの「私にも似たようなことがあってね」と、話題を自分の愚痴に変えてしまう。夢のようなパーティが開けたのに、結局はみんな不幸だったねと酒に流してしまうだけ、という1幕の結末は、レストランやドレスの華やかさに反し非常に冷淡なものです。

 そして一人一役演出のために、役者が備える1幕からの連続性が絶たれます。つまり、このパーティはマーリーンの空想の産物でしかないことが強調されるわけです*6。相手を顧みず自分のしんどさを勝手にしゃべっていても1幕なら夢で済んだ。でも3幕は、かみ合わない会話から本当に逃げることはできない。なにより、マーリーンとジョイスの関係において相手の足を踏んでいるのは紛れもなくマーリーンの方です。後半を3幕単体上演とするエネルギーの注ぎ方は、憧れのパーティなんていう空想に逃げるな、この場にこそ向き合えというターナーのメッセージのように思います。

 Top Girlsを女性へのエンパワメントとして今演出したとしても、決してそれが間違いだとは思いません。ただ、やはりチャーチルがこの作品により強く込めたものは、女同士だからというだけでそう簡単に連帯できるわけではないという、フェミニズムの辛さ(そして同時に、「女」というカテゴリーの元それぞれが違うからこそ変化してこれたという希望)だと思います。ターナーが今作で後者を前面に出す演出を採用したことは、私は高く評価したいと思っています。エンターテイメントという意味では物足りなくなったかもしれませんが、伝えるべきことをきちんと具現化した舞台です。

 

*1:昨今のダイバースキャスティングの潮流と、一幕の登場人物の人種を史実通りに残すこと(82年時点でアジア人女性のキャラクターが描かれていたという点で、私は史実に沿ったキャスティングにすべきと考えています)の折り合いをうまくつける意味でもうまくいったのではないかと。あと、ちょっとうがった見方ではあるんですが、metooにより事実上業界追放となったスタッフォード=クラークの演出案から離れたいという意図が、製作サイドにあったのではないかなぁと思ったりします。

*2:休憩の入れるタイミングに関しては戯曲に指示があったのを以前見た記憶があるのですが(1幕のパーティシーンの直後ではなく2幕1場後が望ましい、という内容)大学のデータベース読める最新の版では見付からない…。ちょっと探してみます。

*3:ところでターナーが変えているのはあくまでも演出の慣例で戯曲本文は変えていないはずですが、このばらつき感が英演劇界のdirector's theatreへの評価とちょっとパラレルなのが興味深いです。

*4:細かい台詞を忘れましたが、ウェストミンスターの方角(近いんです)を指さすってところがあるんです。

*5:ちなみにこの中でアンジーの出生について明らかになるわけですが、1幕で話題の多くを占めるのも子を持つことをめぐる不幸です。

*6:ちなみに、慣例ではイザベラ・バード、キッド夫人、ジョイスを一人で演じます、って書いてて、この役者さんは3幕それぞれ異なるキーパーソンをやることになるのかと気づきました。

2018年8月~10月の観たものリスト

放置していた下書きを発見。もう半年前か…と冷や汗をかきつつ放流。(そんで、11月以降のもまたリストにせねばなのですね…)

 

 

夏は(若干軽躁的に)テンションが上がってガンガン観劇予定を入れがちなのと、それに応えているかのように注目作の上演本数が多いので、観るのに書くのが追い付かず、例によって観たぞ、の記録だけ取っておきます。

7月まるっと帰国しており、その間日本でも複数本舞台を観ているのですが、そっちは今のところまとめる予定はありません。

 

2018年8月8日 14時30分

Fun Home at Young vic by Lisa Kron, dir. Sam Gold, based on the Graphic Novel by Alison Bechdel

トニー賞受賞のミュージカルのトランスファー。レズビアンの漫画家が自身のセクシュアリティとクローゼットのゲイだった父親との関係を描いた自伝的作品の舞台化です。日本でも翻訳上演がありました。ミュージカルとしては出演者数は少なくこぢんまりした雰囲気ですが、鋭く刺さる物語。後半の改築された実家の美術は圧巻、そして父親の心情を表すかのように不気味です(NYと演出が変わっているっぽい?)。

 

同日 18時

£¥€$ (LIES) at Almeida theatre, dir. Alexander Devriendt

観客参加型。観客はそれぞれ銀行として架空の国に属し、自国のインフラへ投資したり国債を売買したりして、貨幣価値を高めて競い合う。ボードゲーム的なものとしての楽しさはあるけど、資本主義批判の主題はどこへ…。貨幣とは所詮フィクションで…的なベタなヒューマニズムへの回収も不満でした。あと、ゲームの構造的に、経済に疎い人はプレイするのに精いっぱいで、逆に詳しい人は本来金融市場にあるはずのシステムがなくて混乱(ゲーム用に簡素化されてるため)みたいなことが良く起こってた。

 

2018年9月4日 19時30分

Hamilton at Victoria Palave theatre by Lin-Manuel Miranda

言わずと知れたミュージカル賞総なめ作品。この時期ロンドン滞在中で、運よく直前にリターンチケットが買えたのでした。骨格としてはかなりの王道路線ミュージカルなのに、キャスティングと音楽の選択でここまで新鮮になるものかとびっくりしました。曲かっこいいです、サントラ買いました。

 

2018年9月7日 19時30分

Pinter Season 1 at Harold Pinter Theatre

ピンター後期作品の、特にポリティカルな要素の強い短編のコレクション。ピンターシーズンは6までキャストと作品発表があり、さらにトム・ヒドルストン出演の『背信』の上演が決まりました。普段ウェストエンドではかからない短中編やすごく初期ないし後期の作品が中心的に取り上げられているので、どれを見るにしても面白いと思います。(面白かったです!(過去形))

 

2018年9月8日 14時30分

Gecko at BAC

今わりと売れてる(?)フィジカルシアターカンパニー、これが初見でしたが個人的にはあまり…。ヴィジュアル的な綺麗さはあれど、内容的には隙が多い。どちらかというと、今回の観劇動機は復活したBACのメインホールをみたいというところにあり(3年前くらいに火災にあって、その時上演予定だったのがゲッコー。復活も同じカンパニーで、という趣旨)。綺麗に再建されてて良かったです。

 

同日 19時

King Lear

イアン・マッケラン主演、チチェスターフェスティバルシアターの製作です。サーの演技を堪能。解釈としてはリア王認知症路線でしたが、子ども返りをしてしまったような造形でした。

 

2018年9月11日 19時

Lehman Trilogy at National Theatre, dir. Sam Mendes

サム・メンデスはすげぇなぁと思いましたです。リーマンブラザーズの創立者兄弟の人生を3人の語り手/兄弟たちが語り継いでいく。これ、おそらくキャラクタライゼーションのないタイプの戯曲だったのではと想像するのですが、上手いことNTの観客のテイストにもあうような人間ドラマ的モメントを入れ込んでいて、それがとても良かったです。

 

2018年10月4日 19時30分

Poet In Da Cornar at Royal Court Theatre by Debris Stevenson

これ、あまり印象に残ってないというか、ヒップホップ/ポエトリーリーディング、ダンス、演劇のミックスなのですが、それらが上手く混ざっていないように感じ、またストーリーテリング部分のレベルもあまり良くなくて、結局関心が続かなかった(私のコンディションがちょっと良くなかったのもあるとは思う)。ただ、ロイヤルコートの方向性が少し変わってきてる、劇作家の劇場ってだけではなくなっている、という印象はじわじわ感じてはいます。

 

2018年10月13日 14時30分

I’m a Phoenix, Bitch at BAC by Bryonny Kimmings

これ、評価に躊躇してます。キミングスの子供が重篤な疾患を持って産まれてきた(亡くなったとは言ってないけど、ちょっとその辺もぼかされている)という話を、オートバイオグラフィーパーフォーマンスのお手本のようなフォーマットで語るのですが、そもそも題材がヘビーすぎて、そのヘビーさをコメディとか別の感性に昇華させない方向性なので(昇華させなくてもそれはいいのですが)どう受け取っていいかわからなかったんです。元々、自伝的な要素を作品に取り込むパフォーマーなので、この路線で作品製作を続けてたら、次はもっとつらい経験をしないと作品が作れなくなるのではないかと思いました。キミングスは好きなアーティストですが、そういう風に身を切って活動を続けて欲しいと私は思いません。

 

同日 20時

Summit at Shorditch Town Hall by Andy Smith

未来の「サミット」について、三人のパフォーマーが、手話や外国語を交えながら語る。これ、俳優のレベルをもっと上げて欲しかった、絶対良くなると思う。というか、スクリプト自体は、フォーマリスティックな面白さとダイバーシティの理念とユーモアがきちんとかみ合っていてレベル高いので、いやほんとキャスト変えてもう一回…。惜しすぎる。

 

 

Edinburgh Festival Fringe and Edinburgh International Festival 2018 (追記しました)

 一つ一つに感想を書く余裕がないので、ざっくり観たもののリストと簡単なコメントを。鑑賞直後にツイッターに走り書きしたものをもとにしているので、第一印象だけな内容が多いです。タイトル、作家、演出家、出演者などなどのクレジットは検索可能な程度で省略してます。あと、日付も省略してます(時間を打ち込むのが大変…)が、並びはほぼ観た順番です。ちなみに滞在期間は8/17-8/27でした。

 パフォーマー、カンパニーによっては毎年フリンジ参加している場合も多いので、今後の参考になれば。

(書洩らしていた作品を一番下に追記しました。)

 

Xenos by Akram Khan

 カーンの名前だけにつられていったんですけど、私この人合わない、を確認する会となってしまった…。ダンス作品で、動きに直接的な意味が見えるというのがとても苦手で、それがドラマチックに密なエネルギーでもって多用されていたところがどうにも合わず。キレッキレの動きはとても美しかったけれど、だからこそ妙に意味深な振りが気になってしまう。フルレングスの作品を初めて観たので比べられないのですが、他の作品でもそうなんだろうか。ちょっと確認したい。ロンドン五輪開幕式のパフォーマンスが印象に残ってるんですが、まぁあれはちょっと文脈が違うしなぁ。

 

Check UP by Mark Thomas

 NHS70周年に合わせ、現代英国でNHS制度がどうなっているのか関係者のインタビューを基にマーク・トーマスが語りまくる(*70周年とあって、NHSテーマの作品は他にもいくつか)。テーマはとてもクリアで、彼のメッセージにもちろん異存はない。ただ、NHSというか医療福祉制度にまつわる問題は当然のごとくものすごく多岐にわたっていて、そして結論が出ない。その広さ深さを関係者インタビューを起点に見せていくので、構成がルースになってしまうというか、ちょっとWIPっぽさがある。内容自体はとても面白いのだけど、もう少し特定の問題やインタビュイーへのフォーカスがあると個人的にはもっと入り込めたかもと思う。でも問題系の広さを示すのが大事ってのもわかるので、作品にはとても納得している。

 

The Basement Tapes by Stella Reid
 魅力的な役者さんなんだけど、スクリプトが惜しい。テープレコーダーがキーアイテムとはいえ、一人芝居で録音音声多用するのはもう少し工夫が必要と思う。
 

Revelation by James Rowland

 精子ドナーってテーマですでに面白そうと思ってたけど、予想を超える重い物語がボディブローのように効いてくる。ローランドがクリスチャンてのが超ポイントにも関わらず語りの中ではその重要性はみせず、でもパフォーマンス全体を支えさせているのが巧い。ちゃぶ台返し的エンディングも良い。これ、レイブンヒルのHandbagをちょっと思い出す設定(*友人のレズビアンカップルへの精子提供という設定のこと。Handbagはゲイカップルとレズビアンカップルで「家族」を作るというのがメインの筋の一つで、ローランドが自伝的パフォーマンスなのに対し、こちらはフィクション。)。でもHandbagがゴリゴリバッドエンドなのに対し、こちらはどうにか希望を見つけようとするラスト。作り手の作風もあるけど、20年のキャップを思うと、時代なのかなとも感じる。

*私のとなりの席の人が文字通り号泣しており、何か思うことがあったんだろうなと思ってたんですが、別の日に観た友人がやはり、めちゃくちゃ泣いてる人がいた、と言っていたので、どうもある層にピンポイントで刺さる作品だったようです。(ちなみに泣いていたのはどちらも男性でした。)

 

User Not Found by Dante or Die and Chris Goode

 近しい人が亡くなった時、その人のSNSアカウントをどうすれば良いのか、という問いをめぐるイマーシブ系一人芝居。これ、パートナーを亡くしたゲイ男性が主人公で、その設定に一瞬驚いたんですが、いや驚くことでもないわなと思い、いやうちの国の同性カップルの権利ってデジタルアセット以前…と思い至る。そういう意味で私の感覚では情報過多に思えたのは正直ある。あと、親子間(子が先に亡くなる)の方が、デジタルネイティブ世代の切り替わりという意味で、よりテーマが掘り下げられるような気はしたけど、これも私の感覚によるのかも。達者なパフォーマーさんでしたが、ヘッドフォン&スマホ&カフェでイマーシブにする必要があったのかはちょっと疑問。私はむしろこうした装置のために意識が散ってしまった。

 

Ulster American by David Ireland

 尖ったポリティカルな笑いはすごく面白かったのだけど、ヘビーな政治問題を3人芝居でこれだけたくさん扱うことで相対主義っぽくなってる気も。三つ巴になっちゃうコメディの構造が、今回の政治トピックではあまり生きていない気が。セット、演出がシットコムさが強いので、テレビでやっても良いんじゃないかと思った。

 *アイルランドの『キプロス・アヴェニュー』は来春、ロイヤルコートで再演予定。

 

La Maladie de la mort by Marguerite Duras, dir. Katie Mitchell

 決してつまらなくはなかったんだけども、映像と舞台の表象の対比でこの手法(*カメラ越しに見えるものは実際に映しているものとは全然違う、ということを見せるタイプの編集/演出を指している、はず(ツイート当時の私))は何番煎じだろうと…。そしてなんでデュラスのこのテキストでこれやろうと思ったのかしらと…。丁寧だなぁ上手いなぁとぼんやり眺めているうちに終わってしまった。てか、わりと結構テキストがダメなんじゃないのというか、これさっきのUlster…のノリでやったらコメディだよねと思えるような感覚の古さがあり。私としては愛に飢えてこじらせたおっさんの話はもうBLで十分だし、ここを演出的に関係性の再解釈でアップデートすべきではと思う(*拗らせたおっさん、は上記の映像テクニックで抽象化されてたんですが、相手の女性は逆に映像の中の人としてドラマチックな存在を確立してしまったような演出で、二人の関係性自体は別に変わってなかったんです)。

 

Electrolyte by Donnacadh O'Briain

 これ面白いです。スコッツマンのゴリ押しを信じてよかった。音楽系スポークンワードだけど、バンドの設定が上手く物語に取り入れられてるし、クライマックスの語り手視点の転換も鮮やか。個々のお話自体はわりとありきたりではあるけど、語りのレイヤーの重ね方、音楽の組み込み方、そういう構成が巧み。その上でパワフルな楽曲でテクニカルなところを考えさせずあえて勢いで持ってっちゃう。

 

Riot Days by Pussy Riot

 メンバーのM・アリョーヒナがPRの活動を記した著作Riot Daysの抜粋のシャウトとパンクロックのライブ。ものすごく扇動的で詩的な言葉がビートの効いた音楽と彼女たちのパフォーマンスとミックスされて体が動かざるを得ないパワフルさ。ステージ正面の観客の勢いは特にすごかった。

 フリンジ参加に際しアリョーヒナがロシア政府から渡航禁止を言い渡されており、その事件と出国までの詳細は新聞報道も出てるんですが、開演前のMCで、実はイギリスへの入国手続きでも問題があり、曰くイギリスの入管の方がより厳しかったと。私はイギリス人ではないけど、自分の国が彼女の来英トラブルに関わってるって聞いて乗れないだろ普通、と思ってヘドバンとかしてる観客にすごい醒めつつ、でも同時に彼女たちのパフォーマンスの巻き込む力もひしひし感じてて、途中からひどく混乱して、デモやアクティビズムのことをずっと考えていた。私は、デモがとても苦手でめったにいかない。大勢の人の中でコールやスピーチやパフォーマンスに囲まれてると、冷静な判断が出来なくなるタイプだなと自覚があるので。だからこのライヴに乗っちゃう人の考えは理解できないけど感覚はわかる。劇場なら平気かなぁと思ったけど甘かった。取り乱して帰路についた。

 

Best Dad Ever by Ken Cheng

 アヒアさんを見逃し夕方まで散歩するかとウロウロしていたところべドラムシアター前で宣伝のお姉さんに捕まり、今日のチケットあと数枚だよ!の言葉にノセられて飛び込み。思わぬ収穫でした。スタンダップとしては粗いけど内容が良かった。コメディじゃないフォーマットでも良いかも、と思う。中国系イギリス人の2世で、かつその事と深く関わりながら個別ケースでもある自らの家庭事情を、父親の存在に落とし込む形で語るのですが、カラッとした口調と裏腹に置かれてるのは複雑な状況で、その状況のクリアに出来なさが面白くも切なくもあり。移民二世のコメディはこれまでも見た事あるけど、東アジアの人はほぼ初めて。文化背景が近い分、親との価値観のコンフリクトとか、抱える葛藤は比較的わかりやすいように思った。

 

My Left/right foot by Birds of Paradise adn National Theatre of Scotland

 マイノリティの役は必ずその当事者が演じるべきか問題への一つの回答となる作品(その結論がクライマックスなのでオチは伏せとく)。上演時間短いので展開早くて、もうちょい掘り下げた方がという部分もあるけど、勢いあるミュージカルコメディ。手話通訳日かなと思ったら、手話通訳者というキャラクターだった。物語に出たり入ったりが絶妙で、時に他の登場人物と会話し、時にモノローグをそっと訳す。

*障がい者の役を障がい者がやるべきか否か、というキャスティング問題をめぐっての、とあるアマチュア劇団のドタバタコメディ。オチですが、大まかに書いておくとすれば、障がい者の役はやはり障がい者がやるべき、でも演じる役と全く同じ障害/経験を持った役者はいない(その意味でフィクションである)、という結論。いろいろ議論があると思いますが、今の演劇業界としては最適な判断だと個人的には思います。作品自体も、この結論が絶対だという見せ方ではなく、あくまでも暫定的にこの選択をする、という印象を受けました。(全編稽古場風景で、実際にこの劇団が作った舞台がどうなったかは描かれません。)

 

Unsung by BigMouth
 男性政治家の公私のコンフリクトと観客にだけぶちまけられる本音の間を行ったり来たりの一人芝居。マスキュリニティを政治家のキャラクターで掘り下げるって切り口では意外となかった気がする。ただ見せ方はもうちょい工夫が欲しいというか、えらいどストレートなソロパフォーマンスなので、奇をてらうくらいでもと思う。

 

The Ballad of the Apathetic Son and His Narcissistic Mother 

 母息子関係の話で実の親子のパフォーマンス。マザコン方面ではなく毒親方面の際どさが新鮮。ただラストは私としては過干渉ラインを超えてしまった感じがする。両者の語りのミックス、下手ウマなダンス、映像の使い方とシンプルながらmessyな感じが面白い。

 

When Harassy Met Sally by Fin Taylor

 シスヘテロ男性コメディアンがジェンダーセクシュアリティmetooに正面タックルして こんなに笑えるなんて!の驚き。しっかりupdateされたポリティカルビューとどうしても納得できない感覚の折り合いのつかなさを、誠実にかつエネルギッシュに、情けなさに逃げることなく語ってく。冬に見たときよりテクニック的にも段違いでレベルアップしてると思う(プレザンスで満席でってテンションもあるにせよ。)情報量の多い怒涛のノンストップトークだけど、きちんと言葉が入ってくる。

 

Daniel Kitson

 これ何か書くべき感想があるかって言うと、深夜にだるーっとKitsonさんのおしゃべりと今作ってるネタを聞く会、という感じなので、それ以上でも以下でもなくというか。楽しかったけど、さすがにスタンダップはしごのあとで、宿につくのが午前2時は疲れた…。(*0時開始でした…。)

 

A Fourunate Man by Micheal Pinchbeck

 英国最初のGPの一人である医師の伝記を元に、二人のパフォーマーが彼の生涯を追う、という作品ですが、実は本題はこの医師の人生ではなく、一冊の伝記をいかに語るかの技法の方。複数のナラティブをパラレルに走らせたりメタに置いたり、ぱっと見とても静かだけど遊びまくっている。ピンチベック作品を観たの3年ぶりだけど、彼の関心は技法や形式なんだと確信した。

 

The Infinite Show by Mark Watson

 アダム・ヒルズが来なくなった今、新たな癒やしコメディアン枠をと思って入れました。安心して大笑いして気持ちよく劇場出てきた。ちょっとミーハー入ってる自覚はありつつもこのチョイスは正解でした。(でもメインのネタは離婚話なのでそこそこハートブレーキング感)

 

Shake a Leg by Andrew Maxwell

 三年ぶりに見たけど、なんか妙にペシミスティックだった。ネタがつまんないというより、全体の空気が落ち込んでどうも笑いにくい感じ。今回がたまたまなのかなぁ。まぁ、ブレキジットから陰謀論、反ユダヤまでがっつり扱って暗い気持ちにならない方がどうかしてるわけではあるが。

 

The Last Straw by People Show

 これ面白いかどうかはわりとどうでも良くて、イギリスで最も設立の古い現役のパフォーマンスカンパニーてだけで観に行った。正しく前衛というかイギリスで言うところのexperimentalってこれよね、という感。お勉強というと言葉が悪いけども、英国パフォーマンスの歴史をしみじみ感じる。

 

Queens of Sheba

 黒人女性が受ける複合差別をカラッとしたコミカルなパフォーマンスで見せる。負の経験をゴムが弾けるようにパワフルさに転換してて、その明るさがすごい見応え。ブラック女子あるあると思しきネタは私はわからなかったけど一部観客の爆笑をかっさらってた。今回のフリンジで見てきた中で、ダントツで黒人、女性観客の多い客席でした。

 

Bleed by Jordan Brooks

 コメディ畑で話題になってたところパフォーマンス界隈でもお薦めを見たので(J.ローランドさんがパンフで名前挙げてたり)。見事にコメディ/パフォーマンスの境界を突っ切る作品だと思う。ただ、ぶっちぎり方が(スタンダップ)コメディのフォーマットをグリグリ壊していく感じなので、普段コメディを観ない人にはちょっと勧め辛い。でも演劇・パフォーマンス的にもとても面白いです。コメディアンの人には怒られるかもだけど、パフォーマンス作品としての掘り下げ方も見てみたいです、この人。

 

Angry Alan by Penelope Skinner

 これ良かった。尺延ばして演出しっかりつけてぜひツアーを。men's rightsキャンペーンにはまり込んでいくある地方の白人中年男性の姿。トンデモな男性差別の理屈に笑ってしまうけど笑えないのはこれが実際に人を社会を動かしていること。日本でもアクチュアルなテーマではないでしょか。

 

Underground Railroad Game by Jennifer Kidwell and Scott R. Sheppard 

 これ、ちょっとまだ判断が付かないというか、南北戦争&黒人差別問題を現代のinterracialな恋愛関係を通じて描く方法のラストがこのセックスでいいのか?(*いわゆるSMと思われる行為でした(黒人女性と白人男性のカップルで黒人女性がSの側))と考え込んでいる。コミカルな二人芝居で、役者さんも魅力的だけど、転換ごとにスピードが落ちがちなのは残念。

 

The Political History of Smack and Crack by Ed Edward

 昼間にundergroundを観ていたもんで、歴史的事件と個人の経験が重なる的なナラティブ(しかも男女二人芝居)で比べてしまう。んでunder...のが面白い。テーマだけでなく、たぶんスクリプト、役者もあまり良くなくて、今誰が誰に喋ってる?と困惑することが多い。

 

Square Go by Kieran HUrley and Gary McNair

 楽しい〜そして可愛い〜!思春期男子のマッチョテーマは一歩間違えると地雷ですが、メタシアターな(お客いじりとか実年齢ままなビジュアルとか)要素が感傷を破壊してくる笑。(いくらダサくても)ちゃんと大人に見える、というのも今マスキュリニティを語る上では重要な仕掛けだと思う。

 

Best Of... by Richard Gadd

 これはすげぇ。別の仕事との兼ね合いで今回は総集編だなんて、とてもそうとは思えぬクオリティ。明日友人が観るので詳細はそれまで伏せとくけど、ガッドさんの伏線や仕掛けの巧妙さは演劇パフォーマンス畑の人にもおすすめです。

*伏せなくて大丈夫になったので追記。 夏前に放送されたラジオのネタ(生き別れの父親についてガッドが語るという放送内容だが、いよいよ放送が始まるという段になって問題が起こりまくり、パフォーマンスどころではなくなってしまうというドタバタ)をもとに、過去作のネタやちょっと新ネタも含めての、ベストオブ、なショー。彼、伏線張り巡らしたりメタシアター的構造を作るのが得意技なのだと思うんですが、そうしたネタが決まる時の気持ちよさは一級です。

 

Zugunruhe by Tom Bailey, Mechanimal

 ガードナーさんが変な褒め方してるなと気になって飛び込んだら予想以上の大当たりだった。鳥の移動と人の移動を緩く重ねながら、その核にある環境問題、難民問題に静かに触れる。何がすごいってこの地味目なモチーフとシリアスなテーマをおじさんパフォーマーが文字通りに鳥になったり人になったりして見せるという、どうしてそうなった感。でもちゃんと機能してるというか見終わったあとはこの手法がベストと思える。これ、ロンドン行きます。フォレストフリンジがあればそこに拾われてたろうにと思う。お客さん入ってないのが残念。

 

 After the Cut by Gary McNair

 うーん、Square Go 見た後だと(あちらは共作とはいえ)見劣りしてしまう。ディストピアコメディに振るか、しっかり社会派に持っていくかどちらかに思い切ればいいのに。あと、単純に役者さんがちょっと微妙だったと思う。

 

Midsummer by David Greig

 2008年初演作品の改訂再演版。フェスティバルという場にふさわしい幸せな祝祭感あふれる舞台。グレイグ版またはエジンバラ版夏の夜の夢ともいえると思う。なんてことないラブストーリーなんだけど、会話の一つ一つが愛おしいなと思わせる、戯曲、演出、俳優のコンビネーションです。

 

The Prisoner by Peter Brook

 ブルック、おぉブルックよ…。というわけで、私は二つ星レビューに賛同します。とにかく物語がひどい。なぜ原作ものしなかったんだというくらい、誰が書いたんだこれ状態。俳優の佇まいや空間の使い方の美しさは確かにあって、目を引く部分は確かにあるんだけど、キャラクターもストーリーも台詞もほんとにだめなので(特に台詞の詩情のなさは致命的)もう無言劇にしろやと思うくらいだった。俳優さんがもったいない…。あと、唯一の白人俳優の演じる役がザ・オリエンタリストなの、単に無頓着なの確信犯なの?という謎。その意図さえもわからない脚本レベル…。

 

Jew by Ari Shaffir

 友人のお勧めから。ユダヤ人である自身の経験を聖書と絡めつつ、ダーティにでもクリティカルに笑いを取っていく。ユダヤ陰謀論ネタ、Maxwellさんもやってたけど、あちらがかなり深刻なイシューとして扱っていたのに対し(その態度は全く正しいわけですが)、Shaffirさんは、陰謀論?はっはーそうだよほんとだよ!という返し笑。マイノリティのコメディを当事者性だけで語るのはどうかと思いつつ、でもその立場にいないと笑いにできないことはあるよな、と思いながら見てました。

 

DollyWould by Sh!t Theatre

 キッチュなやつ入れてなかったなと思って行きました。去年も同作で来ていたそうです。カントリーミュージックのトップシンガーであり、ゲイアイコンでもあるDolly Partonの大ファンという二人の女性パフォーマーが、ドリーのドラァグ的ファッションを真似つつ、その振る舞いを、ドリーの作ったテーマパークや彼女のブランドグッズの氾濫、クローン羊のドリー、ドリーのテーマパークの近くにある医療センターの死体の腐敗過程の実験の様子を、身体のコピーを軸に繋げていく。はちゃめちゃなビジュアルに対し、うまい構成です。観客の不快さを刺激するポイントが、ちょっとキム・ノーブルっぽさを感じて(彼のようなdepressiveな感じはほぼないのだけど)そこ結構気に行った。テーマパークを(助成金でw)超エンジョイしてる写真の合間に、唐突に腐乱死体の実験の写真が容赦なく入ってくる。確信犯です。

 

Status by Chris Thorpe

 これテーマの扱いとして私的にはダメでした。英国の超強いパスポートを持っている自身の葛藤を語るモノローグではあるのですが、これダムタイプの『S/N』に同じテーマのシーンがあって、そのラディカルさのインパクトとどうしても比べてしまった。現実的にはThorpeの態度がとても全うなものだと思いつつ、やっぱり私は『S/N』の「私は夢見る…」のフレーズの中で、パスポート破るっていうあのシーンがナショナリティや国境を考える時にはものすごく重いものとしてある。(あとエピソードとして、Thorpeは二冊パスポートを発行されているという経緯があるので、なおのこと、一冊破れやと思ってしまった。)

 ビザ関係でいえば、ヴェヌーリ・ペレラのVisa Godのパフォーマンス(*タイトルを忘れた…ごめんヴェヌーリ汗。手塚夏子さんのFloating Bottleプロジェクトの作品の一つで、私が観たのはWIP版。)とか、非白人コメディアンのボーダーネタとか、そういう視点を思いだしてしまう。彼、彼女たちがそれでもコミカルにこの問題を扱っているのに、英国の白人男性が深刻に悩んでしまうのって、やっぱりのれないなと思う。

 
Nigel Slater's Toast
 自分のコンディションが悪くて眠くなってしまった…ごめんなさい(最終日に朝の観劇入れるのはきつかった)。イギリスで有名なフードコラムニストの自伝の舞台化。思い出深い出来事と料理がシンクロしてるのだけど、実際に物語に出てくるお菓子が観客にも配られ一緒に食べる趣向を凝らしてる。
 

Home by Geoff Sobelle

 フィジカルシアターという宣伝だったと思うけど、少しアクロバティックな感があって、ヌーヴォーシルク的な印象が強かったです。フィリップ・ジャンティぽいなとも思いました。加えてステージマジックのテクニックも駆使されてる。ある家の住人と思しき人々の生活がそれぞれオーバーラップする前半部と、とっ散らかった家で観客巻き込みまくりのホームパーティの後半部。スマートな身体パフォーマンス&しっかりしたエンターテイメント性で、フェスティバル演目としては文句なしの質。ただMidsummerにしてもこれにしても私が見た範囲のインターナショナルフェスティバルの演目は祝祭感貫く感じで、社会に特に問うことはないのか、政治テーマはフリンジに任せてバランス取ってるのか、色々思わないではない。 

 

'75 by Kieran Hodgson

 おそらく今回観た中で唯一のガチブレグジットもの。自分の最大の理解者であるはずの母親が離脱に入れただって?というつかみから、とはいえそもそもEUとは何なのだと、EC/EU加盟に関わった政治家たちのリサーチをもとに繰り広げる一人芝居型コメディ。キュートなルックス、辛辣な突っ込み、誠実なメッセージ性と三拍子そろった良い舞台でした。で、作中で言われるまで全然気づいてなかったんですが、ブレグジット、テーマとしてはもう流行りを過ぎつつあるんですね。国民投票の時の空気を知らないし、ニュースで情報を得るだけなので、当然まだまだ盛りの話題だと思ってた。もちろん現実には全然何にも打開してないわけなので、流行り廃り関係なく、時間かけてリサーチして一本のネタに仕上げるホッジソンの態度はとても好感を持ちました。

 *この記事を整理している最中、離脱暫定合意案をめぐって内閣がひっくり返っております。いよいよ2019年3月から段階的に離脱が始まるので、来年の夏はまたブレグジットネタ盛り返すんじゃないかなぁと思います。

 

(以下追記)

bon 4 bon by Chang Dance Theatre

台湾のダンス作品(振付家はイスラエルのEyal Dadon)。良き!実の四人兄弟のダンサー達で、子供の頃の思い出をモチーフにしつつ家族とも友人ともダンスパートナーともつかぬ不思議な距離感。テクニック的にも上手いし、ユーモアの入れ方はチャーミングだし、唯一の不満は30分の小品だったことか。

 

 

A Very Very Very Dark Matter by Martin McDonagh at the Bridge Theatre

観劇日:11月3日19時45分(90分、休憩なし)

演出:Matthew Dunster

 

 ブリッジシアター年間プログラム発表から楽しみに待っていたマクドナーの新作はいざ開幕してみれば賛否両論の嵐吹き荒れるレビューの数々*1。昨年公開の映画『スリービルボード』から期待値が高まりすぎたゆえか、本当にダメな出来だったのか、評判の真相は…といざ鑑賞してみれば、

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みたいになる作品でした。

 著名な童話作家アンデルセンには実はゴーストライターがおり、それはコンゴからさらわれてきた黒人奴隷の少女で、アンデルセンはペットのように彼女を箱に閉じ込めて作品を書かせ続けていた、というのが冒頭のつかみ。えぇっと、道徳倫理的にどうなのこれ…、いくらアンデルセンがクズ人間として描かれているとはいえちょっと笑えねぇよこのジョーク、と冷汗だらだらの展開と台詞が連なるパート1。休憩が入ってたら本気で帰ることを考えたのですが、パート2に入るとまさかの宇宙猫展開へ。

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 未来からやってきて自由を説くジプシー、(舞台設定の年代から)十数年先に起こるコンゴ紛争での戦いに赴く少女、それを阻止しにベルギーからやってくる二人組の(見た目が)赤い殺し屋。ジプシーに託されたマシンガンを担ぎ、故郷を救うべくドアからタイムスリップする少女と、それを見送るアンデルセン。

 何を言ってるかわからねーと思うが…。

 前半の政治的にも倫理的にもダメな要素を、筋立てもろとも隕石が破壊した後半部、そしてそれが妙なカタストロフィになってしまう、という、なんとも困った作品。PC的にダメだという場合、普通その価値観が作中ある程度一貫して見出されるものだと思うのですが、おそらく意図的にそうした一貫性や論理性をぶち壊しにかかっているので、「タブー破り」を試みた表現かどうか、いまいち判断がつかないのが正直なところ*2。とはいえ、神経に触る表現ではあるので、前半部の不快感も強く印象付けられる。

 クズな人間のクズな言動のオンパレードにもかかわらず、不思議とふと胸のすく瞬間がある、という意味では、しっかりマクドナー作品ではあるのだと思う。いくつかのシーンは、まさにマクドナーだというユーモアと緊張感があって、彼の筆であることに疑いようはない。ただ今回は、その「不思議」がすこしふしぎどころではなかったというべきか。

 それでも、非常にテンポが悪いのは確か。近作であるHangmenと比べても、あるいは多くの人は『スリービルボード』とも比べただろうが、それらに比べて明らかに質は悪い。アンデルセンが童話作家であるところから、ナレーターによって語られる物語の体裁に意識的であるにもかかわらず、全体をドライブする要素がほぼないので、登場人物がだらだらとしゃべる、と言う印象がどうしても強い。片手間に書いたように思われても仕方がない出来だとは思う。

 マクドナーファンは日本にも多いので、いずれ翻訳上演があるのかなとは思うけれども、とても人を選ぶというのか、ファンのための公演になるのではと思う。もちろんいかなる評価を受けようとも、公演自体はやるべきですが。

*1:それをまとめたThe Stageの記事はこちら。

Martin McDonagh's A Very Very Very Dark Matter | review round-up

*2:この作品に政治的に否を突き付ける評価はそれはそれで真っ当だと個人的には思います。ただ、私はPCに関わる表現は原則的に文脈に依ると考えているので、ここまで激しく文脈自体が混乱させられてしまうと、批判のポイントとしてはいったん留保を置きます。ちなみに、「タブーを壊す」という意図がはっきり見えていたら、私の評価は単なる悪趣味で終わってたでしょう。