The Prudes, Mood Music, The Writer

The Prudes 作・演出:Anthony Nielson、 Royal Court Theatre upstairs

Mood Music 作:Joe Penhal、演出:Roger Mitchell、 The Old Vic

The Writer 作:Ella Hickson、演出:Blanche McIntyre、 Almeida*1

 

感想が書けてないままの作品がたまってしまったので、数作品まとめて感想を書くという荒業に出ますが、The Prudes、Mood Music、The Writerです。いずれも広報やプレスレビューで「Metooもの」といううたい文句ががついていた作品ですが、それぞれ好対照で面白かったです。

Metooを直接的に扱う作品が昨年末くらいからにわかに増えてきている。おそらくこの傾向はまだしばらく続くだろう。さて、上記の三作品、前者二作はin-yer-face世代の男性作家A. NielsonとJ. Penhall によるもの*2、The Writerは若手女性作家Ella Hicksonの作。まずは、The PrudesとMood Musicを。

The Prudesは中年夫婦の二人芝居。昨今の(特に性生活をめぐる)フェミニズムの盛り上がりを受けて、夫は「セックスが出来なく」なってしまっている。自分と妻は確かな同意の上で性行為を行っているのか、セックス中に自分が彼女にしていることは「暴力」ではないのか、自分の欲望を満たすことで妻や過去の恋人たちの尊厳を損なってきたのではないか…と、とにかくあらゆる自らの言動に自分で判断をつけることが出来なくなってしまっている。そんな「セックスレス」な夫を、妻はまぁまぁとなだめながら、これは暴力じゃない、これは私が望んでやっている、と一つ一つ言い聞かせつつ行為に臨もうとする。だが、しょうもないコスプレ趣味に呆れた顔をしてみれば、やっぱりこれは「ハラスメント」なんだー!と夫に大騒ぎされ、セックスレス解消の話し合いは振出しに戻る…。

昨今のセクハラ追求の流れに対し、ささいなことで過剰反応し、自分は加害者なんだ!(でもこんなささいなことでハラッサーにされてしまうという意味ではこの性差別社会の被害者なのだ!)と過剰に罪悪感を抱く男性像がコミカルに描かれ、賞味期限の短い(そうであってほしい…)テーマでさくっとシニカルな小品を描けるニールソンはまだまだ現役、と思う。ただ、当然こうした男性像にシンパシーを感じさせるような作品がそう歓迎されるわけでもなく、(当時)ガーディアン紙のリン・ガードナーはフェミニストの視点からきっぱり批判し二つ星の低評価をつけている*3

個人的には、少なくともこの一年の英語圏のmetooムーブメントを見る限り、「ガス抜き」としてこうした作品も必要だろうと思っている。もちろん、ずっと必要だとは思わないし、今作がもし再演されるときにはかなり批判的な演出をつけるべきだ。ただ、個人的な嫌な思い出に過ぎないものの、こういった「ガス抜き」が上手くいかなかった男性に当たられた経験があり、それに対処するのはかなり精神的に消耗した*4。そんな息苦しさに同情なんかするな、という向きもよくわかる。でもこの数年、少なくともSNS上のジェンダー・セクシュアリティ問題に関する議論は(良し悪しとは別に)相当にラディカルなスピードで進んでいる。急激な社会の変化に耐えられない人がいることには、その適応を待つ、という判断も場合によってはありなのではないかと、個人的には思う。The Prudesはそういう機能を持つ作品だな、と思うし、その意味で、とてもとてもコンテンポラリーだ。

 

Mood Musicも、やはりin-yer-face世代の男性作家、ジョー・ペンホールによるmetooもの。こちらは明確にショービジネスの世界を舞台としており、若い女性シンガーソングライターとベテラン男性プロデューサーとの間の確執と性暴力を、当事者二人、両者のカウンセラー、両者の弁護士の三組六人の対話で描き出す。会話を細切れにする独特の劇作は、深刻なテーマに感傷を含ませず、歌手―プロデューサー間の、恨みや憎しみ、負の感情に交じる否定しがたいかつての信頼関係の混濁をも、ドライに「ビジネスライク」に描き出す。

これを製作したのはThe Old Vic。まさにMetoo問題で告発されたケヴィン・スペイシーが前芸術監督だった劇場だ*5。感心している場合でもないが、しかしこちらの劇場の自浄作用は強く、反応も早い*6。Mood Music自体は今回の問題への完璧な応答ではないと、個人的には思うのだが、しかしこのテーマでこの期間で、きちんとクオリティを出してきたところはまず評価すべきと思う。

なぜ完璧ではないか。この男性プロデューサーが、若い女性シンガーをビジネス上搾取しまくった上に、性的にも辱めたことが作中の会話からうかがえる。もしそれがすべて事実ならば(そして弁護士らの応対を見るにおそらくそれは事実なのだが)このプロデューサーは一刻も早く業界から追放されるべき「悪人」なのだ。たとえ音楽、マーケティングの才能はあっても、情状酌量の余地はない。天才こそ「サイコパス」という言説が批判的に用いられるけれど、逆に言えば天才だからこそ人格破綻していても「芸術業界」では生き残るチャンスがあるわけだ。

エンディングでは女性シンガーの方が示談に妥協し、業界からも身を引くこととなり、プロデューサーが業界に生き残るという究極のバッドエンド。しかし、ここまで「男性(業界人)」を「悪役」として描き切るというのは、それもまたガス抜きになるのではないかという思いがよぎる。おそらく観客のほとんどは男女の別なく、このプロデューサーのような人間には自身の「加害」の可能性を見ることはないだろう。ことはそれほど単純ではない。特定の人に対してはハラッサーである人が、別の人々にとっては親友であったり恩人であったりすることはものすごく多い。周囲の人間全員一致で悪人認定が出来ればどれほど良いか、というハラスメント案件は本当にきりがないのだ。だからこそ人間ともいえるのだろうが、だからこそ「完全な悪人」はある意味幻想的でとてもフィクショナルな造形でもある。Mood Musicの欠点は、仮想敵をそのような「ありえない(そんな例は極々わずかな)」キャラクターにしたことだろう。バッドエンドはせめてもの現状の反映だろうが(これで勧善懲悪ものだったら私は一つ星をつける)ここまでの悪人像をもって描かれる芸術業界の膿のなかでは、小悪人を見逃しかねない。

 

さて、The Writerだ。冒頭のキャッチーな「劇中劇」に登場する典型的な演出家-女優のセクハラ関係はmetoo問題どまんなかである。中心キャラクターが女性劇作家であり、彼女の視点から、作家として自立すること、男性演出家との対峙が描かれることも、昨今のショービズ界の議論の意識的な反映だろう。ただ、この作品において芸術業界のセクハラ問題はあくまでも「導入」にすぎない。女性劇作家の視点を通して、芸術家がいかなる搾取もなく作品を作り上げるとはどういう状態、状況、環境を指すのか、語弊を恐れずに言えばmetooよりもはるか先の問いを見通している作品だ。

冒頭で演じられる演出家と女優の劇中劇を書いた女性劇作家の、「複数の」生をこの作品はパラレルに描く。ある時は、自作のプレゼンテーションを男性演出家に乗っ取られてしまうような言葉を奪われた人物、ある時は主夫と思しき男性パートナーと生活を共にしながら創作ポリシーと「売れる」作品のジレンマに悩む人物、ある時はマーケティングと作品解釈をめぐって男性演出家と対等に議論を交わす人物、そしてある時は作家として大成しパワーレズビアンとして高級マンションにパートナーと悠々自適に暮らす人物。どの「彼女」も、おそらく冒頭の劇中劇のピースを書いた人物だが、その生のあり様がマルチプルに存在し、そしてその描写は徐々に保守的なイメージから革新的なそれへとスライドしていく。

The Prudes、Mood Musicともに、男性と女性の優劣の関係は揺らがないまま(もちろんそれは今の社会情勢において間違ってはいない力関係だ)であるのに対し、The Writerは、「立場によっては」女性が搾取の側に回ることもある、ということを、まさにmetooの現場である芸術業界を舞台に描き出す。白人で長身の売れっ子女性作家が、黒人で小柄で定職のない女性パートナーにしか欲望を抱かないとき、その関係は女性作家のパートナーへの愛なのか、ただ社会的に構築された欲望に突き動かされたのか判断などできないとき、その作家が「フェミニズム」の作品を書くとはどういう意味を持つのか、今作の問いはここにまで及ぶ。最終パート、レズビアンである女性作家のパートナーが、ピカソのゲルニカのエピソードを切り出す。曰く、彼はこの反戦の大作を描いていた最中、自分の愛人たちが喧嘩するのを笑いながら眺めていたのだと。作家の人格はその作品は別物だと、私は考えている。でも、その作品が政治的メッセージを持つとき、その政治性に関わる当人の振る舞いはどこまで正当だと見なすことができるのだろう。その問いには当然ながら女性も逃れることはできないのだと、ヒックソンは強く訴える。

 

metooムーブメントは今も進行中だけれど、作品のモチーフとしては当たり前ながら「ブーム」に終わらせてはいけない。性差別、性暴力の解決に向けた一連の動きは、現在問題として挙がってきている個別の事件への対応と同時に、なぜそのような暴力が可能となってしまったのか、を問うていく作業でもあるべきだ。三作並べて、最も若手で女性作家であるヒックソンがこの点に一番鋭く応答しているのは、当然の成り行きとも思いつつ、皮肉にも感じられる。でも、こんなにもわかりやすく「次の世代」が現れていることに、私は少なからず期待と希望も持っている。

 

 

*1:ところで今春~年内上演予定のアルメイダの演目、リバイバルや海外招聘を除けば、ほぼ全て女性作家、女性演出家が手掛けています。

*2:あまりin-yer-faceということを強調しすぎるのもどうかとは思うのですが、ただ彼らが(いかなる表現上の意図であれ)露悪的にゲイセックスや性暴力、それに伴うミソジニーといった「男性的」な主題を書いていたこと、それらの要素がこの用語をカテゴリーとして機能させていたこと(=彼らがそれを武器に作品発表の場を得ていたこと)はこの文脈では無視できないと思います。

*3:The Prudes review – a couple's very public attempt to revive their sex life | Stage | The Guardian

*4:なまじ当人は義憤に駆られての結果だったりするわけで、私も何が問題かをちゃんと話したいという気持ちはあるものだから、きちんと言い返すことは出来なかった。少なくとも当時は。

*5:とはいえ、パンフレットの現芸術監督のメッセージには、今作のセクハラ関連のテーマに一切言及がなく、いや怖い世界ですわほんとにと思いましたです。

*6:ちなみに最も早くこの種の問題に取り組み、成功例(例えばハラスメント問題に対するガイドライン)も失敗例('Rita, Sue and Bob Too'の上演中止→撤回のプロセス)も出したのがロイヤル・コートだと思います。これ、別項立てて書いた方がいいかなとも思ってますが。

4月~6月、ブログ感想未消化リスト(追記:ひと月分増えました)

(7月1日追記)

6月分の未消化リストも追加しました。年度末の面談が終わって、すでに夏休み気分だったようです。書かないモードになるとほんとに書かなくなるので、せめてこれだけでもと言うのに星マークをつけておくことにします。

 

年度末でばたばたしているので、とりあえず観たぞの記録だけ(簡単なメモは随時ツイッターにあげてます)。落ち着いたら地道に感想書いていきます。

 

4月28日15時

☆The Prude by Anthony Nielson, The Royal Court Theatre Upstairs

(5月末に観ているMood Musicと対になるような作品。舞台/戯曲作品としてのmetoo(運動)、特にシスヘテロ男性からの描き方が気になりだしたのはこのあたりから。)

19時30分

4.48 Psychosis by Sarah Kane, Lyric Hammersmith Theatre

(ところでこの日はin-yer-face祭り感のある名前の並びで、テンションが高かった)

 

5月5日14時30分

One Green Bottle by Hideki Noda, Soho Theatre

19時30分

The Encounter by Simon McBurney, The Barbican Theatre

 

5月10日20時

Returning to Reins (German version) by Thomas Ostermeier, Schaubühne

5月11日13時

Exodus by Li Lorian, Haus der Berliner Festspiele, Rehearsal Stage

 (弾丸テアタートレッフェン)

 

5月17日19時30分

The String Quartet's Guide to Sex And Anxiety, Birmingham Rep

 

5月19日14時30分

☆The Writer by Ella Hickson, Almeida Theatre

 (metooがテーマという宣伝でしたが、この問題のはるか先を見通す、テーマ的にも演劇的にもユーモアと巧妙な構成によるフェミニズムシアターでした。)

 

5月21日19時30分

Limmy's Vine, The Glee Club

 

5月24日14時45分

☆random/generations by debbie tucker green, Chichester Festival Theatre, Minerva Theatre 

 

5月27日11時

NT live, Macbeth, dir. Rufus Norris

 (たぶん日本でやると思いますが、あんまり薦めません…)

 

(以下追記分)

5月31日19時30分

Mood Music by Joe Penhall, The Old Vic

(これもMetooがテーマ。今年上半期はとにかく多いです。)

 

6月2日14時30分

Fatherland by Simon Stephens, Scott Graham and Karl Hyde at Lyric Hammersmith

(これ、個人的にとても面白かったのですが、博論の内容にもろに関わるのでブログに詳細を書くことはないと思います。)

19時30分

Retro(per)spective by Split Blitches、BAC

(おおこれがかの有名な、という感慨でございました。)

 

6月7日14時

Translations by Brian Friel, National Theatre

19時45分

☆Creation (Pictures for Dorian) by Gob Squad, Southbank Centre

 

6月9日14時30分

Quiz by James Graham, Noel Coward Theatre

(ところでグレアムが、今話題になっているカンバーバッチ主演のブレキジットもののドラマの脚本だと知ってびっくりしました。)

19時30分

Machinal by Sophie Treadwell, Almeida

 

6月12日20時

☆Trying It On written and performed by David Edgar, Birmingham Rep

(エドガー先生御年70にして初舞台。)

 

6月15日14時30分

Lady Eats Apple by Back to Back Theatre

20時

Phobiarama by Dries Verhoeven

 

6月19日19時

☆Sea Wall by Simon Stephens, performed by Andrew Scott, The Old Vic

 

 

 

 

This House by James Graham at Birmingham Rep

観劇日:2018年4月20日

演出:Nica Burns

 

 2012年のナショナルシアター製作作品のUKツアー版。バーミンガムのリージョナルシアターでの公演に行ってきました。脚本のジェームス・グレアムはLabour of Loveで今年のオリヴィエ賞新作コメディ賞を受賞してます*1

 1974年の労働党政権獲得から、1979年の内閣不信任案可決(そして保守党サッチャー政権樹立へ)までのウィルソン政権→(EC残留)辞任→キャラハン政権下の不安定な政局を、国会議事堂ワンシチュエーションで描く。この期間、労働党は与党でありながらも議席が単独過半数に届かず、国会はいわゆるハングパーリアメントの状態にあり、野党第一党の保守党とは文字通り一票の奪い合い。他方でスコットランド、アイルランドの情勢が切迫する中、少数政党の議員とも際どい交渉を重ねていく。79年の不信任案可決は一票差で決まるのだが、この時労働党の議員であるWalter Harrisonが病に倒れ棄権しており*2、国会解散後に彼が投票結果を知るところで幕。

 出てくる政治家はだいたいモデルがいるようなのだけど、私はわからず…。作品全体は群像劇として描かれているので、わからないなりに面白く観れるものの、英国政治に詳しい人とか70年代リアルタイムで過ごした人にとっては、また別の楽しみ方があるのかなと思う。(ちなみに、私でもすぐ顔が浮かぶほどの有名な政治家は、名前は言及されても登場人物としては舞台には出てこない。)政治もの、と言ってももろに国会を舞台とした作品はあまり類似するものが思い浮かばず(日本の作品でもイギリスの作品でも)、なんというか、ありそうでなかったなという印象。とはいえ、30数年経ってからようやくドラマとして描けるテーマのようにも思え、いいタイミングで上手い題材を見つけてきたということなのかもしれない。*3 キャラハン政権へ移行する中盤以降は作品のドライブがかかってきて、政治劇というよりはむしろ密室交渉サスペンス的な質の良いエンターテイメントとして面白い。

 ウェストエンドで製作された作品のUKツアーというのを今回初めて観たのだけど、クレジットを確認するに、演出、技術面の変更はなく、キャストが大幅変更の様子。正直に言えば、スター俳優のキャスティングが望めないことを差し引いたとしても、アンサンブル含め役者のレベルは一段(人によっては数段…)下がっているように思う。リージョナルシアターへのツアー公演ってNT Liveとの兼ね合いが一時期割と問題視されていたのでクオリティが気になっていたのだけど、議論になる理由はよくわかった。(むしろ最近はあまりこの種の議論はみない気がするのだけど、興行収入とかのデータを探したいところ。)ただ、今作のジェームズ・グレアム自身は、ロンドン偏重の今の演劇シーンには批判的で、積極的に地方劇場へ新作を書き下ろしている人でもあり、この辺のバランスがどうなっていくのかなというのは今後も気になるところである。

*1:ベストプレイ賞の候補にはInkが入るという二部門ノミネートで、現在はQuizがウェストエンドで上演中という、当面ロンドンの劇場で彼の名前を見ない日はないんじゃないかという、今たいへん乗りに乗っている感じのひとです。

*2:実在の人物が同名のままモデルとなっており、彼の一票で政局が変わったとされるのも史実通り。ちなみに病気による棄権については、国会議員の全体的な高齢化が中盤に示唆されている。

*3:日本でやるとすれば09-12年の民主党政権だと思うんですよ、これ。震災も含めて。30年後に期待しますが。

観たけど感想を特に書いていないもの2018年3月編

備忘録

 

・2018年3月10日

A Night of Small Things for #HeForShe (VAULT festtival 2018)

HeForSheのキャンペーンイベントで、演劇、詩、コメディのショーとパフォーマンスアンソロジー企画。スティーヴンスがモノローグを発表してたので行ってきました。(出来はふつうだと思う。この人のジェンダー観って良くも悪くもすごい「ノーマル」だとは常々。)玉石混交な舞台でしたが、めっけもんは若手コメディアンのHarriet Braineさん。美術史ネタのコミックシンガーでした。

 

・2018年3月20日

Lady Windermere's Fan (Oscar Wild Season Live)

ライブ中継で。登場人物がみんな可愛い可愛い言うて帰ってきました。ワイルドの喜劇は好き。『真面目が肝心』はちょっと思い入れがあるので、そっち観れたら何か書きたいと思う。

 

・2018年3月31日(見たのはiplayerで4月頭に)

Hamlet (Andrew Scott 主演、Robert Icke 演出)

テレビ放送で。真っ先の感想が、父王が貞子、で大変あれなんですが。シャーロックサイコパスキャラツートップの片割れだったカンバーバッチのハムレットがすでにあるので、後発のやり辛さがあったのではないか、と要らん気遣いをしつつ。カンバーバッチ(リンゼイ・ターナー演出)が、ハムレットが政治的大局の渦中においても極めて「普通」の男性であったというところにエネルギーを注いだのに対し、こちらは世界観自体をスケールダウンして(成金一家の遺産相続くらいな感じ)スコットがエキセントリックになれる余白を先回りで埋めていた感じ。おそらく目指すところの造形は両者結構近いのではないかと思うのですが、アプローチが全然違うので比べると面白いです。クローディアスが突出してよかった。あのサイコサスペンスばりの告解シーンは見ものです。BBCが製作にかんでいるので、うまいことなんかしてNHKとかでやらんですかね。

 

Beginners by Tim Crouch at Unicorn Theater

観劇日:2018年4月7日14時

 

 Tim Crouchの新作は児童劇。週末、家族連れに紛れての観劇。

 大雨の夕方、レジャーに来ていた幼馴染の男女四人は、山中のコテージへ泊ることに。それぞれに家庭のトラブルや人間関係上の対立を抱えつつ共に一夜を過ごす中、彼らのもとに子供時代の自身が現れ、その子たちは大人である登場人物たちがかつて作りたかったお芝居を上演しようと奮闘する。

 ・・・というあらすじがあってるのかどうか、というのはわりとどうでもよくて、登場人物たちの背景がよくわからないところが多々あって、休暇のレジャーという設定の反面、登場人物の一人は母親(だったか?)のガンのために銃を持ち出すほどの抑うつ状態でもある。コテージの愛犬であるサンディが時に語り手として舞台に現れたり、子連れの女性のあやす赤ん坊が単なる人形でしかなかったり、銃もいざ撃ってみればおもちゃだったりと、と彼、彼女らの「幻想」と思しき子供時代の姿が現れるより以前に、この舞台上の世界がすでに独特のファンタジーになっている。

 4人の大人たちと、4人の子供たちとの関係はさまざまで、互いに全く関与しない関係もあれば、お互いに語りあったり、嫌いあったり、あるいは子供の頃の方が大人びていたりする。大人になることの、様々な悲喜こもごもの変化、のようなものをそうした姿から十分に見出すことが出来るが、しかしそういう見方をするのは、私がそれなりに「大人」だからだろう。なにせ今作は客席の半分は子供たちである。彼らからすれば、そういう大人のノスタルジーなんざどうでもよくて(あるいは「より」大人びていて、そういうお話も理解はするけどね、not for meだよね、てなもんかもしれない)私とは別の面白さを求めているのだろう。

 四人が子供時代に葛藤した舞台が、「もう一度」(おそらく実際には作ることが叶わなかったのではないかと思わせるものとして)上演される。筋立ての無茶苦茶な、ベタなヒーロー物語だ(とはいえ、配役がジェンダークロッシングだったりするところが素敵だ)。サンディをリーダーに、勢いだけで物語を作り上げていく過程は、その強引さゆえに力強く「(だらしない大人たちは忘れて)私たちを見よ」と訴える。イギリスの子役のレベルを今さら声高に言うこともないだろうが、その大人の切り捨て方の思い切りの良さは中々気持ちがいい。私はもはや大人の視点でしかこの作品を観れないけれど、子供たちにはぜひ感想を聞いてみたいところだ。

 ユニコーンシアターは児童劇、十代を対象とした作品を中心にプログラムしている劇場。(今作は9歳以上というレーティング。)そういうこともあって私の普段の関心からすると、意識しないとなかなか視界に入らない場所でもあるのだが、クラウチのようなアーティストも起用されていて目が離せないなと思う。日本でも、TACT/FESTなどの例があるけれど、それに近い感じかな。

Julius Caesar by William Shakespeare at the Bridge Theatre

観劇日:3月18日15時(雪)

演出:Nicholas Hytner

席種:モブ

主要キャスト:Ben Whishaw (Brutus),  Michelle Fairley (Cassius), David Calder (Caesar), David Morrissey (Antony)

 

 ブリッジシアターこけら落としからの二作目は、シェイクスピアのローマ史劇を現代に大きくアップデート、主要キャストにはベン・ウィショー始め話題の俳優を迎え話題盛りだくさんの作品。「モブ席」と呼ばれている一番安いスタンディングシートがいわゆる観客参加エリアになっており、スタンディングの観客はローマ市民としてシーザー暗殺を目撃したり*1、演説の聴衆になったりする、という演出も見どころ。

 シェイクスピア作品の鑑賞経験がそれほど多いわけではないので、テキストの編集が翻案に近いレベルなのかどうかが私は判断しかねるのだけれど*2演出面で言えばかなり大胆に現代に置き換えていた。特に、シーザー暗殺後のアンソニー、オクタヴィアス陣営とブルータス、キャシアス陣営の内戦突入の流れは、アラブの春以降の中東情勢を露骨に反映させている。もともと(史実に基づくと言えばそれまでだけども)ハッピーエンドとは言い難い作品とはいえ、結構救いようのない解釈だなというのが正直なところ。

 ブルータスとアントニーは逆のキャスティングの方が、という気がした。あからさまにこのブルータスはクーデターの類とはかかわりを避けそうな人物造形で、自らリーダーシップをとるタイプには見えない。アンソニーも、冒頭のロックバンド引き連れてるようなキャンペーンの方が性に合っている風で、葬列での演説のギャップがわかりやすい。。そもそもブルータス鳩派とアンソニー鷹派の対立が、ベン・ウィショー、ディヴィッド・モリッシーでは見たまますぎて、そりゃまぁオチはみんな知ってるけどもそれにしたってブルータス流され過ぎだよ…アンソニー脳筋だよ…*3という感が否めない。俳優の(特にヴィジュアル面の)イメージをそのままストーリー展開に使っていて、逆に見せ場や葛藤のインパクトが弱まっているように感じた。配役逆にしたところでそれはそれでステレオタイプな政治家像にはなるだろうけど、多少はギャップが欲しい。

 ただ、キャスティング全体はとても面白い。古典作品で、ジェンダー、人種を問わないキャスティングはもはや珍しくはないけれど、すごくスマートにそうした属性を使っている(そして政治家のキャラクターだけで言えば半数近くが女性になる)。キャシアスが女性(Michelle Fairley)だったのはすごくはまってて、というかはまりすぎててむしろ彼女を次のリーダーに、という頼もしさなほどで、それでいてブルータスとのロマンスにもっていかないところが気持ちいい。*4シーザーの妻がアジア系なのも、蝶々夫人的オリエンタリズムを逆手に取っていて面白かった。

 さてモブ席ですが、意外と動きの指示が多くて(転換時に俳優や美術の出入りのための道を開けないといけない)実はシーン頭に全く別の方向を向いてて台詞を聞き逃すこともしばしば。とはいえ指示はスマートで、サクラとして観客に紛れているスタッフが「シーザーさん通るのでどいてくださーい」とか「発砲だ!しゃがんで!」とかその場の雰囲気に合わせた言葉で誘導してくれる。結構驚いたのが、主に舞台は昇降で転換をするのだけど、いくらスタッフがガードに立つとはいえ素人の足元から1メートルもない位置で舞台床を動かしていたこと。プロでも事故が多い舞台機構だと思うので、これを演出に取り入れるのは英断だなぁと思った。その他、演出面ではフラッグ持ったり、舞台を丸ごと覆う横断幕を広げたりとかやらされる。*5あと、キャンペーンの場面では声援がSEで入っているのだが、音響効果で周囲からどこともなく聞こえてくるようになってて、それはちょっと気味の悪い没入感があった。誰も声を出していないかもしれないのに(実際の観客でワーワー声上げてた人はそんなに多くはないと思う)ノリの良い雰囲気に見えちゃってるかもしれない、というのはいくら自分が冷静だと思っていても、その場にいると空気を破るすべがない。それでも基本的にはアトラクション的な楽しさがメインで、ガチの没入はほぼ感じず。普通の観客席からはどう見えてたんだろうというのは気になるところ。

 ブリッジ・シアターは今回初来場。ロンドンブリッジの真横で、こんなところに土地あったんだ、と思った。カフェレストランエリアとホワイエが合体して、メインエントランスから劇場入り口まで広く空間がとられているのだけど、あまりイギリスの劇場では見ない造りのような気がする。日本だと(キャパや劇場数は全然違うんですが)東京芸術劇場の一階みたいな感じかも。ブリッジシアターのプログラムとしては、本作の後、中規模作品が二作続き、夏にアラン・ベネット、秋にマーティン・マクドナーの新作が控えています。すげぇな。

*1:アップしてから思ったんですけど(追記)目撃されてたら暗殺ではないというか、わりと白昼堂々殺しに行ってる演出になってました。

*2:聞き取れる範囲ではかなり現代語になっていたような。あと上演時間が休憩なし2時間だったのでわりとカットもあるはず。

*3:ある意味正しく『アンソニーとクレオパトラ』に続きそうではある。

*4:これ、今男性同士だと高確率でブロマンス演出入ると思う。

*5:私はシーザーのお葬式で遺影を持たされ、いやー悲しいっすねーと掲げていたら、ブルータスの演説の佳境でブルータス陣営のモブ(のサクラスタッフ)に遺影を奪われ、ブルータス陣営のフライヤーを振るよう指示されました。もし私がシーザー、アンソニー支持者だったらこの場で喧嘩だぞ、と思った。

The Great Wave by Francis Turnly at National Thatre

観劇日:2018年3月17日19時半

演出:Indhu Rubasingham

 

 北朝鮮による拉致問題を正面から取り上げた政治サスペンスドラマ*1。ポリティカルな作品に強いTricycle Thaetreとナショナルシアターの製作で、両劇場による共同製作は今作が初とのこと。作家のFrancis Turnlyは日系アイルランド人、ということに(一応)なるのでしょうか。*2 Tricycleのレジデンスを経ての最新作になるわけだけども、キャリアを見る限り本格的にデビューしてまだ数年。それでナショナルシアターで(一番キャパの小さいDorfmanとはいえ)新作発表とは、かなりの抜擢ではないかと思います。

 横田めぐみさんをモデルとした、北朝鮮に拉致された少女とその家族の運命をクロノロジカルに描いていく。嵐の日、些細な姉妹喧嘩から家を出たハナコが海岸で行方不明となり、姉レイコと母親は、幼馴染の青年とともにその生涯をかけて彼女の行方を探し求める。一方、死んだと思われたハナコは北朝鮮軍に身柄を拘束されスパイ養成に携わる。やがて結婚し子どもを産み、朝鮮人としてかの地で暮らしていく。レイコを始めとする拉致被害者の関係者らによって事件の真相が少しずつ明らかとなり、ついにはこの問題が日朝外交の重要な交渉事となるわけだが、被害者たちの帰国日にハナコが戻ってくることはなく、その代わり彼女の娘がレイコ達を訪れる。

 拉致問題についてどう思うよをいうのをいったんカッコに入れた上で感想を書くとすると、2014年のオリヴィエ受賞作であるLucy KirkwoodのChimericaとかなり雰囲気やテーマの扱い方が近い。これは天安門事件に現代の視点から取り組んだ大作で、後期資本主義と米中関係、検閲とジャーナリズムといった問題に深く切り込みながらも、推理サスペンスのテイストでエンターテイメントとして仕上げている*3。(オリエンタリズム、という言葉が正しいかちょっとわからないのだが)アジアの現代史や政治的事件、往々にして欧米では比較的知られていない事柄をサスペンス仕立てのドラマにすることの良し悪しは判断に迷う。ただ、私の知る限り、拉致問題をプロパガンダではなく中心テーマとする(ある程度の規模で製作された)日本の作品はおそらくまだないはずで*4、そうした作品を作るのが現状難しいだろうというのも想像に難くない。当事国以外でしか作れないというのはよく理解できる(実際Chimericaはこのパターンでしょう)。

 こっちに来てから政治的なテーマを取り上げた作品を観る機会が格段に増えたわけだけれど、今回の印象はこれまで観た作品とは逆で、正直なところ、これはドラマでなくてもいいんじゃないだろうか、とまず浮かんだ。おそらく、引っかかっているのは北朝鮮でのハナコの人生の描き方で、当然ながら知りようがない状況は想像で埋めざるを得ない。その描写自体(冷酷な独裁国家に暮らすからといってその住民がみな非人間的なはずはない)は妥当だと思いながらも、フィクションだなという感覚が非常に強かった。そんな簡単にかの地を描けるのだろうかという疑念がどうしてもぬぐえないのだ。拉致問題の一連の出来事を「ドラマチックだ」と興奮するある種の無邪気さのようなものが(その典型はNTの広報だと思うのだけれど)強く違和感として残り、しかしその感覚もまた、私が他国の歴史や政治を扱った作品を観て「楽しんで」きたことを思うとブーメランのように突き刺さる*5。だからといって、フィクションは限界あるよねとか、「ドラマ」ではないアプローチをもっと試みるべきとか、そういう風にも思わないのだが。テーマの扱いの難しさ、政治事件をドラマタイズすることのある種の倫理観のようなものや、私自身の違和感の正体が何なのか深く考えている。

 決してつまらなかったわけではなくて、多少スピーディすぎるきらいはあるけれど、良く書けている戯曲。シンプルな美術とスマートな引き算の演出で、展開のわりにあまり湿っぽい感じがなくて、そこが逆にクライマックスのビデオレターのシーンを際立たせている。レビューを見る限り星4つが並ぶ高評価だけれど、その評価に値するクオリティだと思う。

 日本が舞台となる、という点でのオリエンタリズムは個人的にはあまり感じなかった。全体的に削ぐ方向の美術なので、記号的な日本ぽさは上手く消えてた気がする(ちょいちょいオリガミ出てくるのはどうかなとは思ったけども)。役者さんは全員アジア系。キャスティングの人種問題も含め、この辺りはきちんと誠実に作られている。

  Turnly、キャリアとしてはもちろんこれからが勝負どころ、という人なので、今後の作品に注目したいなと思う。インタビュー読む限り、やはりアイデンティティの問題は今後も核となるみたい。

*1:おそらく確信犯的に、ナショナルシアターの広報はわりと意図的にサスペンス側面を強調していたように思います。(少なくともウェブサイトを見る限り、実際の事件に基づくといった情報はほぼない。)拉致問題自体がイギリスではあまり知られていないようなので、最初にドラマチックな側面を打ち出すのは戦略としてはありかと思いつつ、でも例えばイギリスの作品で中東問題扱う時にこういう広報やったらアウトじゃないか?とも思う。この種の具体例が他にないので、判断にしにくいのですが。

*2:お父さんが北アイルランドの人、お母さんが日本の人で、自身は'a Japanese Ulsterman' と認識している、とのこと。ガーディアンにインタビューがあります。

'I didn't fancy being stuck in North Korea': the stormy thriller by a Japanese Ulsterman | Stage | The Guardian

*3:Chimericaはアルメイダの製作。休憩込みで三時間越えとかではなかったか。当時のKirkwoodのキャリアの若さも今作のTunelyとちょっと似ている。

*4:もしご存知でしたらツイッター経由とかで教えてください。

*5:これ、私はChimericaにも覚えがあって、例えば作品後半の公安警察の厳しい尋問場面。それが実際にあり得るかどうかとは別の次元で(というか現実にはそうした悲惨なことが起こっていると思うんですが)芝居臭さみたいなものを感じた記憶がある。