観たけど感想を特に書いていないもの2018年3月編

備忘録

 

・2018年3月10日

A Night of Small Things for #HeForShe (VAULT festtival 2018)

HeForSheのキャンペーンイベントで、演劇、詩、コメディのショーとパフォーマンスアンソロジー企画。スティーヴンスがモノローグを発表してたので行ってきました。(出来はふつうだと思う。この人のジェンダー観って良くも悪くもすごい「ノーマル」だとは常々。)玉石混交な舞台でしたが、めっけもんは若手コメディアンのHarriet Braineさん。美術史ネタのコミックシンガーでした。

 

・2018年3月20日

Lady Windermere's Fan (Oscar Wild Season Live)

ライブ中継で。登場人物がみんな可愛い可愛い言うて帰ってきました。ワイルドの喜劇は好き。『真面目が肝心』はちょっと思い入れがあるので、そっち観れたら何か書きたいと思う。

 

・2018年3月31日(見たのはiplayerで4月頭に)

Hamlet (Andrew Scott 主演、Robert Icke 演出)

テレビ放送で。真っ先の感想が、父王が貞子、で大変あれなんですが。シャーロックサイコパスキャラツートップの片割れだったカンバーバッチのハムレットがすでにあるので、後発のやり辛さがあったのではないか、と要らん気遣いをしつつ。カンバーバッチ(リンゼイ・ターナー演出)が、ハムレットが政治的大局の渦中においても極めて「普通」の男性であったというところにエネルギーを注いだのに対し、こちらは世界観自体をスケールダウンして(成金一家の遺産相続くらいな感じ)スコットがエキセントリックになれる余白を先回りで埋めていた感じ。おそらく目指すところの造形は両者結構近いのではないかと思うのですが、アプローチが全然違うので比べると面白いです。クローディアスが突出してよかった。あのサイコサスペンスばりの告解シーンは見ものです。BBCが製作にかんでいるので、うまいことなんかしてNHKとかでやらんですかね。

 

Beginners by Tim Crouch at Unicorn Theater

観劇日:2018年4月7日14時

 

 Tim Crouchの新作は児童劇。週末、家族連れに紛れての観劇。

 大雨の夕方、レジャーに来ていた幼馴染の男女四人は、山中のコテージへ泊ることに。それぞれに家庭のトラブルや人間関係上の対立を抱えつつ共に一夜を過ごす中、彼らのもとに子供時代の自身が現れ、その子たちは大人である登場人物たちがかつて作りたかったお芝居を上演しようと奮闘する。

 ・・・というあらすじがあってるのかどうか、というのはわりとどうでもよくて、登場人物たちの背景がよくわからないところが多々あって、休暇のレジャーという設定の反面、登場人物の一人は母親(だったか?)のガンのために銃を持ち出すほどの抑うつ状態でもある。コテージの愛犬であるサンディが時に語り手として舞台に現れたり、子連れの女性のあやす赤ん坊が単なる人形でしかなかったり、銃もいざ撃ってみればおもちゃだったりと、と彼、彼女らの「幻想」と思しき子供時代の姿が現れるより以前に、この舞台上の世界がすでに独特のファンタジーになっている。

 4人の大人たちと、4人の子供たちとの関係はさまざまで、互いに全く関与しない関係もあれば、お互いに語りあったり、嫌いあったり、あるいは子供の頃の方が大人びていたりする。大人になることの、様々な悲喜こもごもの変化、のようなものをそうした姿から十分に見出すことが出来るが、しかしそういう見方をするのは、私がそれなりに「大人」だからだろう。なにせ今作は客席の半分は子供たちである。彼らからすれば、そういう大人のノスタルジーなんざどうでもよくて(あるいは「より」大人びていて、そういうお話も理解はするけどね、not for meだよね、てなもんかもしれない)私とは別の面白さを求めているのだろう。

 四人が子供時代に葛藤した舞台が、「もう一度」(おそらく実際には作ることが叶わなかったのではないかと思わせるものとして)上演される。筋立ての無茶苦茶な、ベタなヒーロー物語だ(とはいえ、配役がジェンダークロッシングだったりするところが素敵だ)。サンディをリーダーに、勢いだけで物語を作り上げていく過程は、その強引さゆえに力強く「(だらしない大人たちは忘れて)私たちを見よ」と訴える。イギリスの子役のレベルを今さら声高に言うこともないだろうが、その大人の切り捨て方の思い切りの良さは中々気持ちがいい。私はもはや大人の視点でしかこの作品を観れないけれど、子供たちにはぜひ感想を聞いてみたいところだ。

 ユニコーンシアターは児童劇、十代を対象とした作品を中心にプログラムしている劇場。(今作は9歳以上というレーティング。)そういうこともあって私の普段の関心からすると、意識しないとなかなか視界に入らない場所でもあるのだが、クラウチのようなアーティストも起用されていて目が離せないなと思う。日本でも、TACT/FESTなどの例があるけれど、それに近い感じかな。

Julius Caesar by William Shakespeare at the Bridge Theatre

観劇日:3月18日15時(雪)

演出:Nicholas Hytner

席種:モブ

主要キャスト:Ben Whishaw (Brutus),  Michelle Fairley (Cassius), David Calder (Caesar), David Morrissey (Antony)

 

 ブリッジシアターこけら落としからの二作目は、シェイクスピアのローマ史劇を現代に大きくアップデート、主要キャストにはベン・ウィショー始め話題の俳優を迎え話題盛りだくさんの作品。「モブ席」と呼ばれている一番安いスタンディングシートがいわゆる観客参加エリアになっており、スタンディングの観客はローマ市民としてシーザー暗殺を目撃したり*1、演説の聴衆になったりする、という演出も見どころ。

 シェイクスピア作品の鑑賞経験がそれほど多いわけではないので、テキストの編集が翻案に近いレベルなのかどうかが私は判断しかねるのだけれど*2演出面で言えばかなり大胆に現代に置き換えていた。特に、シーザー暗殺後のアンソニー、オクタヴィアス陣営とブルータス、キャシアス陣営の内戦突入の流れは、アラブの春以降の中東情勢を露骨に反映させている。もともと(史実に基づくと言えばそれまでだけども)ハッピーエンドとは言い難い作品とはいえ、結構救いようのない解釈だなというのが正直なところ。

 ブルータスとアントニーは逆のキャスティングの方が、という気がした。仲間に焚きつけられてとはいえ、あまりにもこのブルータスはクーデターの類とはかかわりを避けそうな人物造形で、まして自らリーダーシップをとるタイプには見えない。アンソニーも、シリアスな演説より、冒頭のロックバンド引き連れてるようなキャンペーンの方が性に合っている風。そもそもブルータス鳩派とアンソニー鷹派の対立が、ベン・ウィショー、ディヴィッド・モリッシーではあからさますぎて、そりゃまぁオチはみんな知ってるけどもそれにしたってブルータス流され過ぎだよ…アンソニー脳筋だよ…*3という感が否めない。俳優の(特にヴィジュアル面の)イメージをそのままストーリー展開に使っていて、逆に見せ場や葛藤のインパクトが弱まっているように感じた。配役逆にしたところでそれはそれでステレオタイプな政治家像にはなるだろうけど、多少はギャップが欲しい。

 ただ、キャスティング全体はとても面白い。古典作品で、ジェンダー、人種を問わないキャスティングはもはや珍しくはないけれど、すごくスマートにそうした属性を使っている(そして政治家のキャラクターだけで言えば半数近くが女性になる)。キャシアスが女性(Michelle Fairley)だったのはすごくはまってて、というかはまりすぎててむしろ彼女を次のリーダーに、という頼もしさなほどで、それでいてブルータスとのロマンスにもっていかないところが気持ちいい。*4シーザーの妻がアジア系なのも、蝶々夫人的オリエンタリズムを逆手に取っていて面白かった。

 さてモブ席ですが、意外と動きの指示が多くて(転換時に俳優や美術の出入りのための道を開けないといけない)実はシーン頭に全く別の方向を向いてて台詞を聞き逃すこともしばしば。とはいえ指示はスマートで、サクラとして観客に紛れているスタッフが「シーザーさん通るのでどいてくださーい」とか「発砲だ!しゃがんで!」とかその場の雰囲気に合わせた言葉で誘導してくれる。結構驚いたのが、主に舞台は昇降で転換をするのだけど、いくらスタッフがガードに立つとはいえ素人の足元から1メートルもない位置で舞台床を動かしていたこと。プロでも事故が多い舞台機構だと思うので、これを演出に取り入れるのは英断だなぁと思った。その他、演出面ではフラッグ持ったり、舞台を丸ごと覆う横断幕を広げたりとかやらされる。*5あと、キャンペーンの場面では声援がSEで入っているのだが、音響効果で周囲からどこともなく聞こえてくるようになってて、それはちょっと気味の悪い没入感があった。誰も声を出していないかもしれないのに(実際の観客でワーワー声上げてた人はそんなに多くはないと思う)ノリの良い雰囲気に見えちゃってるかもしれない、というのはいくら自分が冷静だと思っていても、その場にいると空気を破るすべがない。それでも基本的にはアトラクション的な楽しさがメインで、ガチの没入はほぼ感じず。普通の観客席からはどう見えてたんだろうというのは気になるところ。

 ブリッジ・シアターは今回初来場。ロンドンブリッジの真横で、こんなところに土地あったんだ、と思った。カフェレストランエリアとホワイエが合体して、メインエントランスから劇場入り口まで広く空間がとられているのだけど、あまりイギリスの劇場では見ない造りのような気がする。日本だと(キャパや劇場数は全然違うんですが)東京芸術劇場の一階みたいな感じかも。ブリッジシアターのプログラムとしては、本作の後、中規模作品が二作続き、夏にアラン・ベネット、秋にマーティン・マクドナーの新作が控えています。すげぇな。

*1:アップしてから思ったんですけど(追記)目撃されてたら暗殺ではないというか、わりと白昼堂々殺しに行ってる演出になってました。

*2:聞き取れる範囲ではかなり現代語になっていたような。あと上演時間が休憩なし2時間だったのでわりとカットもあるはず。

*3:ある意味正しく『アンソニーとクレオパトラ』に続きそうではある。

*4:これ、今男性同士だと高確率でブロマンス演出入ると思う。

*5:私はシーザーのお葬式で遺影を持たされ、いやー悲しいっすねーと掲げていたら、ブルータスの演説の佳境でブルータス陣営のモブ(のサクラスタッフ)に遺影を奪われ、ブルータス陣営のフライヤーを振るよう指示されました。もし私がシーザー、アンソニー支持者だったらこの場で喧嘩だぞ、と思った。

The Great Wave by Francis Turnly at National Thatre

観劇日:2018年3月17日19時半

演出:Indhu Rubasingham

 

 北朝鮮による拉致問題を正面から取り上げた政治サスペンスドラマ*1。ポリティカルな作品に強いTricycle Thaetreとナショナルシアターの製作で、両劇場による共同製作は今作が初とのこと。作家のFrancis Turnlyは日系アイルランド人、ということに(一応)なるのでしょうか。*2 Tricycleのレジデンスを経ての最新作になるわけだけども、キャリアを見る限り本格的にデビューしてまだ数年。それでナショナルシアターで(一番キャパの小さいDorfmanとはいえ)新作発表とは、かなりの抜擢ではないかと思います。

 横田めぐみさんをモデルとした、北朝鮮に拉致された少女とその家族の運命をクロノロジカルに描いていく。嵐の日、些細な姉妹喧嘩から家を出たハナコが海岸で行方不明となり、姉レイコと母親は、幼馴染の青年とともにその生涯をかけて彼女の行方を探し求める。一方、死んだと思われたハナコは北朝鮮軍に身柄を拘束されスパイ養成に携わる。やがて結婚し子どもを産み、朝鮮人としてかの地で暮らしていく。レイコを始めとする拉致被害者の関係者らによって事件の真相が少しずつ明らかとなり、ついにはこの問題が日朝外交の重要な交渉事となるわけだが、被害者たちの帰国日にハナコが戻ってくることはなく、その代わり彼女の娘がレイコ達を訪れる。

 拉致問題についてどう思うよをいうのをいったんカッコに入れた上で感想を書くとすると、2014年のオリヴィエ受賞作であるLucy KirkwoodのChimericaとかなり雰囲気やテーマの扱い方が近い。これは天安門事件に現代の視点から取り組んだ大作で、後期資本主義と米中関係、検閲とジャーナリズムといった問題に深く切り込みながらも、推理サスペンスのテイストでエンターテイメントとして仕上げている*3。(オリエンタリズム、という言葉が正しいかちょっとわからないのだが)アジアの現代史や政治的事件、往々にして欧米では比較的知られていない事柄をサスペンス仕立てのドラマにすることの良し悪しは判断に迷う。ただ、私の知る限り、拉致問題をプロパガンダではなく中心テーマとする(ある程度の規模で製作された)日本の作品はおそらくまだないはずで*4、そうした作品を作るのが現状難しいだろうというのも想像に難くない。当事国以外でしか作れないというのはよく理解できる(実際Chimericaはこのパターンでしょう)。

 こっちに来てから政治的なテーマを取り上げた作品を観る機会が格段に増えたわけだけれど、今回の印象はこれまで観た作品とは逆で、正直なところ、これはドラマでなくてもいいんじゃないだろうか、とまず浮かんだ。おそらく、引っかかっているのは北朝鮮でのハナコの人生の描き方で、当然ながら知りようがない状況は想像で埋めざるを得ない。その描写自体(冷酷な独裁国家に暮らすからといってその住民がみな非人間的なはずはない)は妥当だと思いながらも、フィクションだなという感覚が非常に強かった。そんな簡単にかの地を描けるのだろうかという疑念がどうしてもぬぐえないのだ。拉致問題の一連の出来事を「ドラマチックだ」と興奮するある種の無邪気さのようなものが(その典型はNTの広報だと思うのだけれど)強く違和感として残り、しかしその感覚もまた、私が他国の歴史や政治を扱った作品を観て「楽しんで」きたことを思うとブーメランのように突き刺さる*5。だからといって、フィクションは限界あるよねとか、「ドラマ」ではないアプローチをもっと試みるべきとか、そういう風にも思わないのだが。テーマの扱いの難しさ、政治事件をドラマタイズすることのある種の倫理観のようなものや、私自身の違和感の正体が何なのか深く考えている。

 決してつまらなかったわけではなくて、多少スピーディすぎるきらいはあるけれど、良く書けている戯曲。シンプルな美術とスマートな引き算の演出で、展開のわりにあまり湿っぽい感じがなくて、そこが逆にクライマックスのビデオレターのシーンを際立たせている。レビューを見る限り星4つが並ぶ高評価だけれど、その評価に値するクオリティだと思う。

 日本が舞台となる、という点でのオリエンタリズムは個人的にはあまり感じなかった。全体的に削ぐ方向の美術なので、記号的な日本ぽさは上手く消えてた気がする(ちょいちょいオリガミ出てくるのはどうかなとは思ったけども)。役者さんは全員アジア系。キャスティングの人種問題も含め、この辺りはきちんと誠実に作られている。

  Turnly、キャリアとしてはもちろんこれからが勝負どころ、という人なので、今後の作品に注目したいなと思う。インタビュー読む限り、やはりアイデンティティの問題は今後も核となるみたい。

*1:おそらく確信犯的に、ナショナルシアターの広報はわりと意図的にサスペンス側面を強調していたように思います。(少なくともウェブサイトを見る限り、実際の事件に基づくといった情報はほぼない。)拉致問題自体がイギリスではあまり知られていないようなので、最初にドラマチックな側面を打ち出すのは戦略としてはありかと思いつつ、でも例えばイギリスの作品で中東問題扱う時にこういう広報やったらアウトじゃないか?とも思う。この種の具体例が他にないので、判断にしにくいのですが。

*2:お父さんが北アイルランドの人、お母さんが日本の人で、自身は'a Japanese Ulsterman' と認識している、とのこと。ガーディアンにインタビューがあります。

'I didn't fancy being stuck in North Korea': the stormy thriller by a Japanese Ulsterman | Stage | The Guardian

*3:Chimericaはアルメイダの製作。休憩込みで三時間越えとかではなかったか。当時のKirkwoodのキャリアの若さも今作のTunelyとちょっと似ている。

*4:もしご存知でしたらツイッター経由とかで教えてください。

*5:これ、私はChimericaにも覚えがあって、例えば作品後半の公安警察の厳しい尋問場面。それが実際にあり得るかどうかとは別の次元で(というか現実にはそうした悲惨なことが起こっていると思うんですが)芝居臭さみたいなものを感じた記憶がある。

The Birthday Party by Harold Pinter at The Harold Pinter Theatre

観劇日:2018年3月17日14時半

演出:Ian Rickson

 

 『バースデーパーティ』の上演って観たことなかったのよねというのと、ピンターは卒論で扱ったので個人的な思い入れも大きいのと、あとトビー・ジョーンズ*1がスタンリーだってので、観てきました。Rickson演出なら大外れもないだろうしと。

 ブログ書くので調べたところ、これ初演1957年で60年前かよ!と今さらおどろいている。確かに、この作品で起こる出来事はもはや不条理ではなくて、ダークコメディとして消化出来るというか、現代ではより恐ろしいことがあり得るだろうという想定はそれほど難しくない(というか、まぁあるし)。もっと言えば(そりゃ60年経ってりゃ当たり前なのだけど)ピンターの特に初期作品はもう古典になっていて、今作の詳細までは知らなくともピンター作品がどういうポイントで評価されてきたかというのは、なんとなく程度には共有されているわけだ。そういうことを了承済みでの演出だった。

 全体としてミステリー的なニュアンスはほぼ消えていて、むしろ各登場人物や設定をカリカチュアライズしてしまう、ある意味ではベタな演出。登場人物の衣装が典型的*2だったが、特に美術が面白い。遠近法がきつく効いた昔ながらのダイニングルームで、壁紙や家具、調度品への気配りのわりに妙に殺風景な感じ。昭和の洋風シルバニアファミリーのおうち、という例えで伝わりますかね。そういう象徴的なアイテムで、作品が舞台上の記号に沿って展開していくよ、とあらかじめ提示したうえで、役者の技量はエンターテイメントへ振るという判断。

 このミニチュア模型っぽさ、というのか、舞台となる宿屋の一日を他人事のようにのぞき込んでいる感覚は、ピンターの理解としては個人的には新鮮だった。実際、作品自体はコメディとしてとてもよくできている作品。達者な人たちがこういう演出の中でやれば、深刻に構えなくとも観れるのだというのは、ピンターとは社会の不条理や人間の政治的な関係性を描いた人、というところから英演劇の勉強を始めた者としては、発見でもある。

 もちろんエンターテイメントになることで無くなるものもあって、例えばスタンリーのフラジャイルな感じは戯曲を読んだ印象よりも明らかに弱まっているのだが(つまりそれは彼を被抑圧者と見る解釈をいわば除いているわけで)そこはやっぱりまだ政治的に読む可能性があるのではという考えが捨てられない。*3サタイアとかポリティカルコメディの古典的名作が時代を経て寓話となっていくことの是非は、もはやこの作品で起こる事態が不条理ではないとはいえ、私自身は結構揺れている。

 鑑賞中は楽しみつつ、観終わって反芻することも多い作品だった。まぁでも、日本の大学で英文学の中でピンターを学ぶとものすごく最近の作家という印象があって(なにせ教科書のスタート地点はベオウルフ)なんとなくその印象を引きずって今に至るのですが、デビューは60年以上も前、今作も彼の名を冠した劇場での公演なわけで、そりゃまぁ歴史上の作品となってもいくわなぁとぼんやり。もちろん、ピンター作品が古びるというわけではなく、でもどうアップデートするかが、まさに今のような時代では鍵ですよね。

*1:好き。出演作の一押しはBBCのコメディドラマ Detectristsです。見て。

*2:真っ黒で常にしわのないスーツとか、ベストやシャツのくたびれ感や妙にクラシックなデザインとか、パーティドレスのださビビッドな色合いとか、人となりがすぐわかるファッション。

*3:スタンリーは結構キャラクターとしては曖昧だとは思うんで一概に抑圧(だけ)されているとも言えないのですが。『ダム・ウェイター』の二人ほどはっきりと下っ端の立場にいるわけではないし、宿屋の人々との関係も『管理人』の三すくみのそれに近いようで微妙に均衡が崩れてもいるし。

Showtime from the Frontline by Mark Thomas at mac

 観劇日:2018年3月2日20時

 

 マーク・トーマスが2014年にパレスチナ、ジェニンの難民キャンプ内の劇場で行ったスタンダップコメディのワークショップが今作の軸。表現活動に対して厳しい統制が敷かれる状況下、囚人たちによるハンガーストライキとその支援デモの最中に「コメディなんて」と白い目で見られつつ、ワークショップの締めくくりに生徒たちの作品発表の場としてコメディクラブ*1を開催するまで、をトーマスが語る。これと並行して、ワークショップでの教え子であるFaisal Abu Alhayjaa と Alaa Shehadaがパフォーマーとして加わり、舞台経験もバックグラウンドもバラバラな生徒たちとのワークショップ風景、トーマスと現地の人々それぞれの視点で語られるパレスチナの現状(と両者のずれ)がスキットやスタンダップの形をとって語られていく。

 これ笑っていいの…?というラインを狙うのが政治ネタの理想だと思うのですが、いやこれ笑えないでしょ、というエピソードは少なからずあり、それでも三人のデリバリースキルは素晴らしくて、深刻になり過ぎずでもむやみに明るすぎずという緊張感の中それらのジョークにも笑ってしまった。*2観劇中ふと思い浮かんだのは、去年観たThe Jungle(もちろん設定される状況は違うものの)。どうしようもなく凄惨な出来事でかつ自分には知りようのないことに、どうすれば舞台を通じてアクセスできるのだろうと考えた時に、The Jungleがある種イマーシブな形をとったのだとすれば、今作はコメディという形式を通じて観客にエピソードと距離を取らせ、我が事にさせない方向に仕向けている。とはいえ、やっぱりしんみりしたり泣けてしまう場面はあって、無事開催されたコメディクラブの様子を語るラストでは、映像で実際の生徒たちのスタンダップの一部を流し、FaisaiとAlaaは実際に自分の持ちネタをやる。ネタに笑いつつ、その様子はやっぱり胸に来る。同情からくるものではないと思う。

 この日は電車が止まるほどの寒波と豪雪で*3、バーミンガム市街地の劇場はみな公演キャンセルという中、かなり強引な上演決行。実際、三分の一以上のお客さんが来れないという状況だった。トーマス自身がこの件については上演前もツイッターでも説明をしていて、作中にも語られるのだが、大きな理由はパレスチナからのイギリス興行ビザがものすごく複雑で追加公演等の日程変更が出来ないこと。実際に彼らのパフォーマンスを観れば、ここまできて舞台をやれないってのはないよなぁ、とショーマストゴーオンの精神を思い知る。

 国連職員(だったかな?)らと車で移動中、些細な事でイスラエルの警察官の尋問にあい、その物々しい態度に思わず笑ったら相手がとても苛立った、というエピソードを、近年の政治風刺にまつわる様々な事件を交えつつ、トーマスが語る。権力は笑いを嫌がる、だからコメディをやる意味があるのだ、と語る彼はとてもかっこよくて、私がコメディやお笑いを好きな理由もそこだよ、と思いました。

 

 

*1:現在もワークショップ参加者有志によって継続して開催されているそうです。

*2:たぶんアドリブパートじゃないかと思うんですが、態度と行動をあべこべに組み合わせるという練習の時に、トーマスさんが「すっごくシャイなイスラエルの警官がパレスチナの人を逮捕するところ」というお題を出し、Faisaiさんが難なくそれに応えてしかも笑いを取った時に一番ぎょっとしました。でも私も笑いました。

*3:私はバス移動だったのでセーフ(バスは想像以上に今回丈夫だった)。でも、帰りの劇場からバス停までの人気のなさと車の少なさに、ここで倒れたらまず助けこないな…とふとよぎりました。

Cat on a Hot Tin Roof by Tennessee Williams at Young Vic/NT live

鑑賞日:2018年2月22日

演出:Benedict Andrews

 

 個人的に結構ほんとにダメなやつだったので、観たよという記録だけ…。気が向いたら、ツイッターの投稿をコピペします。シャワー…。