Top Girls at National Theatre by Caryl Churchill, dir. Lyndsey Turner

観劇日:2019年4月6日14時15分

 

 この頃はツイートでまとめた気になっちゃって、ブログ投稿が久々すぎるのですが、今作は連ツイが長すぎる、という事態に陥ったので改めて書くことにします。キャリル・チャーチルの、おそらく最も良く知られている作品であろうTop Girls (1982年初演)、リンジー・ターナーによる、ある意味での「新演出」です。

  Top Girlsは戯曲には指示がないものの、慣例になった演出案があります。ひとつは一人複数役のキャスティングで、主人公マーリーンを除いて、一幕の登場人物を演じる役者が、舞台設定が大きく変わる二幕以降の登場人物も演じるというもの。マックス・スタッフォード=クラークによる初演時の記録が現在出版されている戯曲の多くの版に掲載されており、その配役組み合わせを踏襲する場合が多いです。この点は、今回チャーチル自身が公演パンフレットにコメントを寄せており、大意としては、複数役キャスティング(doubling)の演出上の意義は確かにあるけど、この作品については(キャストの人数の)実際的な問題のためにそうなってきていた、とのこと。少なくとも彼女の知る限り、プロフェッショナルな公演では今回初めて一人一役(16名が出演)となるそうです*1

 もう一つは休憩のタイミング。これは、私も上演史をさらえてないので他のパターンも少なからずあるのかもしれませんが、私の知る限り通常2幕1場(アンジー、キット、ジョイスの場面)の後に入れるはずです。*2ところが今回は、今のウェストエンドの上演慣習からしてもかなりイレギュラーですが、2幕2場後に休憩が入ります。つまり、上演時間としては30分ほどの3幕を単体でやるという構成です。

  そのような演出プランなので、この作・演出・出演者の顔ぶれにしては、レビューの評価はわりとばらついてます*3。ただ、Top Girlsのややこしさと面白さというのは、古今東西歴史に名を遺す女性たちを集めたパーティというインパクトの大きくある種普遍的な1幕と、1980年代初頭サッチャー政権下の「キャリアウーマン」の生き様という時代も場所も非常にスペシフィックな題材を扱う2幕以降が同じ強度である点で、この40年近く前の作品を今どう解釈するのかというのは、演出プランの驚きを抜きにしても意見が様々なところだと思います。もちろん、今回のターナー演出は必然があって生まれたものでしょうし、ここまで大胆に変えてこそ今この作品が新しく意味を持ったと思います。

 ターナーの関心は割とはっきりして、キャラクターの掘り下げにはあまりエネルギーを割いていません。マーリーンどころか他の登場人物でさえ、共感できるタイプの女性像がほぼ出てこない(唯一、アンジーがレズビアンともとれる造形になっていて、それはすごく面白かったですし、共感の対象になり得る人物かなと思いますが)。私は、Top Girlsは読みようによっては女性のエンパワメントになる戯曲だと考えています。マーリーン、ジョイスやキッド夫人にしても、あるいは二条やイザベラ・バード、ヨハンナたちにしても、彼女たちの境遇に観客が自分とどこか重なる部分を見つけて、ガラスの天井に対する怒りを代わりにぶちまけてもらう、ということが出来る作品です。おそらく、少なくとも1982年の初演当時には、ロンドンでこの作品を観劇してマーリーンに自身を投影した女性は少なくないと思います。

 対して今は。1幕でテリーザ・メイを揶揄するジェスチャーが出てきて*4それが笑いを取るわけで、それでサッチャーは女性初の首相だと興奮するマーリーンの台詞が映えるはずもない。80年代初頭の「OL」たちはもはや、そんな時代もありましたね、のカリカチュアで、マーリーンが昇進によって経験する周囲との軋轢はごく一部の「トップガールズ」だけの問題ではなくなり、抑圧への共感よりむしろ、私だって辛いんだけど、という感情を逆なでする。女性の社会進出がそれだけ進んだのだと素直に喜べないのは、だから女性はもっと連帯できるはずだという解釈に容易に向かえないことです。時代の変化によってこの戯曲から新たに浮かび上がってきたのは、あなたもたいがい大変なのだろうけどでも今私の足踏んでる、という状況が互いに起こり続けるという、誰もが「トップガールズ」になれて、同時に誰も「トップガールズ」にはなれない、という矛盾この上ない現実です。

 ターナーはドラマツルギーや戯曲の構造を通して自分の読みを見せることに長けた演出家だと思うのですが、それが今回直接的に演出案変更という形に表れていると思います。最も興味深いなと思うのは、1幕のパーティと3幕のジョイス宅での晩酌をパラレルに見せようという意図が感じられるところです。3幕のジョイスとマーリーンの口論*5で、二人がテーブルにつくことがほとんどありません。かなり広く空間を使いながら、正対することを避け、各々の主張を相手のいない方向へ飛ばすというちょっと独特な対話の仕方になっています。さらに違和感を覚えるのが、直前のオフィスの美術や衣装が80年代イケてるオフィス感を過剰なまでに押し出していた半面、ジョイス宅のダイニングルームは非常に緻密なリアリズムで作られていることです。二人の食い違う対話に反し、この景色は3幕こそ現実なのだと見せつけてきます。

 このかみ合わない口論と空間のリアリティは、1幕のパーティの突飛さの裏返しのように思えます。マーリーンの昇進祝いに、古今東西歴史上の「トップガールズ」たちが高級レストランに集い華やかなパーティを繰り広げる。設定こそ夢物語のようですが、肖像画や写真、絵画、文学作品から飛び出てきたかのような彼女たちの姿をいかに「本物らしく」見せるかがこの冒頭のインパクトを握っています。ですがこのシーンで注目すべきは、彼女たちの会話がまともに成立している場面はごく一部だということです。互いの話をろくに聞くこともなく、ワイン片手に自らの差別や抑圧の経験を吐き出すばかり、周囲も多少の相槌は打つものの「私にも似たようなことがあってね」と、話題を自分の愚痴に変えてしまう。夢のようなパーティが開けたのに、結局はみんな不幸だったねと酒に流してしまうだけ、という1幕の結末は、レストランやドレスの華やかさに反し非常に冷淡なものです。

 そして一人一役演出のために、役者が備える1幕からの連続性が絶たれます。つまり、このパーティはマーリーンの空想の産物でしかないことが強調されるわけです*6。相手を顧みず自分のしんどさを勝手にしゃべっていても1幕なら夢で済んだ。でも3幕は、かみ合わない会話から本当に逃げることはできない。なにより、マーリーンとジョイスの関係において相手の足を踏んでいるのは紛れもなくマーリーンの方です。後半を3幕単体上演とするエネルギーの注ぎ方は、憧れのパーティなんていう空想に逃げるな、この場にこそ向き合えというターナーのメッセージのように思います。

 Top Girlsを女性へのエンパワメントとして今演出したとしても、決してそれが間違いだとは思いません。ただ、やはりチャーチルがこの作品により強く込めたものは、女同士だからというだけでそう簡単に連帯できるわけではないという、フェミニズムの辛さ(そして同時に、「女」というカテゴリーの元それぞれが違うからこそ変化してこれたという希望)だと思います。ターナーが今作で後者を前面に出す演出を採用したことは、私は高く評価したいと思っています。エンターテイメントという意味では物足りなくなったかもしれませんが、伝えるべきことをきちんと具現化した舞台です。

 

*1:昨今のダイバースキャスティングの潮流と、一幕の登場人物の人種を史実通りに残すこと(82年時点でアジア人女性のキャラクターが描かれていたという点で、私は史実に沿ったキャスティングにすべきと考えています)の折り合いをうまくつける意味でもうまくいったのではないかと。あと、ちょっとうがった見方ではあるんですが、metooにより事実上業界追放となったスタッフォード=クラークの演出案から離れたいという意図が、製作サイドにあったのではないかなぁと思ったりします。

*2:休憩の入れるタイミングに関しては戯曲に指示があったのを以前見た記憶があるのですが(1幕のパーティシーンの直後ではなく2幕1場後が望ましい、という内容)大学のデータベース読める最新の版では見付からない…。ちょっと探してみます。

*3:ところでターナーが変えているのはあくまでも演出の慣例で戯曲本文は変えていないはずですが、このばらつき感が英演劇界のdirector's theatreへの評価とちょっとパラレルなのが興味深いです。

*4:細かい台詞を忘れましたが、ウェストミンスターの方角(近いんです)を指さすってところがあるんです。

*5:ちなみにこの中でアンジーの出生について明らかになるわけですが、1幕で話題の多くを占めるのも子を持つことをめぐる不幸です。

*6:ちなみに、慣例ではイザベラ・バード、キッド夫人、ジョイスを一人で演じます、って書いてて、この役者さんは3幕それぞれ異なるキーパーソンをやることになるのかと気づきました。

2018年8月~10月の観たものリスト

放置していた下書きを発見。もう半年前か…と冷や汗をかきつつ放流。(そんで、11月以降のもまたリストにせねばなのですね…)

 

 

夏は(若干軽躁的に)テンションが上がってガンガン観劇予定を入れがちなのと、それに応えているかのように注目作の上演本数が多いので、観るのに書くのが追い付かず、例によって観たぞ、の記録だけ取っておきます。

7月まるっと帰国しており、その間日本でも複数本舞台を観ているのですが、そっちは今のところまとめる予定はありません。

 

2018年8月8日 14時30分

Fun Home at Young vic by Lisa Kron, dir. Sam Gold, based on the Graphic Novel by Alison Bechdel

トニー賞受賞のミュージカルのトランスファー。レズビアンの漫画家が自身のセクシュアリティとクローゼットのゲイだった父親との関係を描いた自伝的作品の舞台化です。日本でも翻訳上演がありました。ミュージカルとしては出演者数は少なくこぢんまりした雰囲気ですが、鋭く刺さる物語。後半の改築された実家の美術は圧巻、そして父親の心情を表すかのように不気味です(NYと演出が変わっているっぽい?)。

 

同日 18時

£¥€$ (LIES) at Almeida theatre, dir. Alexander Devriendt

観客参加型。観客はそれぞれ銀行として架空の国に属し、自国のインフラへ投資したり国債を売買したりして、貨幣価値を高めて競い合う。ボードゲーム的なものとしての楽しさはあるけど、資本主義批判の主題はどこへ…。貨幣とは所詮フィクションで…的なベタなヒューマニズムへの回収も不満でした。あと、ゲームの構造的に、経済に疎い人はプレイするのに精いっぱいで、逆に詳しい人は本来金融市場にあるはずのシステムがなくて混乱(ゲーム用に簡素化されてるため)みたいなことが良く起こってた。

 

2018年9月4日 19時30分

Hamilton at Victoria Palave theatre by Lin-Manuel Miranda

言わずと知れたミュージカル賞総なめ作品。この時期ロンドン滞在中で、運よく直前にリターンチケットが買えたのでした。骨格としてはかなりの王道路線ミュージカルなのに、キャスティングと音楽の選択でここまで新鮮になるものかとびっくりしました。曲かっこいいです、サントラ買いました。

 

2018年9月7日 19時30分

Pinter Season 1 at Harold Pinter Theatre

ピンター後期作品の、特にポリティカルな要素の強い短編のコレクション。ピンターシーズンは6までキャストと作品発表があり、さらにトム・ヒドルストン出演の『背信』の上演が決まりました。普段ウェストエンドではかからない短中編やすごく初期ないし後期の作品が中心的に取り上げられているので、どれを見るにしても面白いと思います。(面白かったです!(過去形))

 

2018年9月8日 14時30分

Gecko at BAC

今わりと売れてる(?)フィジカルシアターカンパニー、これが初見でしたが個人的にはあまり…。ヴィジュアル的な綺麗さはあれど、内容的には隙が多い。どちらかというと、今回の観劇動機は復活したBACのメインホールをみたいというところにあり(3年前くらいに火災にあって、その時上演予定だったのがゲッコー。復活も同じカンパニーで、という趣旨)。綺麗に再建されてて良かったです。

 

同日 19時

King Lear

イアン・マッケラン主演、チチェスターフェスティバルシアターの製作です。サーの演技を堪能。解釈としてはリア王認知症路線でしたが、子ども返りをしてしまったような造形でした。

 

2018年9月11日 19時

Lehman Trilogy at National Theatre, dir. Sam Mendes

サム・メンデスはすげぇなぁと思いましたです。リーマンブラザーズの創立者兄弟の人生を3人の語り手/兄弟たちが語り継いでいく。これ、おそらくキャラクタライゼーションのないタイプの戯曲だったのではと想像するのですが、上手いことNTの観客のテイストにもあうような人間ドラマ的モメントを入れ込んでいて、それがとても良かったです。

 

2018年10月4日 19時30分

Poet In Da Cornar at Royal Court Theatre by Debris Stevenson

これ、あまり印象に残ってないというか、ヒップホップ/ポエトリーリーディング、ダンス、演劇のミックスなのですが、それらが上手く混ざっていないように感じ、またストーリーテリング部分のレベルもあまり良くなくて、結局関心が続かなかった(私のコンディションがちょっと良くなかったのもあるとは思う)。ただ、ロイヤルコートの方向性が少し変わってきてる、劇作家の劇場ってだけではなくなっている、という印象はじわじわ感じてはいます。

 

2018年10月13日 14時30分

I’m a Phoenix, Bitch at BAC by Bryonny Kimmings

これ、評価に躊躇してます。キミングスの子供が重篤な疾患を持って産まれてきた(亡くなったとは言ってないけど、ちょっとその辺もぼかされている)という話を、オートバイオグラフィーパーフォーマンスのお手本のようなフォーマットで語るのですが、そもそも題材がヘビーすぎて、そのヘビーさをコメディとか別の感性に昇華させない方向性なので(昇華させなくてもそれはいいのですが)どう受け取っていいかわからなかったんです。元々、自伝的な要素を作品に取り込むパフォーマーなので、この路線で作品製作を続けてたら、次はもっとつらい経験をしないと作品が作れなくなるのではないかと思いました。キミングスは好きなアーティストですが、そういう風に身を切って活動を続けて欲しいと私は思いません。

 

同日 20時

Summit at Shorditch Town Hall by Andy Smith

未来の「サミット」について、三人のパフォーマーが、手話や外国語を交えながら語る。これ、俳優のレベルをもっと上げて欲しかった、絶対良くなると思う。というか、スクリプト自体は、フォーマリスティックな面白さとダイバーシティの理念とユーモアがきちんとかみ合っていてレベル高いので、いやほんとキャスト変えてもう一回…。惜しすぎる。

 

 

Edinburgh Festival Fringe and Edinburgh International Festival 2018 (追記しました)

 一つ一つに感想を書く余裕がないので、ざっくり観たもののリストと簡単なコメントを。鑑賞直後にツイッターに走り書きしたものをもとにしているので、第一印象だけな内容が多いです。タイトル、作家、演出家、出演者などなどのクレジットは検索可能な程度で省略してます。あと、日付も省略してます(時間を打ち込むのが大変…)が、並びはほぼ観た順番です。ちなみに滞在期間は8/17-8/27でした。

 パフォーマー、カンパニーによっては毎年フリンジ参加している場合も多いので、今後の参考になれば。

(書洩らしていた作品を一番下に追記しました。)

 

Xenos by Akram Khan

 カーンの名前だけにつられていったんですけど、私この人合わない、を確認する会となってしまった…。ダンス作品で、動きに直接的な意味が見えるというのがとても苦手で、それがドラマチックに密なエネルギーでもって多用されていたところがどうにも合わず。キレッキレの動きはとても美しかったけれど、だからこそ妙に意味深な振りが気になってしまう。フルレングスの作品を初めて観たので比べられないのですが、他の作品でもそうなんだろうか。ちょっと確認したい。ロンドン五輪開幕式のパフォーマンスが印象に残ってるんですが、まぁあれはちょっと文脈が違うしなぁ。

 

Check UP by Mark Thomas

 NHS70周年に合わせ、現代英国でNHS制度がどうなっているのか関係者のインタビューを基にマーク・トーマスが語りまくる(*70周年とあって、NHSテーマの作品は他にもいくつか)。テーマはとてもクリアで、彼のメッセージにもちろん異存はない。ただ、NHSというか医療福祉制度にまつわる問題は当然のごとくものすごく多岐にわたっていて、そして結論が出ない。その広さ深さを関係者インタビューを起点に見せていくので、構成がルースになってしまうというか、ちょっとWIPっぽさがある。内容自体はとても面白いのだけど、もう少し特定の問題やインタビュイーへのフォーカスがあると個人的にはもっと入り込めたかもと思う。でも問題系の広さを示すのが大事ってのもわかるので、作品にはとても納得している。

 

The Basement Tapes by Stella Reid
 魅力的な役者さんなんだけど、スクリプトが惜しい。テープレコーダーがキーアイテムとはいえ、一人芝居で録音音声多用するのはもう少し工夫が必要と思う。
 

Revelation by James Rowland

 精子ドナーってテーマですでに面白そうと思ってたけど、予想を超える重い物語がボディブローのように効いてくる。ローランドがクリスチャンてのが超ポイントにも関わらず語りの中ではその重要性はみせず、でもパフォーマンス全体を支えさせているのが巧い。ちゃぶ台返し的エンディングも良い。これ、レイブンヒルのHandbagをちょっと思い出す設定(*友人のレズビアンカップルへの精子提供という設定のこと。Handbagはゲイカップルとレズビアンカップルで「家族」を作るというのがメインの筋の一つで、ローランドが自伝的パフォーマンスなのに対し、こちらはフィクション。)。でもHandbagがゴリゴリバッドエンドなのに対し、こちらはどうにか希望を見つけようとするラスト。作り手の作風もあるけど、20年のキャップを思うと、時代なのかなとも感じる。

*私のとなりの席の人が文字通り号泣しており、何か思うことがあったんだろうなと思ってたんですが、別の日に観た友人がやはり、めちゃくちゃ泣いてる人がいた、と言っていたので、どうもある層にピンポイントで刺さる作品だったようです。(ちなみに泣いていたのはどちらも男性でした。)

 

User Not Found by Dante or Die and Chris Goode

 近しい人が亡くなった時、その人のSNSアカウントをどうすれば良いのか、という問いをめぐるイマーシブ系一人芝居。これ、パートナーを亡くしたゲイ男性が主人公で、その設定に一瞬驚いたんですが、いや驚くことでもないわなと思い、いやうちの国の同性カップルの権利ってデジタルアセット以前…と思い至る。そういう意味で私の感覚では情報過多に思えたのは正直ある。あと、親子間(子が先に亡くなる)の方が、デジタルネイティブ世代の切り替わりという意味で、よりテーマが掘り下げられるような気はしたけど、これも私の感覚によるのかも。達者なパフォーマーさんでしたが、ヘッドフォン&スマホ&カフェでイマーシブにする必要があったのかはちょっと疑問。私はむしろこうした装置のために意識が散ってしまった。

 

Ulster American by David Ireland

 尖ったポリティカルな笑いはすごく面白かったのだけど、ヘビーな政治問題を3人芝居でこれだけたくさん扱うことで相対主義っぽくなってる気も。三つ巴になっちゃうコメディの構造が、今回の政治トピックではあまり生きていない気が。セット、演出がシットコムさが強いので、テレビでやっても良いんじゃないかと思った。

 *アイルランドの『キプロス・アヴェニュー』は来春、ロイヤルコートで再演予定。

 

La Maladie de la mort by Marguerite Duras, dir. Katie Mitchell

 決してつまらなくはなかったんだけども、映像と舞台の表象の対比でこの手法(*カメラ越しに見えるものは実際に映しているものとは全然違う、ということを見せるタイプの編集/演出を指している、はず(ツイート当時の私))は何番煎じだろうと…。そしてなんでデュラスのこのテキストでこれやろうと思ったのかしらと…。丁寧だなぁ上手いなぁとぼんやり眺めているうちに終わってしまった。てか、わりと結構テキストがダメなんじゃないのというか、これさっきのUlster…のノリでやったらコメディだよねと思えるような感覚の古さがあり。私としては愛に飢えてこじらせたおっさんの話はもうBLで十分だし、ここを演出的に関係性の再解釈でアップデートすべきではと思う(*拗らせたおっさん、は上記の映像テクニックで抽象化されてたんですが、相手の女性は逆に映像の中の人としてドラマチックな存在を確立してしまったような演出で、二人の関係性自体は別に変わってなかったんです)。

 

Electrolyte by Donnacadh O'Briain

 これ面白いです。スコッツマンのゴリ押しを信じてよかった。音楽系スポークンワードだけど、バンドの設定が上手く物語に取り入れられてるし、クライマックスの語り手視点の転換も鮮やか。個々のお話自体はわりとありきたりではあるけど、語りのレイヤーの重ね方、音楽の組み込み方、そういう構成が巧み。その上でパワフルな楽曲でテクニカルなところを考えさせずあえて勢いで持ってっちゃう。

 

Riot Days by Pussy Riot

 メンバーのM・アリョーヒナがPRの活動を記した著作Riot Daysの抜粋のシャウトとパンクロックのライブ。ものすごく扇動的で詩的な言葉がビートの効いた音楽と彼女たちのパフォーマンスとミックスされて体が動かざるを得ないパワフルさ。ステージ正面の観客の勢いは特にすごかった。

 フリンジ参加に際しアリョーヒナがロシア政府から渡航禁止を言い渡されており、その事件と出国までの詳細は新聞報道も出てるんですが、開演前のMCで、実はイギリスへの入国手続きでも問題があり、曰くイギリスの入管の方がより厳しかったと。私はイギリス人ではないけど、自分の国が彼女の来英トラブルに関わってるって聞いて乗れないだろ普通、と思ってヘドバンとかしてる観客にすごい醒めつつ、でも同時に彼女たちのパフォーマンスの巻き込む力もひしひし感じてて、途中からひどく混乱して、デモやアクティビズムのことをずっと考えていた。私は、デモがとても苦手でめったにいかない。大勢の人の中でコールやスピーチやパフォーマンスに囲まれてると、冷静な判断が出来なくなるタイプだなと自覚があるので。だからこのライヴに乗っちゃう人の考えは理解できないけど感覚はわかる。劇場なら平気かなぁと思ったけど甘かった。取り乱して帰路についた。

 

Best Dad Ever by Ken Cheng

 アヒアさんを見逃し夕方まで散歩するかとウロウロしていたところべドラムシアター前で宣伝のお姉さんに捕まり、今日のチケットあと数枚だよ!の言葉にノセられて飛び込み。思わぬ収穫でした。スタンダップとしては粗いけど内容が良かった。コメディじゃないフォーマットでも良いかも、と思う。中国系イギリス人の2世で、かつその事と深く関わりながら個別ケースでもある自らの家庭事情を、父親の存在に落とし込む形で語るのですが、カラッとした口調と裏腹に置かれてるのは複雑な状況で、その状況のクリアに出来なさが面白くも切なくもあり。移民二世のコメディはこれまでも見た事あるけど、東アジアの人はほぼ初めて。文化背景が近い分、親との価値観のコンフリクトとか、抱える葛藤は比較的わかりやすいように思った。

 

My Left/right foot by Birds of Paradise adn National Theatre of Scotland

 マイノリティの役は必ずその当事者が演じるべきか問題への一つの回答となる作品(その結論がクライマックスなのでオチは伏せとく)。上演時間短いので展開早くて、もうちょい掘り下げた方がという部分もあるけど、勢いあるミュージカルコメディ。手話通訳日かなと思ったら、手話通訳者というキャラクターだった。物語に出たり入ったりが絶妙で、時に他の登場人物と会話し、時にモノローグをそっと訳す。

*障がい者の役を障がい者がやるべきか否か、というキャスティング問題をめぐっての、とあるアマチュア劇団のドタバタコメディ。オチですが、大まかに書いておくとすれば、障がい者の役はやはり障がい者がやるべき、でも演じる役と全く同じ障害/経験を持った役者はいない(その意味でフィクションである)、という結論。いろいろ議論があると思いますが、今の演劇業界としては最適な判断だと個人的には思います。作品自体も、この結論が絶対だという見せ方ではなく、あくまでも暫定的にこの選択をする、という印象を受けました。(全編稽古場風景で、実際にこの劇団が作った舞台がどうなったかは描かれません。)

 

Unsung by BigMouth
 男性政治家の公私のコンフリクトと観客にだけぶちまけられる本音の間を行ったり来たりの一人芝居。マスキュリニティを政治家のキャラクターで掘り下げるって切り口では意外となかった気がする。ただ見せ方はもうちょい工夫が欲しいというか、えらいどストレートなソロパフォーマンスなので、奇をてらうくらいでもと思う。

 

The Ballad of the Apathetic Son and His Narcissistic Mother 

 母息子関係の話で実の親子のパフォーマンス。マザコン方面ではなく毒親方面の際どさが新鮮。ただラストは私としては過干渉ラインを超えてしまった感じがする。両者の語りのミックス、下手ウマなダンス、映像の使い方とシンプルながらmessyな感じが面白い。

 

When Harassy Met Sally by Fin Taylor

 シスヘテロ男性コメディアンがジェンダーセクシュアリティmetooに正面タックルして こんなに笑えるなんて!の驚き。しっかりupdateされたポリティカルビューとどうしても納得できない感覚の折り合いのつかなさを、誠実にかつエネルギッシュに、情けなさに逃げることなく語ってく。冬に見たときよりテクニック的にも段違いでレベルアップしてると思う(プレザンスで満席でってテンションもあるにせよ。)情報量の多い怒涛のノンストップトークだけど、きちんと言葉が入ってくる。

 

Daniel Kitson

 これ何か書くべき感想があるかって言うと、深夜にだるーっとKitsonさんのおしゃべりと今作ってるネタを聞く会、という感じなので、それ以上でも以下でもなくというか。楽しかったけど、さすがにスタンダップはしごのあとで、宿につくのが午前2時は疲れた…。(*0時開始でした…。)

 

A Fourunate Man by Micheal Pinchbeck

 英国最初のGPの一人である医師の伝記を元に、二人のパフォーマーが彼の生涯を追う、という作品ですが、実は本題はこの医師の人生ではなく、一冊の伝記をいかに語るかの技法の方。複数のナラティブをパラレルに走らせたりメタに置いたり、ぱっと見とても静かだけど遊びまくっている。ピンチベック作品を観たの3年ぶりだけど、彼の関心は技法や形式なんだと確信した。

 

The Infinite Show by Mark Watson

 アダム・ヒルズが来なくなった今、新たな癒やしコメディアン枠をと思って入れました。安心して大笑いして気持ちよく劇場出てきた。ちょっとミーハー入ってる自覚はありつつもこのチョイスは正解でした。(でもメインのネタは離婚話なのでそこそこハートブレーキング感)

 

Shake a Leg by Andrew Maxwell

 三年ぶりに見たけど、なんか妙にペシミスティックだった。ネタがつまんないというより、全体の空気が落ち込んでどうも笑いにくい感じ。今回がたまたまなのかなぁ。まぁ、ブレキジットから陰謀論、反ユダヤまでがっつり扱って暗い気持ちにならない方がどうかしてるわけではあるが。

 

The Last Straw by People Show

 これ面白いかどうかはわりとどうでも良くて、イギリスで最も設立の古い現役のパフォーマンスカンパニーてだけで観に行った。正しく前衛というかイギリスで言うところのexperimentalってこれよね、という感。お勉強というと言葉が悪いけども、英国パフォーマンスの歴史をしみじみ感じる。

 

Queens of Sheba

 黒人女性が受ける複合差別をカラッとしたコミカルなパフォーマンスで見せる。負の経験をゴムが弾けるようにパワフルさに転換してて、その明るさがすごい見応え。ブラック女子あるあると思しきネタは私はわからなかったけど一部観客の爆笑をかっさらってた。今回のフリンジで見てきた中で、ダントツで黒人、女性観客の多い客席でした。

 

Bleed by Jordan Brooks

 コメディ畑で話題になってたところパフォーマンス界隈でもお薦めを見たので(J.ローランドさんがパンフで名前挙げてたり)。見事にコメディ/パフォーマンスの境界を突っ切る作品だと思う。ただ、ぶっちぎり方が(スタンダップ)コメディのフォーマットをグリグリ壊していく感じなので、普段コメディを観ない人にはちょっと勧め辛い。でも演劇・パフォーマンス的にもとても面白いです。コメディアンの人には怒られるかもだけど、パフォーマンス作品としての掘り下げ方も見てみたいです、この人。

 

Angry Alan by Penelope Skinner

 これ良かった。尺延ばして演出しっかりつけてぜひツアーを。men's rightsキャンペーンにはまり込んでいくある地方の白人中年男性の姿。トンデモな男性差別の理屈に笑ってしまうけど笑えないのはこれが実際に人を社会を動かしていること。日本でもアクチュアルなテーマではないでしょか。

 

Underground Railroad Game by Jennifer Kidwell and Scott R. Sheppard 

 これ、ちょっとまだ判断が付かないというか、南北戦争&黒人差別問題を現代のinterracialな恋愛関係を通じて描く方法のラストがこのセックスでいいのか?(*いわゆるSMと思われる行為でした(黒人女性と白人男性のカップルで黒人女性がSの側))と考え込んでいる。コミカルな二人芝居で、役者さんも魅力的だけど、転換ごとにスピードが落ちがちなのは残念。

 

The Political History of Smack and Crack by Ed Edward

 昼間にundergroundを観ていたもんで、歴史的事件と個人の経験が重なる的なナラティブ(しかも男女二人芝居)で比べてしまう。んでunder...のが面白い。テーマだけでなく、たぶんスクリプト、役者もあまり良くなくて、今誰が誰に喋ってる?と困惑することが多い。

 

Square Go by Kieran HUrley and Gary McNair

 楽しい〜そして可愛い〜!思春期男子のマッチョテーマは一歩間違えると地雷ですが、メタシアターな(お客いじりとか実年齢ままなビジュアルとか)要素が感傷を破壊してくる笑。(いくらダサくても)ちゃんと大人に見える、というのも今マスキュリニティを語る上では重要な仕掛けだと思う。

 

Best Of... by Richard Gadd

 これはすげぇ。別の仕事との兼ね合いで今回は総集編だなんて、とてもそうとは思えぬクオリティ。明日友人が観るので詳細はそれまで伏せとくけど、ガッドさんの伏線や仕掛けの巧妙さは演劇パフォーマンス畑の人にもおすすめです。

*伏せなくて大丈夫になったので追記。 夏前に放送されたラジオのネタ(生き別れの父親についてガッドが語るという放送内容だが、いよいよ放送が始まるという段になって問題が起こりまくり、パフォーマンスどころではなくなってしまうというドタバタ)をもとに、過去作のネタやちょっと新ネタも含めての、ベストオブ、なショー。彼、伏線張り巡らしたりメタシアター的構造を作るのが得意技なのだと思うんですが、そうしたネタが決まる時の気持ちよさは一級です。

 

Zugunruhe by Tom Bailey, Mechanimal

 ガードナーさんが変な褒め方してるなと気になって飛び込んだら予想以上の大当たりだった。鳥の移動と人の移動を緩く重ねながら、その核にある環境問題、難民問題に静かに触れる。何がすごいってこの地味目なモチーフとシリアスなテーマをおじさんパフォーマーが文字通りに鳥になったり人になったりして見せるという、どうしてそうなった感。でもちゃんと機能してるというか見終わったあとはこの手法がベストと思える。これ、ロンドン行きます。フォレストフリンジがあればそこに拾われてたろうにと思う。お客さん入ってないのが残念。

 

 After the Cut by Gary McNair

 うーん、Square Go 見た後だと(あちらは共作とはいえ)見劣りしてしまう。ディストピアコメディに振るか、しっかり社会派に持っていくかどちらかに思い切ればいいのに。あと、単純に役者さんがちょっと微妙だったと思う。

 

Midsummer by David Greig

 2008年初演作品の改訂再演版。フェスティバルという場にふさわしい幸せな祝祭感あふれる舞台。グレイグ版またはエジンバラ版夏の夜の夢ともいえると思う。なんてことないラブストーリーなんだけど、会話の一つ一つが愛おしいなと思わせる、戯曲、演出、俳優のコンビネーションです。

 

The Prisoner by Peter Brook

 ブルック、おぉブルックよ…。というわけで、私は二つ星レビューに賛同します。とにかく物語がひどい。なぜ原作ものしなかったんだというくらい、誰が書いたんだこれ状態。俳優の佇まいや空間の使い方の美しさは確かにあって、目を引く部分は確かにあるんだけど、キャラクターもストーリーも台詞もほんとにだめなので(特に台詞の詩情のなさは致命的)もう無言劇にしろやと思うくらいだった。俳優さんがもったいない…。あと、唯一の白人俳優の演じる役がザ・オリエンタリストなの、単に無頓着なの確信犯なの?という謎。その意図さえもわからない脚本レベル…。

 

Jew by Ari Shaffir

 友人のお勧めから。ユダヤ人である自身の経験を聖書と絡めつつ、ダーティにでもクリティカルに笑いを取っていく。ユダヤ陰謀論ネタ、Maxwellさんもやってたけど、あちらがかなり深刻なイシューとして扱っていたのに対し(その態度は全く正しいわけですが)、Shaffirさんは、陰謀論?はっはーそうだよほんとだよ!という返し笑。マイノリティのコメディを当事者性だけで語るのはどうかと思いつつ、でもその立場にいないと笑いにできないことはあるよな、と思いながら見てました。

 

DollyWould by Sh!t Theatre

 キッチュなやつ入れてなかったなと思って行きました。去年も同作で来ていたそうです。カントリーミュージックのトップシンガーであり、ゲイアイコンでもあるDolly Partonの大ファンという二人の女性パフォーマーが、ドリーのドラァグ的ファッションを真似つつ、その振る舞いを、ドリーの作ったテーマパークや彼女のブランドグッズの氾濫、クローン羊のドリー、ドリーのテーマパークの近くにある医療センターの死体の腐敗過程の実験の様子を、身体のコピーを軸に繋げていく。はちゃめちゃなビジュアルに対し、うまい構成です。観客の不快さを刺激するポイントが、ちょっとキム・ノーブルっぽさを感じて(彼のようなdepressiveな感じはほぼないのだけど)そこ結構気に行った。テーマパークを(助成金でw)超エンジョイしてる写真の合間に、唐突に腐乱死体の実験の写真が容赦なく入ってくる。確信犯です。

 

Status by Chris Thorpe

 これテーマの扱いとして私的にはダメでした。英国の超強いパスポートを持っている自身の葛藤を語るモノローグではあるのですが、これダムタイプの『S/N』に同じテーマのシーンがあって、そのラディカルさのインパクトとどうしても比べてしまった。現実的にはThorpeの態度がとても全うなものだと思いつつ、やっぱり私は『S/N』の「私は夢見る…」のフレーズの中で、パスポート破るっていうあのシーンがナショナリティや国境を考える時にはものすごく重いものとしてある。(あとエピソードとして、Thorpeは二冊パスポートを発行されているという経緯があるので、なおのこと、一冊破れやと思ってしまった。)

 ビザ関係でいえば、ヴェヌーリ・ペレラのVisa Godのパフォーマンス(*タイトルを忘れた…ごめんヴェヌーリ汗。手塚夏子さんのFloating Bottleプロジェクトの作品の一つで、私が観たのはWIP版。)とか、非白人コメディアンのボーダーネタとか、そういう視点を思いだしてしまう。彼、彼女たちがそれでもコミカルにこの問題を扱っているのに、英国の白人男性が深刻に悩んでしまうのって、やっぱりのれないなと思う。

 
Nigel Slater's Toast
 自分のコンディションが悪くて眠くなってしまった…ごめんなさい(最終日に朝の観劇入れるのはきつかった)。イギリスで有名なフードコラムニストの自伝の舞台化。思い出深い出来事と料理がシンクロしてるのだけど、実際に物語に出てくるお菓子が観客にも配られ一緒に食べる趣向を凝らしてる。
 

Home by Geoff Sobelle

 フィジカルシアターという宣伝だったと思うけど、少しアクロバティックな感があって、ヌーヴォーシルク的な印象が強かったです。フィリップ・ジャンティぽいなとも思いました。加えてステージマジックのテクニックも駆使されてる。ある家の住人と思しき人々の生活がそれぞれオーバーラップする前半部と、とっ散らかった家で観客巻き込みまくりのホームパーティの後半部。スマートな身体パフォーマンス&しっかりしたエンターテイメント性で、フェスティバル演目としては文句なしの質。ただMidsummerにしてもこれにしても私が見た範囲のインターナショナルフェスティバルの演目は祝祭感貫く感じで、社会に特に問うことはないのか、政治テーマはフリンジに任せてバランス取ってるのか、色々思わないではない。 

 

'75 by Kieran Hodgson

 おそらく今回観た中で唯一のガチブレグジットもの。自分の最大の理解者であるはずの母親が離脱に入れただって?というつかみから、とはいえそもそもEUとは何なのだと、EC/EU加盟に関わった政治家たちのリサーチをもとに繰り広げる一人芝居型コメディ。キュートなルックス、辛辣な突っ込み、誠実なメッセージ性と三拍子そろった良い舞台でした。で、作中で言われるまで全然気づいてなかったんですが、ブレグジット、テーマとしてはもう流行りを過ぎつつあるんですね。国民投票の時の空気を知らないし、ニュースで情報を得るだけなので、当然まだまだ盛りの話題だと思ってた。もちろん現実には全然何にも打開してないわけなので、流行り廃り関係なく、時間かけてリサーチして一本のネタに仕上げるホッジソンの態度はとても好感を持ちました。

 *この記事を整理している最中、離脱暫定合意案をめぐって内閣がひっくり返っております。いよいよ2019年3月から段階的に離脱が始まるので、来年の夏はまたブレグジットネタ盛り返すんじゃないかなぁと思います。

 

(以下追記)

bon 4 bon by Chang Dance Theatre

台湾のダンス作品(振付家はイスラエルのEyal Dadon)。良き!実の四人兄弟のダンサー達で、子供の頃の思い出をモチーフにしつつ家族とも友人ともダンスパートナーともつかぬ不思議な距離感。テクニック的にも上手いし、ユーモアの入れ方はチャーミングだし、唯一の不満は30分の小品だったことか。

 

 

A Very Very Very Dark Matter by Martin McDonagh at the Bridge Theatre

観劇日:11月3日19時45分(90分、休憩なし)

演出:Matthew Dunster

 

 ブリッジシアター年間プログラム発表から楽しみに待っていたマクドナーの新作はいざ開幕してみれば賛否両論の嵐吹き荒れるレビューの数々*1。昨年公開の映画『スリービルボード』から期待値が高まりすぎたゆえか、本当にダメな出来だったのか、評判の真相は…といざ鑑賞してみれば、

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みたいになる作品でした。

 著名な童話作家アンデルセンには実はゴーストライターがおり、それはコンゴからさらわれてきた黒人奴隷の少女で、アンデルセンはペットのように彼女を箱に閉じ込めて作品を書かせ続けていた、というのが冒頭のつかみ。えぇっと、道徳倫理的にどうなのこれ…、いくらアンデルセンがクズ人間として描かれているとはいえちょっと笑えねぇよこのジョーク、と冷汗だらだらの展開と台詞が連なるパート1。休憩が入ってたら本気で帰ることを考えたのですが、パート2に入るとまさかの宇宙猫展開へ。

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 未来からやってきて自由を説くジプシー、(舞台設定の年代から)十数年先に起こるコンゴ紛争での戦いに赴く少女、それを阻止しにベルギーからやってくる二人組の(見た目が)赤い殺し屋。ジプシーに託されたマシンガンを担ぎ、故郷を救うべくドアからタイムスリップする少女と、それを見送るアンデルセン。

 何を言ってるかわからねーと思うが…。

 前半の政治的にも倫理的にもダメな要素を、筋立てもろとも隕石が破壊した後半部、そしてそれが妙なカタストロフィになってしまう、という、なんとも困った作品。PC的にダメだという場合、普通その価値観が作中ある程度一貫して見出されるものだと思うのですが、おそらく意図的にそうした一貫性や論理性をぶち壊しにかかっているので、「タブー破り」を試みた表現かどうか、いまいち判断がつかないのが正直なところ*2。とはいえ、神経に触る表現ではあるので、前半部の不快感も強く印象付けられる。

 クズな人間のクズな言動のオンパレードにもかかわらず、不思議とふと胸のすく瞬間がある、という意味では、しっかりマクドナー作品ではあるのだと思う。いくつかのシーンは、まさにマクドナーだというユーモアと緊張感があって、彼の筆であることに疑いようはない。ただ今回は、その「不思議」がすこしふしぎどころではなかったというべきか。

 それでも、非常にテンポが悪いのは確か。近作であるHangmenと比べても、あるいは多くの人は『スリービルボード』とも比べただろうが、それらに比べて明らかに質は悪い。アンデルセンが童話作家であるところから、ナレーターによって語られる物語の体裁に意識的であるにもかかわらず、全体をドライブする要素がほぼないので、登場人物がだらだらとしゃべる、と言う印象がどうしても強い。片手間に書いたように思われても仕方がない出来だとは思う。

 マクドナーファンは日本にも多いので、いずれ翻訳上演があるのかなとは思うけれども、とても人を選ぶというのか、ファンのための公演になるのではと思う。もちろんいかなる評価を受けようとも、公演自体はやるべきですが。

*1:それをまとめたThe Stageの記事はこちら。

Martin McDonagh's A Very Very Very Dark Matter | review round-up

*2:この作品に政治的に否を突き付ける評価はそれはそれで真っ当だと個人的には思います。ただ、私はPCに関わる表現は原則的に文脈に依ると考えているので、ここまで激しく文脈自体が混乱させられてしまうと、批判のポイントとしてはいったん留保を置きます。ちなみに、「タブーを壊す」という意図がはっきり見えていたら、私の評価は単なる悪趣味で終わってたでしょう。

ear for eye by debbie tucker green at the Royal Court Theatre (downstairs)

観劇日:11月3日14時30分(2時間15分、休憩なし)

演出:debbie tucker green

 

 今年度の最高傑作来ちゃったよ、と終演後思わずつぶやきました。

 タッカー・グリーンは名前だけは知っていて、でもその実験的作風と黒人の人種問題というテーマゆえか、なかなか再演に出会う機会がなく、ようやく観れたのが今年の春、チチェスターでのrandom/generationのダブルビル*1。特にgenerationの構成が見事で、上演によってはじめてこの作品の全貌を知れたような感があった。一見して、実験的な形式で解釈に開かれたように見える戯曲が、上演となると(リアリズム形式ではない形で)舞台の設計図として働いているようで、そのことが逆にこの戯曲が細部まで計算されつくした、手の入れようのないものだと示す。演出らによるテキレジの余地がないという意味でも、上演が不可分であるという意味でもある意味徹底した戯曲主義な作品で*2、ear for eyeはタッカー・グリーンのそうした劇作法の一つの到達点になっているのでは、と本数を観ていないなりにも思う。

 三部構成+エピローグという構成で全体を貫くリンクはうっすらとあるものの、どの部も基本的には独立し、かつまとまった意味が非常に取りにくく作られている。第一部は英米の黒人の人々による断片化されオーバーラップする会話やモノローグからなる。センテンスが意図的に壊されているので、舞台上で会話のように見えるものがバラバラな単語の連なり、しかしながら時にとても詩的に聞こえる。だが、言葉を拾っていくうちにどうやら彼、彼女らがその身の回りにある差別や暴力について話している、あるいは話そうとしているようだと察せられる。キーになる会話は(これはエピローグで非常に印象的に繰り返されるが)若い男性と、その少し年長と思しき男性(兄弟か、先輩後輩のような印象がある)のやりとりで、どうやら若者の方がとても攻撃的に興奮しており、年長の男性へ何度も「やってはいけない理由はなんだ」と尋ねる。そして第一部終盤の男性のモノローグは、そこに至るまでの様々な人々の会話の断片が集められたイメージの集大成となっており、一つ一つの言葉に、その言葉を発した人々の顔が過ぎる、鳥肌の立つクライマックスです。

 第二部は、おそらくカウンセラー(あるいは一方は教師の)二人組の会話だが、やはり明確な立場はわからずその内容も明瞭に語られるわけではない。どうやら、ある学校で生徒による銃撃事件が起こったが、その主犯の少年の動機をめぐって対立しているようである(というか、男性側が妙に論点をずらしている風に見える)。この場面に出てくる年長の男性が唯一本作で舞台に上がる白人俳優*3である。つまり、白人男性とそれより若い黒人女性の二人芝居になるわけで、当然そのパワーバランスには年齢、ジェンダーの差も二人の関係に関わってくる。この場面のみ回転舞台の装置が使われ床がゆっくりと回るのだが、対面の椅子だけの美術ながら、目の回る酔いのような気分の悪さが視覚面からも影響を与えてくる。

 第三部は映像で、アメリカパート、イギリスパートにさらに分かれる。アメリカパートではジム・クロウ・ローの条文を白人のアメリカ人たちが(おそらくアマチュアだろう)が読み上げる。イギリスパートでは、同様に白人のイギリス人たちが奴隷法の条文を読み上げる。この場面のみ、台詞となる条文は断片化されることなく、はっきりと意味が通る文として読み上げれられている*4。印象的なのは、意図的に子ども、障がい者、ゲイカップルを被写体に入れていること*5。実は私はまだ解釈が追い付いてないのだけれど、ここだけノンフィクション(的)であることも含め、マイノリティの属性が(足し引きするものではないにせよ)かなり特徴的にこのパートに現れていることは丁寧に考えなければと思う。この部のラストに舞台上にエピローグと示され、第一部の青年が再び現れて幕となる。

 とにかく一言一句たりとも聞き逃すまいと集中して観ていても、どうしても取りこぼしてしまう言葉があり(英語の問題だけでなく)、それを埋めようと戯曲を読むと今度は舞台で観たイメージがおぼろげになっていく。テキストーステージの分かち難さを見事に示す上演だ。そして、舞台上の瞬間瞬間のみ言葉とイメージが完成するー戯曲だけでも、上演だけでもそれは達成されないーという形態が黒人問題を語り得る可能性と、同時にその限りのない困難をダイレクトに示していた。これほど形式と内容が不可分の舞台作品であることにも驚いたし、また演劇と言う形式においても、戯曲の持つ役割がとてつもなく重要で、しかしそれ単独では不完全であることを鮮やかに示す手つきが本当に素晴らしかった。タッカー・グリーン、今作はテーマ、劇作、演出など様々に評価があると思いますが、私はやはり彼女の劇作家としての能力を高く評価したい。私のまだ知らない戯曲の面白さを存分に見せてくれた作品だった。

 

*1:感想を、書いてない…。

*2:タッカー・グリーンの場合は(チチェスター公演は別の人でしたが)初演に関しては自分で演出しているというのも大きいと思います。あと、タッカー・グリーンに限らずですが、リアリズムの手法で書かれていない作品ほど、戯曲に忠実な演出の方が面白いんじゃないかと個人的には思っています。

*3:戯曲上の指定ではcaucasianという表記。第三部のキャスト指定も同様。ちなみに黒人登場人物に関してはBlack British, African Americanです。

*4:ただし、台詞の区切りやカット割りには工夫が凝らされ、一つの条文をリレーのように複数の人が読み上げたり、同じ人を複数のアングルから撮ったりしている

*5:手話話者は第一部に登場している

Twelfth Night at Young Vic

観劇日:2018年11月1日

演出:Kwame Kwei Armah and Oskar Eustis

製作:The Public Theatre (NY)

 

 ヤングヴィック新芸術監督クウェイ=アーマー就任一作目は、彼がアメリカで製作したミュージカル版『十二夜』*1。舞台は20世紀半ばのノッティングヒル。カリブ系移民が多く住んでいた地域で、現在までもカーニバルなどカリブ文化が根付いているそう。

 華やかでエネルギッシュなミュージカルというだけなら、シェイクスピアの翻案として特別珍しくはないのだろうけど、そうはならないのは、徹頭徹尾一貫してこの作品が多文化社会へのセレブレーションとなっていること*2。ダイバースキャスティングに加え、コーラス/アンサンブルには地域のアマチュアパフォーマーを大勢登用している。人種、民族、性別、年齢、全部が取っ払われた祝祭の雰囲気と同時に、これほど多様なすべての人々へのそれぞれのリスペクトがきちんと両立していて、この一年強イギリスで舞台を観てきて、最も安心できる劇場空間だなと感じた。

 『十二夜』のストーリーやプロット、キャラクターにほぼ変更はないものの、90分のミュージカル翻案になっているため、当然ながら台詞のカットや変更は大胆。名台詞の一部を歌詞に混ぜ込む形になっているので、ちょっと口ずさみたくなる感じです。唯一人物造形に変更にあるのがマルヴォーリオ。エンディングはオリジナルソングで他者理解と世界への希望を歌うもののため、彼が復讐を予告するシーンがほぼなくなっている*3

 『十二夜』自体は、個人的にはさほどハッピーな作品ではないと思うのだけど(もちろん喜劇だしハッピーエンドだけど、ヴァイオラだけにかかる負担が半端なさすぎるし、今回カットされているマルヴォーリオのシーンの不穏さが強いので。)、街が舞台であることと、魔法みたいなミラクルが起こらないということが重要なのかもしれない。幸運はもちろんたくさんあって(私のお気に入りキャラクターセバスチャンの、宝くじを連続で当てそうな強運とか)、その反面誤解やすれ違いも起こるのだけれど(兄貴のラッキーのつけを払わされているヴァイオラ…)、全部人の世のことだというところに軸足があって、それがエンディングの、世界は他者を理解することできっと良くなる、という非常にポジティブな歌へつながっているように思った。

 とはいえ、全てをラッキーで片付けるほどクワメ演出は甘くない。ヴァイオラ/セザーリオの変装は本当に男性と見まごうほどで、プロット全体を支えるこの「リアリティ」の説得力は強い。衣装から徹底的にフェミニンな要素を排し、しぐさや振る舞いも黒人男性のそれをうまく取り入れて、よりマスキュリンに見せている(ヴァイオラ、セバスチャン双子は黒人キャスト)。男装のイメージにつきものな少年的な「中性さ」もなく、まさに、'Not yet old enough for a man, nor young enough for a boy'な造形。オーシーノとセザーリオの思いのすれ違うやり取りは、変装の秘密ゆえのもどかしさというより、恋心を秘めたゲイの青年のようにも見える。

 セクシュアリティに関して、おそらく有名なのはセバスチャンに対するアントーニオの感情ですが、これも(出番自体は大幅に短くはなっているものの)アントーニオがヴァイオラ、オリヴィア、オーシーノーのメインテーマで歌われるフレーズを反復することで、暗にその思いを示す。人種的なダイバーシティをキャスティングで見せつつ、原作のジェンダー、セクシュアリティ表象の複雑さもきちんと拾い上げている。

 斜に構えることなく真っすぐに多文化社会への希望をメッセージとするのって、やっぱり今とても作るのが難しくなっていると思うのだけど、隙のないクオリティと有無を言わさぬエネルギーでそれを実現している舞台。これは、NTライブ等でのブロードキャストや、(難しいだろうけど)ソフト化があればと思う。今、なるべく多くの人に見てもらいたい、本当に幸福な作品です。

 

 

*1:初年度のプログラムにやけにアメリカ関係の作品が多いなと思ってたら、2011年から17年までボルチモアの芸術センターの芸術監督だったんですね。ついでに個人的なことを書いておくと、この時期はちょうど私がイギリス演劇に本格的に関心を持ち出した頃で、つまりクワメさんのイギリスでの仕事を私は今まで見たことがなかったのです。

*2:個人的に、劇場美術でまず驚いたのが天井に掲げられた万国旗でした。なんてベタな、というシニカルな思いを抱いたのは一瞬で、このストレートさこそが強さなのだとちょっと泣けてきました

*3:そのせいか、マルヴォーリオ、ソロ曲とか見せ場がえらい多くて、大変おいしい役どころになってました。

Edinburgh Festival Fringe 2018 要チェック作品リストのリスト

 今年のエジンバラフェスティバルのフリンジ演目チェックに使ったサイトのリストをまとめておきます。フェスティバルはすでに開幕しており、おせーよ、という感もあるのですが、大手メディアは例年こういった記事を出しているので(批評家が変わることはあるけど)、来年以降も使えるかしらと思い、自分の備忘録も兼ねて。

 よほど合わない批評家が書いているとかではない限り、二つ以上の媒体で紹介されているのもはチェックリストに入れていいかなと思います。前売りを買うか迷う時は各紙のレビューが出るのを待つべし。下に挙げたメディアの多くはほぼ毎日フリンジ作品のレビューを出しています。あと、フリンジの公式サイトから、チケット完売日がどれだけ出ているかをチェックするのも良いです。あとは博打。

 (独断と偏見でコメントをつけています。私の趣味を知っている人は参考にしてください。)

 (ちょっと思うところあり、私の観劇予定リストは今のところウェブには上げないつもりです。すみません。(もし私の知人友人で興味のある方がいれば直接ご連絡ください。)作品の感想は改めてまとめます。)

 

The Independent (Lyn Gardner)

www.independent.co.uk

 インディペンデント、というかリン・ガードナー枠、というべきか。シアター、ダンス、サーカス、キャバレー、児童劇、今年も無双しております、ガードナー先生。私も日ごろから厚い信頼を寄せています。ガーディアンを離れ、ひとまず今年はインディペンデントとステージを拠点にレビューを書くとのこと。会期中に所属メディアに書ききれない作品評はツイッターにガンガン挙げてるので、そちらも要チェック。0ウィーク目にしてすでに、同僚批評家に「30本は観てる」とか言われてます、この人。

 

The Guardian (Theatre&Dance: Chris Wiegand, Comedy: Brian Logan)

www.theguardian.com

 安パイなのはこのへんかな、という気がします。(ただしダンスは未知数。)ただ開幕して今んとこ、シアターのレビューはマーク・フィッシャーさんが書いてるっぽいので、まずはそっちを参考にした方がいいかも。(ビリントンさんはここんとこはフリンジに来てるんだっけ?)

 

The Telegprah (批評家合同、要登録)

www.telegraph.co.uk

 すみません、私、ちゃんと読んでない…。音楽、オペラもカバーしているので、そちらにも関心がある方はどうぞ。

 

The Scotsman (批評家合同)

www.scotsman.com

 地元紙なのにか、地元紙だからか、下馬評出るのが一番遅かった。他の媒体が拾ってない作品がちょこちょこあるのですが、気になりつつレビュー待ち状態です。しかしスコッツマンの本気はこれからだ。会期中、紙媒体は文化欄がフェスティバル特別仕様になっており、レビューはもちろん、その日の演目スケジュールやヴェニューの地図まで掲載。朝買って、記事読んで、そのまま一日ガイドブックとして使えます。

 

Time Out London (Andrzej Lukowski)

www.timeout.com

  ロンドンが中心の媒体なので数は少なめですが、大都市エンタメガイドというメディアの性質もあってか、演劇をあまり知らない人におすすめを聞かれた際には、ルコフスキーさんのレビューが一番参考になると思います(口悪いのがあれだけど)。ちなみに私のシアター系のチェックリストはだいたいこんな感じに収まってます。(私の選び方がロンドン視点に偏ってる、という話でもあるんですが。)

 

The Stage (批評家合同)

www.thestage.co.uk

 演劇業界のニュースや政治系の記事はいつも面白く読むんですが、レビューはいまいちはまらないステージ…。(書き手が多いというのもある。)ただ今年はガードナー先生がこっちにも記事を書くようなので、会期中はしっかりチェックします。月間3記事(?)以上のアクセスは有料なので、8月だけ購読登録するのが良いかと。

 

 Chortle

www.chortle.co.uk

 …の記事のどれかを読んだはずなんですけど、今検索し直したら出てこない…。すみません…。コメディ専門媒体です。興味ない人はスルーでいいんですが、フリンジのような小規模の公演では、コメディと演劇・パフォーマンスの垣根が低くなっているので、時々両ジャンルから評価されるタイプの作品がポンっと出てきたりします。私はそういう関心とは別に、コメディファンとしてチェックしてます。

 

Go Johnny Go Go Go Part II (Miki Inamura)

www.gojohnnygogogo2.com

 お世話になっております、イナムラさんのコメディブログ。日本語でレビューや現地情報が読める貴重なサイトです。日本のお笑いに親しんだ人から見て、という視点で書かれている記事も多いので、フリンジでコメディジャンルに初挑戦したいという方は、英メディアのレビューを当たるよりも笑いのツボがわかりやすいかもしれません。毎年レギュラーで来ているコメディアンは多いので、今年の注目リストやレビューはもちろん、過去の開催年の記事も読むのがおすすめです。

 

 だいたいこんな感じでしょうか。漏れがあったら追記します。